くだらない人生の一部

死ぬ機会を何回も逃してきた。

小学生のとき。いじめられて、水泳のあとに下着を隠されたとき。あるいは、教室の真ん中でズボンを下げられたとき。あのときからぼくは性を嫌悪し始めた。例えば、うんこ、ちんこ、まんこ、そういう言葉を公に言う、ということに極度の嫌悪を覚えた。ぼくの中で、性に関わる児戯(当時のぼくからすれば、これらのいじめは強姦だった)は冒涜的なまでの含羞と結びつくことになった。それからずっと、ぼくにとって性は穢らわしいものだし、そういうものでコミュニケーションする社会から疎外された。小中学校の文化なんて、ほとんどそれだったから、ぼくの居場所はなくなった。

たぶんあの時にぼくは死んでおくべきだった。実家から徒歩5分くらいの場所に小さな公園があった。あそこのすべり台に電気コードをくくりつけて死んでいたら、こんな苦しみを味わいながら生きていることになっていなかったはずだ。

ぼくにはそういうかなしみのようなものを話すことができる人間が誰もいなかった。親はいつでもぼくにやさしかった。母親はぼくを溺愛したし、父親は父親という役割に弄ばれていた。あれほど叱るのが下手くそな人間をぼくはしらない。そういう愚直な両親や、発達障害の弟に対してぼくができることは沈黙と忍耐だった。

小学生のときに、原因不明の鼻血と頭痛に悩まされた。午後になると決まって表れるそれらの症状を回避するために、ぼくは保健室にこもった。薬品の匂いにつつまれながら、硬い枕に頭を埋めるのがしあわせだった。コの字型のカーテンレールの内部は、孤独で安心できた。そこが唯一安心できる場所だった。

 

幼稚園に通っていたとき、ぼくは絵を描くのが好きだった。お遊戯会をするにあたって、その登場人物をぼくが描くことになった。ぼくは色鉛筆をつかっていろいろなキャラクターを描いた。当時のぼくとしては、会心のできだった。それでも、その画用紙を幼稚園にもっていくことができなかった。恥ずかしかったのだ。たぶん、ぼくは元来恥ずかしがり屋なのだ。傷つくことがこわかったのかもしれない。それ以上に傷つけるのがこわかったのかもしれない。できる限り自分を客観的に見るように試みて言えば、ぼくはやさしい。それは献身的ということでもある。ゆえに、自分が傷つくことがかなりある。しかし傷つきたくない。だから、語調を荒らげて他者を否定する。そうして自己を守る。けれど、それによって傷つけたことを苦悩する。その矛盾は罪という大きな暗喩に換言され、まるで自分が受難者であるように自己形成する。でも、そんな罪なんてどこにもない。そこにあるのは、わがままで幼い、恥ずかしがり屋な人格だけだった。

 

大学生になった。ぼくはゼミ長として、学部の運営に関わった。組織内で、ぼくは書記だった。書記とはいうものの、別に議事録などを録っているわけでなく、責任は希薄だった。けれど、己の自尊心を満たすために会長になった男が、罷免された。副会長は会にこなくなった。運営が空白となり、ぼくはその役目をなんとなく任されることになった。なんとなく、というのは、ぼくがその会長と仲がよいと見なされていたこと、それ以上にぼくが真面目すぎたことに由来する。ぼくは、ぼくがやらなければ誰もやらない、という状況では、その役目を自分が負ってしまう。責任はなかったけれど、それでもぼくは頑張った。ぼくは正式な会長ではないので、なんの情報も回されてこない。引き継ぎもまったくない。なんとか会費の使い方を考え、ゼロから卒業パーティーも企画した。ぼくは本を読むのが好きだった。好きという以上に、そこだけが保健室なき大学生活のぼくの居場所だった。ぼくそのものを成すアイデンティティだった。その読書の時間も奪われた。この学部は文学部だけれど、卒業アンケートによると、一ヶ月に一冊も本を読まない人間が6割をしめていた。そんな馬鹿共のためにぼくはぼくを殺した。それが飾りない率直な感想だ。そうしてぼくが仮に会長としてすごした2年間の間にぼくに届いた声は「連絡が遅い」「教授への連絡が後回しなのは失礼ではないか」「そもそもあんな会長と友人なのだからお前もろくな人間ではない」という罵詈雑言だけだった。ぼくは反論することもできなかった。ただ、人気のないキャンパスのトイレにこもって血が出るまで頭を壁にぶつけることくらいしかできなかった。

