透き通る試論

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長い間ぼくをとらえて離れない問題がある。

それは「透き通る」という漢字がまったく透き通ってない問題、という非常に根深い問題だ。

なにをいっているかわからないかもしれない。

なんとか言葉にしてみるために、色という概念を持ち出してみることにする。

 

「透」という漢字を見たときに、何色を思い浮かべるだろうか。

ぼくは限りなく透明に近いブルー、もはや色とは呼べないようなガラスの色を思い浮かべる。もちろん「透明」という言葉を連想するからだろうし、「禾」の下に「乃」、さらに「之繞」というがたがたとした漢字の不安定さ自体が、なんだか風通しのよさを物語っているようにも見える。

 

対して「通」という字である。

ぼくにはこの漢字は、砂の色や苔の色にしかみえない。なぜかはわからない。けれど、どうしても透き通った色には見えない。

さらにこの角ばった字体が、どこか形式ばった戦前の学校のような雰囲気すら与える。この漢字の「通る」は風ではなくて、もっと重量のあるものが通っていく感覚がある。

 

その色調の違いが、組み合わさって「透き通る」となったときに、「透き」まではするするといくのに「通る」にさしかかった途端に抵抗がうまれる。壁のように、行く手を遮ってしまう。

手元の辞書によれば「透き通る」とは

 

①薄い紙や布などを通して、▵中(向こう)にある物がよく見える。「透き通った肌」

②高く澄んだ声・音が、あざやかに聞こえて来る。

 

ことをあらわしている。

抵抗があってはいけないのである。「透き通る」という漢字には、厚紙3枚分くらいのつまずきがある。全体の色調が、「通」のせいで砂の色っぽくなってしまう。

そこで、いくつかの漢字を提案してみようと思う。

みなさんもどれがよいか考えてみてほしい。

 

 

1 すきとおる

あえて全部ひらがなにしたパターン。ぱっと見たときに受ける印象は「丸い」というものだ。丸というのは循環であって、とおり抜けていくというよりは、むしろサイクロン掃除機のように風がぐるぐる留まっている感じがする。

統一感でいえば、さすがにひらがななだけあって違和感はないのだけど、たとえば小説やなんかで「すきとおっていった」と書いてあったら、特別な意図のない限りちょっと柔らかすぎる気がする。

やはり「透」という字の圧倒的透明感は使いたい。

 

2 梳き透る

「流」という字も連想されて、流れていく感覚はあるのだけれど、如何せん「髪を梳く」という言葉によるバイアスで櫛がちらついてしまう。

イメージとしては櫛の間を通っていく感じ、逆に風が通り過ぎている感じ。ほしいのは遠景のイメージなのだ。もう少し長い距離を、ほんのわずかな抵抗をもって進行する感覚がほしい。

 

3 透き徹る

辞書にものっている、正式な「透き通る」の別表記。

これはかなりいい線を行っているように思える。「通」に比べればそんなに抵抗感はなく、行人偏とノ文のカーブが、いい感じの風通しの良さを演出している。

若干「徹」という字が黒っぽく感じるけれど、組み合わせてみるとやや大人っぽくて、一目置かれていそうな風格がある。

 

4 隙通る

これはどう見たって路地裏の隙間などを体を細めて通る人間か、機動性のある原付バイクで追ってくるパトカーをまく、行為として重量感のある某かの「通る」様が強く出すぎている。歌舞伎やなんかの技法や、そういう意味合いのあたらしい動詞みたいだ。

 

5 透きとおる

これも1と同じで、ちょっと丸すぎるし長すぎる。五文字になる場合は、もっとしゅっとした鋭さのある文字だったらよかった気がする。

感覚的には「透しさくし」くらいの見通しの良い文字の羅列で「すきとおる」と読めたらベストだった。

 

6 空き透る

これは個人的にはよいと思う。「空」の色調と「透」の色調はかなり近いところがある上に、「空」の字が入ることで、すこーんと突き抜けるような感覚がうまれている。

「穴と工」の間の風が吹き抜けやすそうな空白もいい感じ。

問題は「あきとおる」とも読めてしまう点か。

 

7 漉き透る

適当に「すき」に該当する漢字を当てはめた場合。「さんずい」はいい具合に漢字に透明感を与えるのだけど、この字に関してはなにかを「漉す」感じが強すぎる。

一読して「すき」とは読みづらいという、外因的な抵抗感があることによって、メタ的に透き通ってなさがあってしまう。

 

8 透き融る

今度は「とおる」に該当する漢字を当てはめた場合。「融解」を想起させる字なだけあって、透明度は「通」よりは高い。けれど、ちょっと液体っぽすぎる気がする。

「透き通る」は実際透き通っているのが何かというのは置いておいて、気体のイメージがある。キーワードは軽さ。

 

9 空き徹る

両方とも変えてみた例。やはり「空」「徹」のポテンシャルが高いこともあって、漢字自体はよくマッチしている。

けれど、なぜだかぼくには白黒のモノクロな言葉に見えてしまって、わかるかわからないかくらいの「青」のイメージがなくなってしまっている。あまりに記号的すぎるきらいがある。なぜだろう。

 

10 透き透る

本当はこれで「すきとおる」のイメージは完璧なのだけれど、なぜ同じ漢字の組み合わせで作れる言葉で「すきとおる」という感覚に名前を与えてしまったのか。

「めしそーる」みたいな言葉で「すきとおる」感覚を実感できればよかったのだけれど、言葉というのは深く根付いてしまってもう逃れられない。

 

 

結論

「透き通る」よりも「透き徹る」あるいは「空き透る」のほうが「すきとおる」には相応しい気がする。

けれども、何かしらの違和感は拭い去ることはできないので、「すきとおる」という言葉で「すきとおる」ことを表現した人間がすべて悪い。

 

 

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わすれもの装置

 昼下がりの公園。アール氏はベンチに腰掛け昼食をとっていた。空は青々として雲は白く、絶好のランチ日和というわけだ。
 元気いっぱいはしゃぎまわる子供たちを目で追っていたアール氏は、視界の端にちらりと何かが見えたのに気がついた。
「おや、あれはなんだろう」
 弁当を置き、近寄って見てみると、それは黒色のカバンであった。革製の、ちょっと値の張りそうなカバンである。
「さては誰かが忘れていったのだな」
何しろ今日は絶好のランチ日和だ。浮かれたサラリーマンが一人や二人いたところで、何もおかしくはない。
「うっかりしたやつもいたものだ。そうだ、近くに交番があったな。ここはひとつ、届けてやろう」
「どうも、ありがとうございます」
 アール氏のすぐ近くで機械のような、しかし温かみのある声が聞こえた。
「いったい、なにものだ」
「わたくし、忘れ物でございます」
 どうやら声の主は、アール氏の手の中にあるカバンのようだった。
「忘れ物だと自己紹介する忘れ物も、なかなか珍しいな。おい、君はどこから声を出しているんだい。ははあ、おおかた、テープでも入っているんだろう。動作に合わせて録音を再生するなんて、なかなか面白いいたずらじゃないか」
「いいえ、いたずらではございません。わたくし、忘れ物でございます」
これにはアール氏も慌てた。こちらの会話を予想して、返事を吹き込んでおくのは不可能だ。だからといって、こんなカバンの中に、人が入れるわけもない。
「すると、君は本当に忘れ物なのか」
「本当に、忘れ物でございます」
「そんなこともあるまい。どれ、中身を見てみよう……」
 しかし、カバンは固く閉じられており、どうしても開けることはできなかった。
「なんだか、頭が痛くなってきた。落した人には気の毒だが、気味が悪くていかん。さっさと会社に帰ることにしよう」
アール氏は食べかけの弁当をベンチの上に忘れたまま、会社へと逃げて行った。