 

同じころ、ぼくは童貞でなくなった。ぼくは性を嫌悪し続けていた。嫌悪か慙愧かは分割しがたかった。それでも、それらはひどく穢らわしいものだと思っていた。これを境に、ぼくは愛を錯覚した。性行為ではない、人間ではない、誰かとひとつであれる感覚。これが愛なのだと思った。そうしてぼくは愛に依存した。ぼくは愛されていないと感じるとき、暴力的にふるまった。対象の人間には暴力をふるうことはない。対象は主に自分だった。睡眠薬を多く服用したり、フォークを腕に突き立てることで、なんとか自分を好いてもらおうとした。無論、距離を置かれることになった。そうしてすべてを失った四年生の冬。就職の前日、河原町通りに咲く桜を見ながら、ぼくはまた死ぬ機会を失っていた。

はじめからやる気のない教員生活だった。それでも、教師になるのはひとつの夢だった。けれど、だめだった。ぼくにはだめだった。そのうちに友人が自殺した。そして悼む暇もなく、ぼくは職場で罵倒された。市販の向精神薬リポビタンDを多く服用しながら授業を行った。始発で登校し、ごきぶりとともに学校の施錠をする。終電で帰る。そうした日々が続いた。

実家にかえったときに、自殺を決行した。ぼくは繰り返しBUMP OF CHICKENの「続・くだらない唄」を聞いた。結果だけいえば、失敗した。はじめから成功する気もなかったに違いない。

 

それから天井を見て大阪で2年間過ごした。ぼくは一層自分のことが嫌いになった。睡眠薬をODしては部屋を壊したり、幻覚を見たり、自傷行為に身を委ねていた。

そして好きな人ができた。

 

「いっしょに死のう」

 

たぶんこれがぼくにとって最後の死ぬチャンスだったのだろう。彼女はよく自殺の話をした。練炭がいい、という話もした。けれど、ぼくには心中ができなかった。それがぼくの限界だ。これだけ生きてきて、結局何も成し遂げられず、無様に死を恐れ続けた結果がこの様だ。この世界はいつか終わる。だから、いっしょに死ぬことだけが、まやかしの世界でひとつになれる、たったひとつの手段だ。それが虚飾だったとしても、死後は何も感じないし、何も思わない。けれど、ぼくにはその覚悟はなかった。もう強い死への感情はなくなっていた。彼女に生きていてほしかった、けれど、それはぼくのエゴイズムであり、そして究極的な排外主義だったのだろう。ぼくはからっぽだった。

 

ずっと体調が悪かった。ここ最近よく悪夢を見た。なんとなくギターのストラップで首を吊ってみた。ドアノブから伸びるぼくの体は、掻き鳴らす人を失った楽器だった。馬鹿みたいだと思った。ぼくはちっとも死ねない。だから浅いリストカットをして、ぼく自身を愛で満たしている。

 

これからもきっと、ぼくはぼくを無様に溺愛する。何にもなれない、といいながら、ほんとうは何にもなれないように自分を活動させる。そうやっていつか死ぬ。たぶん事故死や自然死で。せめてその日までは楽しくいきたい。ぼくはいつだってぼくを責めるぼくの言葉で苛まれる。つまりは、どうしてもっと早く死ななかったの、という声に。それにぼくは答え続ける。勇気がなかったからだ、と。

こんにちは『後拾遺和歌集』

拾遺和歌集を読んだ。

 

後拾遺和歌集 (岩波文庫 黄 29-1)

後拾遺和歌集 (岩波文庫 黄 29-1)

 

 

いくつかの歌をピックアップして感想を日記に書いたので、こちらからリンクできるようにしておきます。『後拾遺和歌集』という少し影のうすい勅撰集が多くの人まで届きますように。
 

春・夏・秋・冬

 

賀・別・羇旅・哀傷

note.mu

 

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きたみち、ゆくみち――2018年冬

10月

フェリーニの『8 1/2』を見る。「芸術家の名に値する人間なら“沈黙への忠誠”を誓え」。どうやらイタリア映画がぼくは好きらしい。思い返せば、小説もまたイタリアのものに多く触れた一年であった。

 

8 1/2 [Blu-ray]

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インターネットでひろゆきや橋下元知事、東浩紀などの対談の動画を見る。高校生のときに政治経済を履修しなかったのが、現在の状況に少なからず影を落としているのではないか、という思うことがたまにある。