数年の月日が流れた。
かつての公園も様変わりし、木々は切り倒され、空の空気もくすんでいた。公園で遊ぶ子供の数も減り、代わりに舗装された道路を走る車ばかりが大きな音を立てていた。
ガールフレンドとデート中のケイは、公園のベンチの下に、ぼろぼろの黒いカバンが置いてあるのに気付いた。
「おい、見てみろよ、忘れ物だ」
「あら、本当。お金なんか入ってないかしら」
「ふふん、見つけたのは俺たちだ。ちょっとばかし、いただいても構わないだろう」
 そう言うとケイは、カバンの口に手をかけた。
「わたくし、忘れ物でございます」
 どこからともなく聞こえてきた声に、ケイとガールフレンドは、腰を抜かしてしまった。
「うわ、いったい誰だ」
「わたくし、忘れ物でございます」
「気色悪いわ。こんなもの放っておいて、早くいきましょう」
「そうだな、それがいい」
カバンは乱暴に地面へ叩きつけられ、ケイはそれを蹴りつけた。カバンは茂みへと飛び込み、清掃員によってゴミとして収集された。
「わたくし、忘れ物でございます」
 その声は誰の耳にも届かず、誰もいないゴミの山で、ただこだまするだけであった。そうしてしばらくすると、かちりと音を立てて、カバンの口が開いた。


「あの、地球という惑星はどうでしょうかね」
 時間はさかのぼり、地球のはるか上空。宇宙連合の使節団員は、団長に尋ねた。
「視察した限りでは、地球人は、なかなか善良そうだった。きっと数日もたたないうちに、警察に扮した、われわれの仲間のもとへ届けられるだろう」
「それにしても、宇宙連合に加えるかどうかを、あんなもので判断してよいのでしょうか。しかも、長い間届けられなければ、内蔵された毒ガスでその星の人々を滅ぼしてしまうというのも、少し過激な気がするのですが……」
「今や、宇宙も人口爆発が進んでいるからな。悪意に満ちた星は滅ぼしていかなければならない。それに地球人は大丈夫だろう。彼らにはおもいやりの心がある。そのおもいやりさえ忘れなければ……」

 

2012年

かみしのの四半世紀のベスト

 

四半世紀のベストです。

名刺みたいなものです。

どうやら不穏なものが好きなようです。

 

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四半世紀のベスト④

今回は詩歌・古典その他です。

前回↓

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76、麻耶雄嵩『メルカトルかく語りき』

メルカトルかく語りき (講談社文庫)

メルカトルかく語りき (講談社文庫)

 

一番好きな探偵は、と聞かれたらぼくはホームズでも金田一耕助でもなく、メルカトル鮎と答える。麻耶雄嵩の書く型破りなミステリーは、思わず二度見ならず五度見はしてしまう。『翼ある闇』や『螢』などの長編もよいけれど、やはりメルカトルの探偵らしからぬ悪行が次々と披露される短篇集がいい。このウルトラCの作家を研究したのが清涼院流水。はちゃめちゃなものを読んでも怒らず笑っていられる人にはうってつけの小説だ。

 

77、橋本紡半分の月がのぼる空

周りに話を聞くと、赤川次郎のようなライトミステリーやライトノベルから読書にはまったという人が多いけれど、ぼくは両方読んだことがなかった。大学生になって、ふと、これを手に取ってみた。病院×文学少女×青春。ぼくは心のど真ん中を撃ち抜かれてしまった。そして『キノの旅』や『紫色のクオリア』や『ある日、爆弾が落ちてきて』のようなラノベの名作と出会えた。『君の膵臓が食べたい』は本作のオマージュだと個人的に思っている。

 

78、ペソア『不穏の書、断章』

新編 不穏の書、断章 (平凡社ライブラリー)

新編 不穏の書、断章 (平凡社ライブラリー)

 

それはまったくの偶然だった。生協へ行くのが日課だったぼくは、新刊コーナーに「不穏の書」という本を見つける。「不穏」とは結構じゃないか、と思いぼくはそっとページを開く。 そうしてぼくはペソアに出会ってしまった。「わたしとは、俳優たちが通り過ぎ、さまざまな芝居を演じる生きた舞台なのだ」。多重人格を使うペソアの詩には、虚無が、諦観が、喪失が言語化されていた。太宰治ペソアだけがぼくのことをわかってくれた。

 

79、ハイヤーム『ルバイヤート』

ルバイヤート (岩波文庫 赤 783-1)

ルバイヤート (岩波文庫 赤 783-1)

 

詩人というのはとにかく酒が好きだと思う。酔っては暴言を吐く中原中也に、酔って月をとろうとして水死した李白。もちろん中東にも酒好きはいるもので、この『ルバイヤート』にはひたすら酒のことが吟じられている。「たのしめ一瞬を、それこそ真の人生だ!」そう高らかにうたいあげるハイヤームの詩は、とにかく刹那的で享楽的だ。これを読み終えたぼくはいてもたってもいられずに、友人と飲みの約束を取り付けたのだった。

 

80、ボードレール『パリの憂愁』

パリの憂愁 (岩波文庫)

パリの憂愁 (岩波文庫)

 

「僕の好きなのは雲さ」「常に酔っていなければならぬ」「何所でもいいのだ!ただこの世の外でさえあるならば!」新型鬱だの、ファッションメンヘラだの、どうしようもないレッテルがたくさんある世の中で息苦しくなるときはボードレールを読むといい。ここにはとんでもない頽廃が存在している。光の都市と化していく19世紀のパリを疎ましく思う気持ちと、きらきらしたものを厭う気持ちは、深いところで通じ合う。

 

81、『中国名詩選』

新編 中国名詩選(上) (岩波文庫)

新編 中国名詩選(上) (岩波文庫)

 

粘法だの、二四不同だの、平仄だのを知って以来、気が向いたら漢和辞典を片手に五言絶句を作っていた。漢字のみで作り上げられる世界に魅了された。よく公的な文章は漢字でしたためるため感情表現が排される、という説明がされることがあるけれどあれは嘘だ。李白杜甫白居易、李賀、彼らの作り上げた漢字のみの芸術はどうしたって感情豊かだ。「君に!勧む!一杯の酒!」というコールを友人と考案して、二人でさみしく杯を交わしていたことも思い出す。

 

82、吉田一穂『吉田一穂詩集』

吉田一穂詩集 (岩波文庫)

吉田一穂詩集 (岩波文庫)

 

いうまでもなく詩集や歌集だけで100冊を選ぶこともできるのだけれど、どれを選ぶといわれると難しい。島崎藤村から三角みづ紀まで、詩集は百花繚乱だ。だからぼくはあえてあまり知られていないこの詩人をここに記す。彼の象徴やイメージで散りばめられる漢字の乱打は、漢詩にも通じれば西脇順三郎のようなシュルレアリスム詩にも通じる。この詩集をひらいてぼくの胸に去来したのは「かっこいい」の一言であった。

 

83、谷川俊太郎『トロムソコラージュ』

トロムソコラージュ

トロムソコラージュ

 

谷川俊太郎は偉大な詩人だ。おそらく日本で一番有名な詩人でありながら、今なおアバンギャルドな言動をつづけている。 「万有引力は引き合う孤独の力である」なんて言葉は、どこからやってくるのだろう。この詩集に収められた「詩人の墓」は、詩才ゆえに人に愛され、詩才ゆえに愛されずに死んだ詩人の物語詩だ。もっとも好きな詩のうちのひとつ。水中、それは苦しいというバンドが「芸人の墓」という曲名でオマージュしているけれど、これもよい。

 

84、ヒューム『人性論』

人性論 (中公クラシックス)

人性論 (中公クラシックス)

 

哲学者の精神はどうなっているのだろう、と不思議に思うことがある。と同時に、文学以上に哲学は毒だと思う。しっかりした解説書や詳しい人による相対化にあえて身をさらさないと、気が狂ってしまう。ぼくはヒュームの懐疑論を知ってしまったせいで、一時期この世のすべてがばらばらに見え、言葉を発せず部屋にひきこもっていた時期がある。プラトンの対話篇くらいなら一人で笑いながら読めるけれど、ある程度円熟してきた時期の哲学は、時に死へと誘ってくる。

 

85、 鈴木大拙大乗仏教概論』

大乗仏教概論 (岩波文庫)

大乗仏教概論 (岩波文庫)

 

メンタルを病んだ人間は仏教に惹かれていく、という傾向がある気がしている。禅宗の「臘八大摂心」なんていうのはLSDで宇宙の真理を知る、というのとほとんど同じだろうし、時宗スーフィー、部屋で音楽を聞きながら踊り狂うのとたいして変わらない。全は一、一は全。他の宗教と違うのは、仏陀が人間であるということだ。唐突に億なんていう数字が出てくる仏教の思索の世界は哲学に近い。いきなりこれに行かずとも、例えば架神恭介の『もしリアルパンクロッカーが仏門に入ったら』は入門によいと思う。

 

86、『古事記

これは天皇が編纂を命じた公的な史書だ。それがここまで物語として面白いのは奇跡だと思う。伊邪那岐伊邪那美の国産みから、素戔嗚の暴挙、ホノニニギ天孫降臨日本武尊の武勇伝まで、ありとあらゆる想像の種がてんこ盛りだ。西洋の神は世界を作るけれど、日本の神は世界を産む。だから日本の神々にはどこか母親に似た親しみやすさがある。いろいろ訳があるけれど、中でもこの池澤夏樹のものは親切で読みやすいと思う。

 

87、旧約聖書より「コヘレトの言葉」

聖書 旧約続編つき - 新共同訳

聖書 旧約続編つき - 新共同訳

 

ぼくはキリスト教に関係のある仕事をしていて、よく聖書を読む機会があったのだけれど、説経臭いところはあまり好きではなくて、ずっと隠れて「コヘレトの言葉」と「黙示録」ばかり読んでいた。この「コヘレトの言葉」はちょっと聖書には珍しく「なんという空しさ、すべては空しい 」といった虚無が満ちている。中でも1章18節「知恵が深まれば悩みも深まり知識が増せば痛みも増す。」という箇所を、ぼくは三重くらいで囲った。

 

88、紫式部源氏物語

新編日本古典文学全集 (20) 源氏物語 (1)

新編日本古典文学全集 (20) 源氏物語 (1)

 

まだメールがコミュニケーションツールだった時代、ぼくのアドレスには「msb」だの「gm54」だのといった記号が織り込まれていた。「紫式部」と「源氏物語54帖」だ。海外では叙事詩でヒロイックなことをうたっている一方で、日本ではたおやめな恋愛三昧である。ぼくが京都にきた理由のひとつは『源氏物語』がたまらなく好きだったからだ。魅力はこの文字数では語りきれないけれど、世にあふれる恋愛小説を読むくらいならぼくは『源氏物語』を百回読む。

 

89、菅原孝標女更級日記

更級日記―現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

更級日記―現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

 

物語の登場人物を恋し、憧れ、ついには仏道を疎かにして小説に熱中した少女が、結婚と同時に物語は物語でしかなかったことを知り、「こんなことなら本なんて読まなければよかった」と老後に回想する日記。こんなものエモでしかない。けれど孝標女は結局『浜松中納言物語』を書き、それに感化された三島由紀夫は畢竟の大作「豊饒の海」を書く。ロックンロールは鳴りやまないのだ。

 

90、上田秋成雨月物語

改訂版 雨月物語―現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

改訂版 雨月物語―現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

 

すべての文学は引用だ、という言説は日本文学において視覚化される。なぜなら日本には「本歌取り」という文化があるからだ。例えば「葛葉が裏見」という言葉には「恨み」という掛詞を用いた和歌が本歌取りされている。そういうことがわかる人間が読めば、まるで副音声のように物語が多重化する。現代では注を見ながら読むことで、なんとかその足跡だけはたどれる。そういうことをさておいても、この秋成の読本は人間の情念から生まれた妖しが跳梁跋扈する、幽遠な世界を提供してくれる。

 

91、謡曲「定家」

謡曲百番 (新日本古典文学大系 57)

謡曲百番 (新日本古典文学大系 57)

 

何の気なしに見ても面白いのは歌舞伎だけれど、やはり謡曲のおどろおどろしい静謐な情念の世界というのはたまらないものがある。藤原定家式子内親王への妄執から、死後に定家葛となって内親王の墓に絡みつく。 幽霊となって僧へ回向の願いを立てる内親王だが、最後には墓の方へ消え、定家葛はまたそれに絡みつく。あとにはただ雨が降っている。果たして彼女は成仏したのだろうか。ここには永劫回帰の深淵がある気がする。

 

92、シェイクスピアリア王

リア王 (新潮文庫)

リア王 (新潮文庫)

 

正直シェイクスピアはどれも面白いのだけれど、とにかく一番悲劇的で印象に残ったのは『リア王』だった。ソフォクレスの『オイディプス王』にも劣らない悲劇が、老いリア王を襲う。『ハムレット』『ロミオとジュリエット』もよいけれど、一番わかりやすいのは『ヴェニスの商人』かなと思う。イギリスの劇団がやっているものを見たけれど、国をこえて、時代をこえて、今でも十分斬新な筋立てだ。隣の大学が学生演劇で『夏の夜の夢』をしていて、それも見に行ったことがあったなあ、と懐かしさがやってくる。

 

93、ベケットゴドーを待ちながら

ゴドーを待ちながら (白水Uブックス)

ゴドーを待ちながら (白水Uブックス)

 