ライナスの毛布』『オワーズから始まった。』の合同読書会へ行く。『ライナス』について思うところがあったのだけれど、結局発言する時間はなかった。簡単に言うと、この歌集のはじめの連作は、漫画的な記号を消費したものとなっている。「ぽさ」の短歌である。漫画的なデータベースから、記号を借りてきている。これは芸術的な活動とは真逆ではないだろうか、ということである。芸術とは、創造、あるいは破壊をもって記号を新たに結びつける行為ではないかと思うのである。そういう連作を冒頭にもってくることで、以降すべての歌の〈私性〉がシュミラクル化するのではないか。それも処世のひとつだとは思うし、別に悪いこととも思わない。ただ、そのあたりを歌集を出しているような歌人はどう考えているかを知りたかった。

ドラマもよく見た。『木更津キャッツアイ』と『池袋ウエストゲートパーク』である。窪塚洋介もまた好きな俳優だ。『ピンポン』『リバースエッジ』『沈黙』……どれも異様な存在感を放っている。『池袋』のキング役も、やはりかなりよい。こういう飄々としたキャラクターに憧れる。

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神奈川の文学館で行われた寺山修司に関する幾原邦彦J.A.シーザー三浦雅士の対談に、木野誠太郎くんと行く。幾原氏の「寺山は学生運動という自己承認の装置を意識的にアートにした」という指摘はかなり鋭い。「寺山は宗教に近い」とも。『ウテナ』は『ベル薔薇』の二番煎じと思われないために、「本物になりたくて」シーザーの曲を使ったのだという。「本物」とはいったい何なのだろうか。

その他はひたすらアルバイトをしていた。

 

11月

コーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』はかなりよい小説である。「人間は覚えていたいものを忘れて忘れたいものを覚えているものなんだ」「人間たちが生きられないところでは神さまたちも生きられない」。何もかもが終わった世界で旅をする、というテーマが好きなのかもしれない。

 

ザ・ロード (ハヤカワepi文庫)

ザ・ロード (ハヤカワepi文庫)

 

 

『ブッシュ・オブ・ゴースツ』もよかった。かの『やし酒のみ』の姉妹編である。「わたしには、自分を殺そうとして背後から追っかけてくる『死』よりも、自分にとって興味のあるものを見ることのほうが、だいじなのだ

この月は精神ではなく、体調を崩していた。ふらふらになりながら投薬でなんとか体を動かしていた。

阿佐ヶ谷ロフトで行われた借金玉、小林銅蟲、にゃるらの鼎談に行った。ゲストは岩倉文也と実話ナックルズの編集である。詳しい内容を書くことは禁止されているけれど、かなり濃いオールナイトイベントであった。アングラである。岩倉氏の「人と関わると弱くなる、というのは逃げです」という一言はとてもよかった。

音楽では『ポップしなないで』をずっと聞いていた。


【MV】ポップしなないで「魔法使いのマキちゃん」

 

石井僚一短歌賞が発表された。「エモーショナルきりん大全」をどうぞよろしく。

稀風社にあこがれて短歌をはじめたので、そんな稀風社の新刊にのるのは、ほんとうにうれしい。

 

手をつなぐときに一瞬遅くなる歩みのように死んでゆきたい/三上春海『海岸幼稚園』

 

12月

葉ね文庫でサイファーをするらしいので参加した。

サイファーについて書いたことがなかったので、この場で書いておく。ぼくは鬱病になって、しばらく天井を見るだけの生活をおくっていた。何のはずみだったかは忘れてしまったが、同居人とサイファーをはじめた。はじめはうまく言葉がでてこなかったけれど、だんだん素直な言葉が出るようになってきた。サイファーは即興だ。考える時間が許されていないがゆえに、思っていたことがそのまま出てくる。これは、ぼくにとってはよい療法であった。9時間くらいぶっ通しでサイファーをしていたこともある。これは大げさではなく、ぼくが復帰できた理由のひとつはラップなのである。

そういうわけで、ときにはデパスや酒でふらふらになりながらもサイファーをしていたのが大阪であった。ひつじさんやあかごひねひねくんとも、よく鴨川の河川敷でサイファーをした。下北沢でも一度した。言葉を発することは、最善の療法だ。文字を書くのもまた、これに似ている。

なんといっても舞城王太郎の新刊がでたのが大きかった。

浅野いにおの展示にもいった。ぼくは『うみべの女の子』がいっとう好きだ。はじめて読んだときの硬直をいまでも思い出す。

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 神聖かまってちゃんのライブにも行った。投票でセトリを決める、というイベントであった。整理番号が早く、最前列で見ることができた。何度もダイブしてきたので、都合10回くらいはの子をステージへ返す役割をおった。恋人はスタッフに頭を強くおされたらしい。そういうわけのわからない状態になるのが、ライブの楽しさではないかと思う。

マイスリー全部ゆめ」「友達なんていらない死ね」「るるちゃんの自殺配信」を聴けたので、もう年末は思い残すところがない。


マイスリー全部ゆめ  PV  神聖かまってちゃん

あかひねくん、鳥居くんと「どん底」で忘年会をし、年越しはの子のキャスを見ながら迎えた。米津玄師の「lemon」を聞いて泣くの子を見て、感情的になってしまった。

 

 

これがぼくの一年間である。よく頑張ったんじゃないかと思う。2019年、平成が死ぬ年はどうなるだろうか。一日一冊は本が読めたらいいな、と思う。

生き延ばしたい。

きたみち、ゆくみち――2018年秋

7月

関東編がはじまった。

といっても、ほとんど変わったことはない。鴨川がないことくらいである。

名古屋へ行き、四流色夜空くんと鳥居くんと飲酒をする。次の日の朝、神聖かまってちゃんの新譜をかけながら、真っ青な空の下で喫煙をする。ニッカの壜が散乱するなかで、青空を割るように流れるの子の声は、夏そのものであった。


神聖かまってちゃん「33才の夏休み」MusicVideo

 

関西では出なかったが、関東には虫がいる。ハッカ油をアルコールと混ぜてそこら中に噴射した。それ以降、虫は見ていないのでなかなか効果があるようである。

「うたの日」というサイトで「仮病乙」に関する問題が発生したのも7月であった。詳しくはブログを書いたので、そちらをどうぞ。

 

kamisino.hatenablog.com

読者の責任、ということについてはいつも考えている。

千駄木のギャラリーにも何度かお邪魔した。「幻」と「TENT」である。あまりギャラリーにはいったことがないけれど、行くたびに刺激を得る。いろいろできそうだな、と思う。谷川千佳という人の絵っぽいと言われた。どうでしょうか?

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【谷川千佳】憂いのある女の子

歯科医に行ったり、必要なものを買ったりと、この月は引っ越しの余韻のような月であった。

 

8月

南アフリカの作家、クッツェーの本を連続して読んだ。イギリス文学、フランス文学、といった西洋文学に比べて、ラテンアメリカ文学、アフリカ文学のくくりはあまりに雑である。ナイジェリアとエジプトではまるで違うであろう。いつの日か西洋に反抗して、国のアイデンティティを背負った作品がたくさん出てくるといいな、と思う。

 

マイケル・K (岩波文庫)

マイケル・K (岩波文庫)

 

 

本でいえば、長らく敬遠していた二大日本文学を読む。志賀直哉の『暗夜行路』と島崎藤村の『破戒』である。ぼくは後者をより面白く読んだ。そういえば藤村も長野県の人間である。彼は詩集しかよんだことがなかったけれど、小説もかなりよさそうである。

カフェ・アナムネでの展示のために、一時帰省する。「ハレルヤ、サマーノイズ」という連作を印刷し、短冊に貼り、壁に貼るような展示である。

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カフェ・アナムネは一二三屋の入っているビルにある。この展示「愛せないノイズ」は、もう四人の共同の展示である。そのうち一名の方は、昨年末に亡くなってしまった。ぼくは米津玄師のTシャツを着ていったのだけれど、その方も米津のシャツを着ていた。物静かで、ほとんど会話はしなかったけれど、何か通じあったような気がした。冥福をお祈りいたします。

同行人と実にいろいろな場所を回った、京都、大阪、住んだのは合計で9年ほどである。生来の出不精ゆえに、まだまだ回れる場所はたくさんあった。

久しぶりに長野に帰省もした。相変わらず閉ざされた土地である。気候だけは素晴らしいと思う。

ひたすらにゲームをした夏であった。初音ミクの『project DIVA』である。音ゲーはあまり得意ではないのだけれど、やり始めるととまらない。

映画は『百円の恋』がよかった。『愛のむきだし』でも、ぼくは安藤サクラの演技が好きであった。『万引き家族』も見たいところである。

 