学生時代は演劇もよく見に行って、その中でいろいろな戯曲も読んできた。『ゴドーを待ちながら』は間違いなく傑作だ。隙間が多くて、「ゴドー」は「GOD」なのかに始まる解釈の余地がたくさんある。ラーメンズのコントでもオマージュされているこの演劇を、ぼくは日常系アニメだと思って読んでいた。なんといっても笑えるのだ。一方で全体を不穏が覆っている。ゴドーとはおそらく「終わり」そのものだと思う。それは死と言い換えることもできる。「けものフレンズ」のキャラに置き換えてみるというSSも進行中なのでぜひ。

 

94、源実朝金槐和歌集

新潮日本古典集成〈新装版〉 金槐和歌集

新潮日本古典集成〈新装版〉 金槐和歌集

 

卒論を『金槐和歌集』にしたのは、太宰治が「右大臣実朝」という小説を書いているからだ。この中世歌壇というのは定家がおり、実朝がおり、西行がおり、良経がおり、後鳥羽院がおり、まさに和歌文化のピークといってもよい。中でも実朝の歌というのは、文芸を愛しながらも、謀略渦巻く将軍家に生まれてしまったことへの怨嗟や病に裏打ちされた激しい叫びのような歌が胸を打つ。「大海の磯もとどろに寄する波割れて砕けて裂けて散るかも」

 

95、塚本邦雄塚本邦雄歌集』

塚本邦雄歌集 (短歌研究文庫 (16))

塚本邦雄歌集 (短歌研究文庫 (16))

 

なんでもいい。書店で塚本邦雄と名の付く歌集を手に取って、どこでもいいから開いてみてほしい。それで、彼がどういう歌人なのかは十分わかるはずだ。古来からの和歌、茂吉から続く近代短歌、そういうものを破壊してしまった歌人なのだ。語割れ・句跨りを考案し、旧字の漢字の硬質な世界を作った。「ディヌ・リパッティ紺靑の樂句斷つ 死ははじめ空間のさざなみ」なんていう短歌、ぼくは稲妻が走った。一番好きなのは「馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ」

 

96、魚村晋太郎『花柄』

花柄(魚村晋太郎歌集)

花柄(魚村晋太郎歌集)

 

『玲瓏』の歌会に行くと、必ず黒いシャツに身を包んだ魚村さんがいる。塚本に師事した彼の短歌からは、確かに塚本の息吹を感じるのだけれど、それ以上に抒情的なのだ。 歴史的仮名遣いの、絶妙な息遣い。この人の短歌がぼくの目指すところなのだけれど、到底およばない。どうしたらこんなにせつない短歌が作れるのだろう。「かなしみが怒りの種子をむすばなくなつてひさしい秋天の声」「あの緑色いいよねと(もう二度と聞かぬであらう)声ははなやぐ」

 

97、南輝子『ジャワ・ジャカルタ百首』

ジャワ・ジャカルタ百首―南輝子歌集

ジャワ・ジャカルタ百首―南輝子歌集

 

南さんの短歌には絶望が満ちている。仏教や銀河、水のグロテスクなイメージにのせられて父を失ったことのかなしみや苦しみが肌を刺す。悲痛な鎮魂だ。「おしよせるあまたの魂やはちぐわつははれつしそうにぷるぷるしてゐる」「ああああああながきくるしみいみもなしつきぬけるそらすきとほる世」この日本語のうねるよう感覚は魚村さんと近く、なんとかして会得したいのだけれど、やはりまだまだ難しい。歌会などで会えばいつもぼくに気を払ってくれる、短歌の師のひとりだ。余談だけれど、短歌関連でぼくに気をかけてくれる女性は、みんな魔女のような人たちばかりだ。

 

98、穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』

現代の歌人に与えた穂村弘の影響というのは計り知れなくて、ある意味でみんな穂村チルドレンといってしまってもいいくらいだ。エッセイなどを読んでも独特な人だというのはわかるだろうけれど、やっぱりこの歌集がちょっと異常だと思う。筋肉少女帯の「香菜、頭をよくしてあげよう」に通じる、崩壊しそうな危うさを孕んでいる。「手紙かいてすごくよかったね。ほむがいない世界でなくて。まみよかったですね。」この短歌のやばさはこの歌集を読めばよくわかると思う。

 

99、『現代俳句集成』

現代俳句集成

現代俳句集成

 

電車に揺られながら、ぼくは魚村さんにどうしたら魚村さんのような短歌を詠めるのか聞いてみた。すると彼は鞄から付箋の大量についた分厚い本を取り出した。それがこの『現代俳句集成』だった。ぼくははっとした。どうも詩と短歌と俳句は違っているように見えたのだけれど、同じ言語芸術であると気付いたのだ。それ以来この本は、ぼくの部屋の手の届くところに置かれ、適当にひらいて眺めては発見を楽しんでいる。津沢マサ子「太虚を孕み割れたるガラスびん」 

 

100、笹井宏之『てんとろり』

てんとろり 笹井宏之第二歌集

てんとろり 笹井宏之第二歌集

 

現代、歌人は本当にたくさんいる。いろんな人の短歌を読んできた。みんな美しい言葉で感性的な歌を詠んでいる。でも、ぼくはそうした歌の頂点に笹井宏之がいると思っている。彼の脆く、儚く、壊れてしまいそうな言葉たちは、真似しようと思えば途端に消えてしまう。これは笹井宏之の遺した、あまりに透明でつかむことのできない言の葉なのだ。「かなしみにふれているのにあたたかい わたしもうこわれているのかも」

 

 

こうして100冊書き出してみると、案外いろいろな本を読んでいるな、ということがわかる。中でもぼくは「不穏」なものが好きなようだ。それは例えばホラーであり、怪奇であり、幻想であり、夜であり、黒であり、頽廃であり、淫靡であり、儚いものであり、傷をつけるものである。

よい本に出会うと、ぼくは地震が起きたかのようにぐらぐらしてしまう。これから先、どんな本がぼくをぐらぐらとさせてくれるのだろう。

次にベストを書くとすれば、50歳。

それまで生きているかはわからないし、そもそも本というものがあるのかどうかもわからない。けれど、どうなろうがぼくは紙の本を読み続けるし、みんなが失ってしまうもの、落としてしまうものを拾い上げて、大切に保管しておくつもりだ。

だから、みんなも疲れたこちらに帰ってきてほしい。

あたたかいお茶くらいは用意しておくので。

四半世紀のベスト③

kamisino.hatenablog.com

前回↑

今回は怖い小説たちです。

 

 

51、連城三紀彦『戻り川心中』

戻り川心中 (光文社文庫)

戻り川心中 (光文社文庫)

 

幻影城』で泡坂妻夫ともに第一線をはった連城の、大正デカダン風味の連作短編集。ミステリーには「ホワイ・ダニット」、つまりなぜ殺人を犯したのかという動機に主眼を置いたものが存在するけれど、「桔梗の宿」は個人的には日本におけるホワイ・ダニット小説の頂点。侠客や遊女、芸術家などの一般の道から外れたやくざものたちの織り成す物語は、連城の耽美な文章にのって深い爪跡を残す。京都のサイゼリアで読み終わったとき、ああああああ!と声をあげてしまった。