9月

あいも変わらず精神が悪くODばかりしている。薬を飲んで夜に出歩くと、世界が輝く。これはたいへんよくないことである。

大麻堂のオーナーの『マリファナ青春紀行』の中の「イギリス人とあったらジグザグに逃げろ、銃で撃たれる。メキシコ人とあったらまっすぐ逃げろ、ナイフで刺される」という教訓はまったく役に立たなさそうだけれど面白かった。

名倉編の『異セカイ系』も、なんだか懐かしい小説であった。「まじめに正直に生きていれば、きっとさいごにはしあわせになれます

コレットの『青い麦』の中に、貝殻を灰皿に煙草を吸う場面であった。コレットはこういう小物やふとした瞬間の感情を書かせたらピカイチである。

アルバイトをはじめた。多少なりとも文化に近いアルバイトである。こうして文化的なところに漸近できたらさいわいである。

池袋にクリープハイプの展示を見に行く。大学時代にはクリープハイプを毎日のように聞いていた。『世界観』以降あまり聞いていなかったけれど、聞くようになった。

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映画では『FLCL』と『ポンヌフの恋人』がよかった。ポンヌフは、銀杏の楽曲の歌詞にあることからも気になっていたが、大森さんのおすすめとあってやっと観賞することができた。恋するあまり体を切り刻む主人公の男、他人事ではない。

きたみち、ゆくみち――2018年夏

4月

谷とも子さんの『やはらかい水』の読書会へ行く。酔っぱらった二次会で、吉川宏志さんに「塚本邦雄が~」と厄介な絡みかたをしてしまう。土岐友浩さんや大森静佳さんと映画の話をした。『夜空は最高密度の青色だ』についての感想が土岐さんと一致してうれしかった。この三次会では短歌人の辻さんとはじめて会った。「invitation」についての示唆はかなり心に響いた。「きみには破壊しかない」という言葉もしかりである。ふらついて自転車を倒してしまった。これはさいわいな一日であった。

7日の日記には「完璧な鬱!エウレカ!」と書いてある。ひと月に一回は、感情が悪くなるようである。

『アデン・アラビア』を読んでいると、長生きしても苦悩しかない人間というのはいるものだということがよくわかる。ニザンには怒りしかない。「すべてを運命のせいにすれば、いつまでもピラトゥスのように手を洗っていればいいってものじゃない

そういえばスペース猫アナへはじめていったのもこの月であった。勝手に冷蔵庫からビール瓶をとり、焦げ、あるいは煙草の灰が散乱したこたつで自由に飲食する。留置所上がりの窪塚洋介似の男と京都でおいしいカレーの話をしていたら、店主を含め、全員が寝てしまったので、たぶんこれくらいだろうという額を置いてその場を去った。無秩序である。

葉ね文庫というセレクトショップがある。ここでも様々な出会いがあった。当時のぼくとしては、短歌をやっている人間というのは全員嫌いだったので、家から徒歩5分くらいにあるこのサロンのような場所を、少し敬遠していた。それは嫉妬の裏返しに他ならなかったのかもしれない。今となっては帰省のたびにふらっと立ち寄る、灯のような場所である。店主の池上さんもあたたかく迎えてくれる。

ここでであった一人が井筒樹さんだ。この人がどういう人なのかは、未だにぼくもよくわからない。そんな井筒さんからカフェ・アナムネでの展示に誘われたのも、この4月だった。

田上くんとはよく飲みに行った。焼酎の魅力に気付いたのは彼のおかげである。

高橋睦郎氏と会ったのも4月だった。部屋に通されたときの空気をぼくは忘れない。変に引き延ばされた時間、高橋氏はゆっくりとぼくの目を見て「お座りなさい」と言った。氏の本をぼくはよく読んでいて、そういう話をしたかったのだけれど、緊張ですべて吹っ飛んでしまった。サインでは「かみしの」と書いてもらいたかったのだけど、「名前は?」ときかれたので「かけるです」と答え、結果としてぜんぶひらがなになった。でも高橋氏もひらがなで書いてくれた。かわいい。

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音楽でいえば、春ねむりのインストアライブへ行った。スピンズの中という変な場所であったけれど、とてもよかった。「ロックンロールは死なない」のである。CDにサインをもらう時に「春ねむりさんの楽曲から短歌を作ってもいいですか?」と聞いたら「ぜひ!」と言ってもらえた。彼女の熱量を再構築するのは骨だ。なんとか成したい。

映画は『リズと青い鳥』だ。これは現代版小津映画なのである。

 

5月

銀杏ばらばらばかな速さで日々は過ぎ本日であうすてきな鳩よ/阿波野巧也『sit in the sun』

 

君は鍵穴 僕も鍵穴 目の前に並ぶ開かない無数の扉/石井僚一『死ぬほど好きだから死なねーよ』

 

イルカがとぶイルカがおちる何も言ってないのにきみが「ん?」と振り向く/初谷むい『花は泡、そこにいたって会いたいよ』

 

文学フリマ東京へ行く。さまざまな人たちと出会った。このあたりからまた精神が悪くなり、日記によるとルネスタソラナックスでらりっていたらしい。「ソラナックス大量嚥下」と書かれているページもあった。やめましょう。

月と600円に参加した。岡部桂一郎『緑の墓』である。「迫る」「近づく」といった動詞の多さ、フランスの象徴詩らしさが目についた。当日は秋馬さんと田上くんとともに塔の事務所へ行く。

誕生日であった。27歳で死ぬつもりだったけれど、結局生きた。世の中に何万人といる人間と同じ思考と同じ結果だ。誕生日の日にはバタイユを読んだ。「しかし私は、大聖堂前の広場で子供のように幸福に笑ったのだ」。この一文にぼくはというと泣いてしまった。

イタリアで川端康成を研究している人と会うので、「意識の流れ」について少し勉強した。これについては、またどこかで形にして残せたらいいな、とおもう。結局アルトーへたどり着いてしまうのだった。彼からはカトリックの教会がいかに腐敗しているか、という話を聞いた。その数か月後に、神父と少年愛の話がニュースになっていたので、少し情報を先取りした形となった。

死ぬのにも形容詞がいるの?鏡のように滑らかな海とかいう?川端康成『青い海黒い海』

ツイートがバズった。17万favは異常だ。

件のツイートをリツイートした漫画家が死んだことについて、そのファンが「好きに死のうな、をリツイートしていたことは問題だと思う」といった発言をしていた。ぼくが言いたかったのは、もちろん死ね、ということではない。「好きに」の部分が一番言いたかったのだ。その選択について第三者が何かを述べる隙間はまったくない。

6月

青葉闇 暗喩のためにふりかえりもう泣きながら咲かなくていい/井上法子

 

玲瓏の神變歌会で歌集批評のパネリストをした。

二次会では佐々木幸綱氏と話し、志賀直哉へ原稿を取りに行ったとき扇風機を向けられ、それに感動し「先生」と呼び始めた、というエピソードをきく。水のような日本酒を飲みながらへべれけになったけれど、楽しい一日であった。

イラストレーターのケント・マエダヴィッチさんを通じて、映像作家の松居大悟氏へ質問をすることができた。ぼくは松居氏の撮る映像がとても好きなのである。あの徹底的な「終わっている感」の源泉について少し触れることができた。

 


MOROHA『tomorrow』Official Music Video

 

6月は雨が降り続き、それに伴って精神もあまりよくなかった。そう思いながら日記を見直すと、半分以上は精神が悪かったようである。中学生のように「死ね」「死にたくない」と殴り書きしてあった。

6月18日は震度6弱地震に見舞われた。ぼくはいつも、地震の起こる(アラートが鳴る)数秒前に目を覚ますという癖があり、今回はそれで助かった部分がある。ちょうどぼくの頭のあった部分に姿見が落ちてきた。アパート全体が砕石機になったような激しい揺れであった。

音楽では梅田のhard rainにながとろさんのライブに行った。りんご音楽祭にも出演しているシンガーである。彼女の歌声は不思議な落ち着きをもたらしてくれる。

『Call me by your name』は大森さんと林和清さんの「映画と短歌」という対談の後、出町座で観賞した。エンドロールの長回しがたいそうよかった。

これをもってかみしの関西編終了である。

最後の日には葉ね文庫へ行った。三角みづ紀さんが来るということを聞いたからである。本谷有希子の夫であり、詩人である御徒町凧氏や岡野大嗣氏もやってきていた。ぼくはバスがあったので途中退散したけれど、どうやらその後飲み会をしていたらしい。悔しさにまみれながら、つまり、若干の後悔を関西に残しながら、関東へと足を踏み入れた。

きたみち、ゆくみち――2018年春

1月

自分を変えようと思ったのだ。

何かをするのだ、その「何か」を定めようと思った。前年のように天井をひたすら見上げて、自傷をして、そうして一年がすぎて、そのまま死んでいくのが怖かった。だから、ぼくは剛力で怠惰な性質を捻じ曲げようとした。だから、今年一年は、かなり無理をした一年であったように思える。