 

52、山田風太郎太陽黒点

横溝正史とともに語られることの多い山田風太郎だけれど、彼の小説は少し変わっている。忍者の異能力バトルが繰り広げられたかと思えば、同時代に復活した天草四郎宮本武蔵が剣豪バトルを繰り広げる『FATE』のようなものまである。この『太陽黒点』も同じく風変わりで、3分の2くらいは青春小説なのだけれど、急転直下で推理小説へと変化する。この「あれっ?」という一瞬は、一時期流行ったアハ体験よりもよっぽど痛快だ。

 

53、久生十蘭「無月物語」

久生十蘭短篇選 (岩波文庫)

久生十蘭短篇選 (岩波文庫)

 

大学に入ってからずっと、十蘭が好きだと繰り返していた人間がいた。乱歩や久作の系譜だといわれて読んでみた。思わずため息が漏れた。その文章の魔術に飲み込まれたものを中井英夫は「ジュウラニアン」と呼ぶ。「顎十郎」シリーズのような捕物帳もずば抜けて面白いけれど、悪なるものを書かせたら右に出る者はいない。「無月物語」に描かれる純粋悪に動悸が激しくなる。もちろん悪が書けるものは、同短編集の「黄泉から」のようなリリカルな作品も書ける。気づいたらぼくは「ジュウラニアン」だ。

 

54、津原泰水『蘆屋家の崩壊』

蘆屋家の崩壊 (ちくま文庫)

蘆屋家の崩壊 (ちくま文庫)

 

 猿渡と伯爵を主人公とした怪奇ミステリー「幽明志怪シリーズ」のひとつ。短編集でありながら、散りばめられた衒学的といってもよい怪異や食べ物の雑学の数々。ときには論理を上回る超常現象へと巻き込まれていく。津原の交友関係を見渡せば、金子國義四谷シモン小中千昭。「そういう」世界の住人だ。ちなみに妖怪「件」の小説は、小松左京しかり内田百閒しかり名作となるという、個人的なジンクスがあるのだけど、津原の「五色の舟」もまたそうした傑作のひとつに加えられるだろう。

 

55、チェスタトン『ブラウン神父の童心』

ブラウン神父の童心 (創元推理文庫)

ブラウン神父の童心 (創元推理文庫)

 

 海外のミステリーというのは実はあまり肌に合わないことも多いのだけれど、チェスタトンは違った。明晰なるブラウン神父を探偵とした「ブラウン神父シリーズ」の短編は、ひとつひとつが珠玉だ。乱歩が「トリック創出率随一」と語ったように魅力的なトリックと、批評家らしい階級社会や宗教への皮肉のきいた言い回しがリーダビリティを生む。「秘密の庭」のびっくりをぜひ味わってほしい。「サラディン公の罪」「アポロの眼」「折れた剣」、どれもよい。

 

56、太宰治『晩年』 

晩年 (新潮文庫)

晩年 (新潮文庫)

 

ぼくが太宰治に抱いている感情は愛ではない。憎悪だ。太宰のせいでぼくは小説が好きになったし、太宰のせいでぼくの人生は狂った。一時期ぼくは、自分は太宰なのではないかと本気で倒錯した。文章になっているものは関連の評論やエッセイまで含めてほぼすべて読んだ。玉川上水の入水した場所で瞑想し、実際に彼が着たマントを纏った。「死のうと思っていた」ではじまる太宰の処女短編集『晩年』。冒頭の「葉」に太宰のすべては凝縮されている。

 

57、坂口安吾桜の森の満開の下・白痴』

坂口安吾は太宰や織田作と同じく無頼派と呼ばれる集団の一員だ。彼は推理ものもから評論まで数多くのジャンルにまたがって小説を書いてきたが、なんといっても怪奇小説が美しい。「桜の森の満開の下」なんていうのは、その主たるものだ。梶井基次郎しかり、西行しかり、桜には死の魅力が付き纏う。破滅の煌々とした美しさがそこにある。同じく岩波からでている堕落論のほうには、太宰治に対する痛切なラブレターが挿入されている。 

 

58、萩原朔太郎猫町

猫町 他十七篇 (岩波文庫)

猫町 他十七篇 (岩波文庫)

 

気がついたらまわりが猫だらけ。そう書くとなんだか仄々するけれど、この小説の書き手はあの詩人・萩原朔太郎ショーペンハウエルの引用からはじまるこの小説には、幻想的なイメージが敷き詰められている。いつも散歩している道を逆方向に歩いてみたとき、違和感を覚えたことはないだろうか。それは猫町に入った合図だ。そこら中の窓には、猫が目を光らせている。ポーもそうだが、猫というのはどこか悪魔の使者めいた振る舞いをする。

 

59、森鴎外うたかたの記

舞姫・うたかたの記―他3篇 (岩波文庫 緑 6-0)

舞姫・うたかたの記―他3篇 (岩波文庫 緑 6-0)

 

鴎外は前期・中期・後期と作風ががらりと変わっていて、後期の『渋江抽斎』あたりの歴史小説を円熟とみなすむきはあるけれど、やはり前期の浪漫主義的なものはたまらない。「舞姫」でパラノイアという言葉を知った人間も多いだろうけれど、「うたかたの記」もまた恋に狂う人間の物語だ。ドイツの花売りに恋した日本人画家は、池のほとりで発狂した国王ルートヴィヒに出会う。まるで一枚の絵画を目の前にしているようだ。

 

60、芥川龍之介邪宗門

地獄変・邪宗門・好色・薮の中 他七篇 (岩波文庫)

地獄変・邪宗門・好色・薮の中 他七篇 (岩波文庫)

 

実は「蜜柑」以外の芥川の小説はそんなに好きではないのだけれど 、これは別格だ。なんといっても、あの芥川龍之介が書いた異能力バトル小説なのだから。マリア信仰を説き妖しげな術を使う謎の法師、法力で金剛力士像を召喚する仏僧、「地獄変」の大殿の息子にして人心掌握に長けた若殿。彼らの織り成すジャンプ顔負けの戦模様は、どう結末を迎えるのか。ぜひ見届けてほしい。

 

61、今村夏子『こちらあみ子』

こちらあみ子 (ちくま文庫)

こちらあみ子 (ちくま文庫)

 

一躍有名になった彼女を見て、ぼくは臍を噛んでいる。好きだったインディーズバンドが売れるのを見る気持ちだ。彼女の小説は「信頼できない語り手」による不信と作者による隙間の多い文章による不安という二方向からの意趣によって、ぐらぐらとした不穏を獲得している。ぼくはぼくであり、きみはきみでしかないことの恐ろしさが詰まっている。ぼくはこの感覚を別の小説で味わった。古井由吉の「杳子」だ。

 

62、藤野可織『いやしい鳥』

いやしい鳥

いやしい鳥

 

 不穏な文学が文学界を覆った時期があった。藤野可織が『爪と目』で芥川賞をとったあの時期だ。ホラー小説が好きだという藤野さんの小説には、アナ・トーフの作品をじっと眺めたときに抱くような不穏が多分に含まれている。「いやしい鳥」や「胡蝶蘭」なんて、そのまま日本ホラー小説大賞をとってもいいくらいだ。怖いことはよいことだ。怖いというのは、体だけでなく心も震えるということだ。足元をぐらつかせるのが文学の役目だとぼくは信じている。