文学フリマ関連では、複素数太郎くんの『問題のある子』へ「破いて、ツインシュー」を寄稿する。「ゆきのまち幻想文学賞」に書いたものもサンプリングした。作中に書いたとある場面をフォロワーの人が実行したらしく、のちにその写真が送られてきた。虚構が現実を浸食する生々しい場である。

fukuso-sutaro.booth.pm

個人誌『永遠ごっこ』に収録した「ゴドー、ゆるやかに歩く」に一部加筆する。あの小説は東日本大震災に影響を受けて書いたものだった。日常はとうとつに終わりを迎える。その現実を、「終わり」を奪われた戯曲『ゴドーを待ちながら』に差し込んだのだった。どうしてもこの小説は個人誌に入れたかった。ただ、あの震災からは7年の月日が経っている。だから、川上弘美の『神様』のように、アップロード・パッチをあてたのだ。

文フリ当日は喪服で参加した、『T2トレインスポッティング』へのオマージュである。京都を離れることはすでに決めていたので、京都とそれにまつわるすべての思い出を葬送しようとした。『永遠ごっこ』は27歳までのかみしのを殺すための本でもあった。四流色夜空くんや、K坂ひえきさん、複素数太郎くんたちと打ち上げをする。ひえきさんの「ガラスのブルースでも、最後は川へ行きますよね」という指摘に感情がかき混ぜられる。

『永遠ごっこ』の表紙、裏表紙はりりぃさんにお願いした。ぼくは「朝顔と月見草と女の子」というかなり抽象的な依頼の仕方をしたのだけど、りりぃさんはすべてをくみ取ってくれた。表紙の女の子、本物の朝顔に巻き付かれながら、偽物の朝顔を抱える少女。ぼくの似姿であった。

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この『永遠ごっこ』では大森靖子の「少女三号」という楽曲を一部もちいている。だから、ずっと好きであった彼女にDMを送った。使用快諾の連絡とともに「27歳まで生きてくれてありがとう」という一言をもらった。27歳まで生きていてよかったと思った。

短歌関連では、粘菌歌会を始動した。友人の猫のパジャマくんと、ひつじのあゆみさんと。彼等との出会いも、ほとんど奇跡に近いものであったけれど、彼らのおかげでぼくは2018年をやってこられた。ひつじさんについては、はじめて大阪は扇町公園で出会ったとき、ぼくはメンクリ帰りでシャワーも浴びていないし、パーカーを深くかぶっているし、かなり怪しかったのではないかと思う。

石井僚一短歌賞に送る連作を作り始めたのもこの時期である。この時期に見た『ヒエロニムス・ボス』の映画は、かなり影響をうけた。連作のありようについては、以前鈴木秋馬さんや田上純也くんと少し話したところだったけれど、ボスの『快楽の園』はそのひとつの解答を用意してくれた。以下は1月に印象に残った短歌。

 

笑いながらフェラチオをしてる君の目にうつるすべてを忘れたくない/ナイス害『フラッシュバックに勝つる』

 

お湯のことさゆってよべばおいしそう さゆ きみの中身を知りたいよ/初谷むい『ぬばたま2号』

 

眼窩まであをぞら沁むる真昼間の卵生の紫陽花を飼ふゆめ/瑞田卓翔『かんざし3号』

 

音楽ではアキシブ系というジャンルにはまっていた。同人のフーリンキャットマークというユニットのCDを買い、ひたすら聞いていた。

映画は『バーフバリ』がやはりよかった。王道というのは小賢しさを圧倒する力をもちうる。

皆既月食、冴え冴えとした月と赤い月に見送られ、濃厚なひと月は怒濤のように終わったのだった。 

 

2月

塚本邦雄の『詞華美術館』。この一冊の本の周囲をぐるぐると回っていたのが2018年だったのではないかと思う。「エモーショナルきりん大全」はこの本から色濃い影響を受けている。日記のメモをそのまま書いてみる。「塚本邦雄とぼくは思考様式が似ている気がする。観念的連想。異なる地域の文章(詩/散文)を橋のように繋ぎ、分節化される以前の深層に寄り添う。塚本はパトス的であると思う。後期ソシュール」この本を読んだ2日後に「エモーショナルきりん大全」と「ヴェロニカ、あれが空だ」というフレーズが受胎告知のようにやってきた。赤ん坊は、すでにぼくの中にいたのだった。