 

63、最果タヒ『星か獣になる季節』

星か獣になる季節 (単行本)

星か獣になる季節 (単行本)

 

 銀杏BOYZに「十七歳」があり、大森靖子に「子供じゃないもん17」がある。早見純は「4+2+5+6=17(死に頃=17)」と書いた17歳を、最果タヒは星か獣になる季節だという。アイドルとはどういうものか、というのを真っ向から書いた小説。最果タヒはもちろん詩もよいのだけれど、小説も独自の視点から「かわいい」というまやかしへのアプローチをつづけている。彼女の言葉は、この2010年代を無残に切り裂いていく。

 

64、トム・ジョーンズ『拳闘士の休息』

拳闘士の休息 (河出文庫 シ 7-1)

拳闘士の休息 (河出文庫 シ 7-1)

 

打って変わってアメリカの元ボクサー作家による、心身を病みながらも疾走し続ける人間たちの短編集。ヘミングウェイやカーヴァーと違うのはなんといってもその文体だ。日本でいうところの舞城王太郎ドーパミンだらだらのドライブのかかった文章は、ぼくたちをあっという間に置き去りにする。岸本佐知子の畢竟の翻訳といってもいいだろう。こんな作品を一編でも残せたら、もう死んでもいい。

 

65、ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

 

 いまやありとあらゆる作家や批評家が言及し、彼の著作に対するなにがしかの論文をもたないと批評家として失格だ、といわれる文学的試金石のドストエフスキー。一回、バフチンだとかフロイトだとか小林秀雄だとか、みんなみんな忘れてこの小説を読んでみてほしい。そこに立ち上がってくるのは、極上、としか形容しようのない小説そのものなのだ。こんなにも思考や感情がぐるぐるとフル回転する小説は他にない。

 

66、ブルガーコフ巨匠とマルガリータ

面白すぎて手が震えてしまう、という経験を久しぶりにした。唐突に現れる紳士然とした悪魔、撥ねられる首、悪魔に占拠されるモスクワの劇場、キリストを愛すピラトを書く小説家。ソ連イデオロギーへの反抗は、『ファウスト』を下敷きとした世にも奇妙な悪魔の饗宴となってあらわれる。上下巻だけれど、一気に読んでしまった。頭の中では星野桂だとか永井豪だとか中村明日美子だとかの絵で、魅力的な悪魔たちの姿が浮かんでいた。

 

67、ソローキン『愛』

愛 (文学の冒険シリーズ)

愛 (文学の冒険シリーズ)

 

何も知らずにソローキンの『ロマン』を読める人は幸いだ。人によっては一生小説を読めない体にされてしまうかもしれない。ぼくは読む前に内容を知ってしまった。だから『愛』におさめられたいくつかの短編によって、追体験するしかなくなった。まだ何も知らないひとは、何も調べず必ず頭から読んでみてほしい。ソローキンが試みているのは文字通り小説の破壊だ。コードを破壊するときに、笑いはうまれる。だからよい小説は怖くて笑えるのだ。

 

68、バルザック「浮かれ女盛衰記」

バルザックは「人間喜劇」という計画によって、19世紀のフランスを完璧に描き切ってしまおうとした。この「浮かれ女盛衰記」は「ゴリオ爺さん」にも登場する希代の大悪党・ヴォートランを主人公にした一作。 きらびやかな表の社交界と政治の世界を、裏から牛耳ろうとする彼の奸計と人間的魅力は、この集英社からでているマスターピースシリーズで十分に味わえる。プルーストやワイルドが心酔した悪の魅力が、ヴォートランには満ちている。

 

69、セルバンテスドン・キホーテ

ドン・キホーテ 全6冊 (岩波文庫)

ドン・キホーテ 全6冊 (岩波文庫)

 

自分を騎士だと思い込んだ老人が、風車に突っ込んでいく。ドン・キホーテといえばまずこのシーンが頭に浮かぶだろう。騎士道物語に辟易して、自らを騎士と思い込んで悪ならぬ悪を成敗していく。これは底抜けに滑稽で、底抜けに悲しい。読み終えたときには絶望に近い感情を覚える。現実世界で出された偽作までも作中に取り込んで、多重構造的にドン・キホーテは進んでいく。 笑いの表裏一体のかなしみ、というのはこういうことをいうのだと思う。

 

70、チュツオーラ『やし酒のみ』

やし酒飲み (岩波文庫)

やし酒飲み (岩波文庫)

 

日本文学の癒し系が武者小路先生なら、海外文学の癒し系はチュツオーラその人だ。「です・ます」と「である」が混じったすっとぼけた文体、自らが神であり、便利アイテムをもっていることをつい忘れてしまう「やし酒のみ」、脅威を落とし穴なんかで解決する展開。アフリカの神話空間が生んだ奇跡のような小説だ。なんといっても、一ページに一か所はつっこみどころがある。それゆえに異常なリーダビリティをもって、読み終えるころにはチュツオーラたん、という呼称をもって彼を呼ぶことになるのだ。

 

71、リャマサーレス『黄色い雨』

黄色い雨 (河出文庫)

黄色い雨 (河出文庫)

 

スペインの詩人によるこの美しい小説を、ほんとうは教えたくはない。これはぼくだけのものにしておきたい。でも、それは卑怯なのできちんと書いておく。なにもかもが終焉を迎えた村で息をひそめる一人の男。そこにあるのは冷たい狂気と圧倒的な静寂のみだ。この小説、というべきなのかもわからない世界にはそれ以外のものは何もない。タル・ベーラの『ニーチェの馬』のように純粋化された時間だけが存在している。

 

72、アレナス『夜明けのセレスティーノ』

夜明け前のセレスティーノ (文学の冒険シリーズ)

夜明け前のセレスティーノ (文学の冒険シリーズ)

 

ひとえにぼくは、わけがわからないけれどなんだかかなしい小説、というジャンルの小説に垂涎する。これもその一つだ。大人になるにつれて世界は分割されていく、というのはよくきくけれど、そうだとすればこの小説は生まれたばかりの赤ん坊の世界の活写だ。生と死すらも未分化なこの世界はひたすらぐちゃぐちゃだ。突如挿入されるエピグラフ、強烈なリフレイン、死んだと思ったら生き還って次の行でいつの間にか死んでいる。ただかなしみだけが疾走している。

 

73、コルタサル「南部高速道路」

悪魔の涎・追い求める男 他八篇―コルタサル短篇集 (岩波文庫)

悪魔の涎・追い求める男 他八篇―コルタサル短篇集 (岩波文庫)

 

コルタサルの小説は夢と現実がメビウスの輪のようにつながっている。いつの間にか幻想と現実を往還している。閉鎖系というジャンルがあるけれど、この「南部高速道路」は高速道路が舞台。渋滞のつづく高速道路では、夏が冬になり、運転手同士の恋愛出産があり、葬式があり、共同体ができていく。でも、それは高速道路でしかなく、一旦車が動きだしたら、ただの他人だ。このあたりの文明批評が、上手に、丁寧にえがかれている。 