 

詞華美術館 (講談社文芸文庫)

詞華美術館 (講談社文芸文庫)

 

 

玲瓏の歌会では、塚本は実は太宰が好きだった、という話をきく。真偽は定かではないが、太宰の「憑依的才能(丸谷才一)」と、塚本のパトス的心性、そこの親和性は高いのではないか。吉岡太朗さんが塚本の評は、対象の歌に塚本がのりうつる、といったことを書いていたけれど、その在り方は、まさに太宰の小説の書き方と同じである。そこを繫ぐのは、フロイト斎藤茂吉ではないか、ということで、ここからはその周辺を読んでいく。茂吉の「実相観入」と塚本の「サンボリズム」は同一線上にある。塚本は言葉に、ロゴスの最下層にアクセスする。古事記ギリシア神話の類似を探る比較神話学、その現代的焼き直しが塚本の『詞華美術館』ではないか。フロイトの『精神分析入門』には「言語学者や精神医学者からよりも、むしろ詩人から学ぶところが多い」という一言があった。

ウェルベックの『闘争領域の拡大』も印象的だった。この小説といえば、もう死んでしまったはるしにゃんのことを思い出す。彼の存在は、杙のようにぼくの中に打ち込まれている。彼もまた、太宰治であった。尊大だった彼の「ぼくは文学のことはよくわからないけれど……」というはにかみから、すでに数年離れてしまった。「ペニスであれば、いつでも切り取れる。しかしヴァギナの虚しさはどうにもできない

2月はずっと精神が悪かった。

フォークナー『アブサロム!アブサロム』の解説「現実の事柄(アクチュアル)を聖書外典アポクリファル)のような神話に」という一文が気にいる。

映画はパゾリーニの『デカメロン』がよかった。意地悪だ。

音楽では、zepp tokyo銀杏BOYZ大森靖子の対バンを見に行った。大森さんにも『永遠ごっこ』を渡した。ぼくにとっては二人のヒーローだ。「駆けぬけて性春」「非国民的ヒーロー」をうたう二人に、ぼくは自然と涙を流していた。ゴイステ時代の曲をやり、大森靖子はファンの一人の目をしていた。DAOKOが米津玄師と楽曲を製作するように、夢眠ねむオザケンのMVに出るように、大森靖子が銀杏と対バンするように、愛を続けることは無為ではないのかもしれない、と思わされたライブであった。こうしてぼくはぼくを生き延ばすことに成功していく。

 

花みたい、それはやさしい揶揄でした いいよ花ならお墓に似合う

 

この短歌はライブの次の日、横浜駅の花屋のポインセチアを見ているときにとうとつに降ってきた。感情が動くと何かができるのであった。

 

3月

初っ端から感情が悪化する。日記には「救われたい、救われない」という文字列が並ぶ。

「予が真に写生すれば、それが即ち、予の生の象徴たるのである」という茂吉の言は、ゴッホの「現実を描いたらそのまま神話となり、超越体験となる」というあり方、あるいは例のアクチュアルからアポクリファルへ、というあり方と重なって面白い。

未来の歌会に参加させてもらう。

歌会の心の動かなさについての話を、田上くんや秋馬さんとする。彼等と話していると、脳の底がかき回されて気持ちいい。

蒼井杏さんといちごつみを始めたのもこのころであった。『瀬戸際レモン』はぼくの中で、「よすぎて読めなくなりそうだから読まずに置いておく本」のひとつとして、心の神棚に挙げていた歌集である。だから、お誘いをいただいて感無量であった。はらはらとするいちごつみであった。

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粘菌歌会を円山公園で行った。酔漢に囲まれながらというのも、楽しかった。

 

0000書店紀行アーカイブ

0000書店紀行とは、10000円を握ってさまざまな人と本屋へ行き、本の話をしながら10000円分本を買おう、という企画です。

これはこれまで行われた分のアーカイブです。

 

第一回

ゲスト:木野誠太郎(シナリオライター

kamisino.hatenablog.com

 

第二回

ゲスト:あかごひねひね(ネタツイッタラー)

kamisino.hatenablog.com

 

第三回

ゲスト:土屋誠二(ハイパーノベルクリエイター)

kamisino.hatenablog.com

 

番外編

ゲスト:四流色夜空(小説家)

kamisino.hatenablog.com