 

74、ルルフォ『ペドロ・パラモ』

ペドロ・パラモ (岩波文庫)

ペドロ・パラモ (岩波文庫)

 

人が死んでも記憶は積もる。コマラという町にはペドロ・パラモと彼を取り巻く人間たちの記憶が、地層のように重なっている。記憶が肉体から離れたとき、それは記憶それ自体として歩き出すのだ。解説にもあるように、少ないページ数の中に膨大な時間と空間が閉じ込められている。時間の記述は錯綜していて、死と生がぐるぐると渦巻く。これは一回読んでわかるような作品ではないので、自然と何回も読むことになる。

 

75、アルトー『神の裁きと訣別するため』

神の裁きと訣別するため (河出文庫 (ア5-1))

神の裁きと訣別するため (河出文庫 (ア5-1))

 

中三のときにフーコーに出会った。「パノプティコン」、「狂気の零度」という言葉が痛烈に頭に残った。だからドゥルーズまでは、ある意味で一直線だ。そしてその美しき徒花としてアルトーも知った。ラジオ・ドラマのテキストであるこの著作は、ある程度の条件をもたなければ、真の衝撃を味わうことはできないのだけれど、芸術の狂気を書いたゴッホの著述は圧巻だ。マレルの「狂気のブルー、苦悩のオレンジ」という短編は大好きな短編だけれど、そこに描かれるような狂いを、芸術は孕んでいる。

 

次回↓

kamisino.hatenablog.com

四半世紀のベスト②

今回は現代小説が多めです。

その①はこち

kamisino.hatenablog.com

 

 

26、藤枝静男『田紳有楽・空気頭』

田紳有楽 空気頭 (講談社文芸文庫)

田紳有楽 空気頭 (講談社文芸文庫)

 

「七月初めの蒸し暑い午後、昼寝を終えて外に出た。」といういかにも私小説的な一文から始まる「田紳有楽」は、いつの間にか池に沈むぐい呑みや鉢の視点になり、皿は空を飛び、陶器はしゃべり、ついには森見登美彦ばりのどんちゃん騒ぎになる。冒頭の語り手の正体が明らかになったときには、なんじゃ、これはと思わず笑ってしまった。私小説を突き抜けた結果、しっちゃかめっちゃかになった、最高の「文学」である。

 

27、北条民雄いのちの初夜

北條民雄 小説随筆書簡集 (講談社文芸文庫)

北條民雄 小説随筆書簡集 (講談社文芸文庫)

 

ハンセン病の病棟を舞台にした、死と病の命の小説。「人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、いのちそのものなんです。僕の言うこと、解ってくれますか、尾田さん。あの人たちの『人間』はもう死んで亡びてしまったんです。ただ、生命だけがびくびくと生きているのです」と語られる壮絶な描写は、なぜだか丸尾末広の絵で補完された。命そのものが、胎動している。

 

28、多和田葉子『聖女伝説』

聖女伝説 (ちくま文庫)

聖女伝説 (ちくま文庫)

 

多和田葉子という作家は日本よりもドイツなどで評価されている。「文字派」といわれる独自の路線を行く彼女の小説も、やはり一風変わっている。少女の生/性/聖が練り上げられていく様を、ぼくは外側から眺めていることしかできない。ひたすら白のイメージをもって書かれる文章ではあるけれど、その行間からはどうしようもなく黒い何者かが蠢いていて、恐ろしく、何よりかなしい。

 

29、ボリス・ヴィアン『うたかたの日々』

うたかたの日々 (光文社古典新訳文庫 Aウ 5-1)

うたかたの日々 (光文社古典新訳文庫 Aウ 5-1)

 

肺に睡蓮が咲く病気。ぼくはこの設定だけでご飯がいくらでも食べられる。もともとは『ニュールーマニア』というゲームで知ったこの小説は、実は全編が空想的なイメージで彩られた恋愛小説なのだ。ピアノを弾けば音調によってカクテルができ、音楽をかければ部屋は球体に変形し、スケート場では人間が伸縮し死ぬ。ゴンドリーの映画も、シュワンクマイエル風のアニメが使われていて、たいへん面白かった。

 

30、バロウズ裸のランチ

裸のランチ (河出文庫)

裸のランチ (河出文庫)

 

 イメージの叛乱といえばこの小説(?)を忘れるわけにはいかない。ヒッピー文化の代表にして、重度の麻薬中毒、妻を射殺したこともあるウィリアム・バロウズ。のちカート・コバーンによってオマージュされるカット・アップや麻薬の自動筆記を用いて、猥語や悪夢が取り留めなく記述されていく。そもそも大麻LSDとはなんなのか、ということを知るのは決して無駄なことではない。それらをひとえに悪と切って捨てることはできないのだ。

 

31、町田康パンク侍、斬られて候

パンク侍、斬られて候 (角川文庫)

パンク侍、斬られて候 (角川文庫)

 

ヒッピー文化はロックというジャンルを生む。日本でも数多のバンドが生まれた。町田町蔵の『メシ喰うな』はパンクの名盤として、よく名があがる。『告白』もこの小説も、まるで松本人志のコントを見ているようだ。つまり笑ってしまうのだ。時代劇の枠組みは、唐突に入る空間の破れによって、簡単にスクラップ・アンド・ビルドしていく。腹ふり党なる怪しげな宗教をめぐる事件は、ついに世界の終焉へと続いていく。げらげら笑いながらも、ふと考えてみると現代の寓話そのものなのが空恐ろしい。

 

32、峯田和伸『恋と退屈』

恋と退屈  (河出文庫)

恋と退屈 (河出文庫)

 

仕事に疲れたぼくは自殺を試みた。けど生きた。偶然、先輩につれられて京都のみなみ会館銀杏BOYZのライブ映画試写会に行った。そこでは汗と涎にまみれた峯田和伸が「薬やったって手首切ったって人殺したっていいから生きて銀杏BOYZを聞きに来てください」と叫んでいた。だからぼくは生きることにしたのだ。いつでも救ってくれるのは歌であり、音であった。峯田和伸藤原基央夢眠ねむがいなかったら、ぼくは死んでいた。

 

33、高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』

さようなら、ギャングたち (講談社文芸文庫)

さようなら、ギャングたち (講談社文芸文庫)

 

高橋源一郎は時代の空気を吸収する、「文学スポンジ」おじさんだと思っている。たくさん吸い込んだ同時代の水は、堰を切ったように絞り出される。現在の童話的語り口もよいけれど、やっぱり初期の三部作は異常だ。ばらばらに崩された言葉の意味、文章、そして文学。はっきりいってめちゃくちゃだ。けれど、その裏には抒情がある。ここでばらばらにされたのは文学ではない。80年代という時代が裁断され、悲しみの声をあげていたのだ。

 

34、ブローティガン『西瓜糖の日々』

西瓜糖の日々 (河出文庫)

西瓜糖の日々 (河出文庫)

 

西瓜糖で作られた世界。そこでは家具も、言葉も、西瓜糖で作られている。薄い甘さで、死と隣り合わせの日常を生きる共同体。いくつかの詩的な断片で編まれた本作は、例えば高橋源一郎に、小川洋子に、村上春樹に、多大な影響を与えた。このリリカルな言葉たちはページを開くたびにすっと胸に馴染みこんでくる。ぼくは好きになった人にこの小説をプレゼントしてきたのだけど、みんないなくなってしまった。だから、これはここだけの秘密のおすすめだ。

 

35、村上春樹1Q84

1Q84 BOOK1-3 文庫 全6巻 完結セット (新潮文庫)

1Q84 BOOK1-3 文庫 全6巻 完結セット (新潮文庫)

 

ぼくは村上春樹が嫌いだった。洒落た生活をして、セックスをしているだけの小説だと思っていた。これは、無知蒙昧の極みだった。彼のメタファーとアレゴリーというのはちょっと他の作家には見られない。基本的に村上春樹の小説はすべて好きなのだけれど、ぼくを「深い井戸」から救ってくれたのはこれであった。『レオン』を下敷きにしたと思われる、殺し屋・青豆と小説家・天吾、ふかえりの物語。とうていこの文字数では語りつくせないほどの衝撃を受けた。

 

36、オーウェル1984年』

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

 

はじめて読んだのは高校の英語のサイド・リーダーだった。表紙には大きく目が印刷されていた。社会主義のいきついた先のディストピアが、「二分間憎悪」「ビッグ・ブラザー」「二重思考」などの魅力的な用語をまじえながら描かれる。この小説は徹底的に絶望である。2+2=4と綴れなくなる時代は、確かに歴史の中で存在していた。『動物農場』もまたある時期の社会の寓話だ。新装版はピンチョンの解説があって、よりよくなっている。

 

37、伊藤計劃『ハーモニー』

ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

 

おそらくぼくと同年代の人間は、ほとんどこの小説を読んでいる。伊藤計劃以後、なんて言い方は少し大げさだけれど、ぼくたちは伊藤計劃を失った世界で生きている。『1984年』の翻訳にして、優しさや公共性に支配された世界はまさしく今現在、そのものなのではないか。確かに物語自体も百合じみていて面白いし、多くの文学やライトノベルが引用されているのだけれど、何よりこれは自由意志の小説なのだ。

 

38、円城塔『バナナ剥きには最適の日々』

円城塔というのは奇妙な作家だ。ホラー好きなぼくは物理専攻にして学術博士、システム・エンジニアを経験してきた伊藤計劃の盟友・円城塔を知るよりも、実は奥さんの田辺青蛙の方を早く知っていた。文学とSFを往還する彼の作品はどれも実験的で難解だ。けれど、例えば二重スリット実験を知ったときの興奮がそのまま文字で追体験できるような硬質な文章、その背後に漂う数学的リリシズムは例えば『Self-Reference ENGINE』に、「墓標天球」に、そして本作所収の「equal」に結実している。

 

39、海猫沢めろん『左巻キ式ラストリゾート』

動物化するポストモダン』という新書は、東浩紀の社会批評だけれど、この海猫沢の本一冊にゼロ年代がすべてつまっている。ひぎぃ、ひぎぃから始まる大量のエロと冒涜的な文章。村上隆の作品が自ずとオタクに対する批評性をもったように、この小説もゼロ年代への批評性をたたえている。間違いなく問題作であって、『ドグラ・マグラ』を超えるといってもいいポストモダン奇書だ。元ホストという海猫沢の謎の経歴も味がある。

 

40、舞城王太郎ディスコ探偵水曜日

ディスコ探偵水曜日〈上〉 (新潮文庫)

ディスコ探偵水曜日〈上〉 (新潮文庫)

 

そしてぼくは舞城王太郎へとたどり着く。正直いってぼくはこの小説によって変わってしまった。ほとんどのミステリーやエンタメ作品では心が動かなくなってしまったのだ。このミステリーにして、文学にして、SFにして、ファンタジーにして、ホラーにして、幻想な小説は、『毒入りチョコレート事件』のような多重推理を組み込み、どこか別の世界へぽーんと飛んで行ってしまう。あとには放心したぼくだけが残っていた。『世界は密室でできている。』あたりが入門にはよい気がする。

 

41、滝本竜彦『ネガティブハッピー・チェーンソーエッジ』

ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ (角川文庫)

ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ (角川文庫)

 

大学時代、これを読んでしばらく大学にいくことができなくなってしまった。現実には、特別なことなんて起こらない。だから見えない敵を作って戦う。けれど、すべて幻なのだ。終わらない日常は続いていく。ただ、薄い灰色が世界を覆っているのだ。今ではスピリチュアルの人になった滝本だけれど、この作品で人生が狂った人も多いのではないかと思う。『lain』や『灰羽連盟』でもデザインを担当している安部吉俊の絵も、くすんでいて素敵だ。

 

42、金原ひとみ『アッシュベイビー』

アッシュベイビー (集英社文庫)

アッシュベイビー (集英社文庫)

 

綿矢りさとの芥川賞同時受賞で一躍話題となった金原ひとみ。 殺して殺しては、埋めて埋めてに代替できる。ドライブ感のみで構成された拙く幼い文章も、ベイビーなんだから当然だろう。希死念慮そのものを描いた小説だ。男は棒をもつ、女は穴をもつ、男は暴力をもつ。どう叫ぼうとも、この事実は変わることはない。それをまざまざと突き付け、倫理を置き去りにする本作は、人を選ぶだろう。けれど、ぼくは大好きなのだ。

 

43、本谷有希子『生きてるだけで、愛。』

生きてるだけで、愛。 (新潮文庫)

生きてるだけで、愛。 (新潮文庫)

 

 本谷有希子の名をはじめて知ったのは、『幸せ最高ありがとうマジで!』の演劇だった。そこでは生が強い光を放っていた。寧子は手首を切る代わりに、全身の毛を剃る。働きもせずに男の元に寄生するし、働いたら働いたでちょっとしたことで店を破壊してしまうし、なんでもないことで泣く。変なのはわかっているけれど、変なまま愛されたい。必要なのは矯正じゃなくて同調。そうして、生きてるだけで愛、というのをぼくたちは求めているのだ。

 

44、鷺沢萠『海の鳥・空の魚』

海の鳥・空の魚 (角川文庫)

海の鳥・空の魚 (角川文庫)

 

「切り取ってよ一瞬の光を」と歌ったのは椎名林檎だけれど、人生の一瞬の光を切り取ったいくつもの小品でできているのがこの小説だ。35歳で自殺した彼女もまた、世界の観察に長けていたのではないだろうか。中の短編のひとつは、中学生のとき教材で読んだのを覚えていた。それから教師になり、 高校の教科書に載っていたのをたまたま発見して、ぼくはじーんとしてしまった。人間の光は、何年たっても変わらずに胸をうつ。

 

45、古井由吉「杳子」

杳子・妻隠(つまごみ) (新潮文庫)

杳子・妻隠(つまごみ) (新潮文庫)

 

古井由吉は毒だ。過剰に摂取すると、ふらふらして、自分と世界の境界が曖昧になって溶けだしていく。「杳子は深い谷底に一人で坐っていた。」という冒頭から、その世界に閉じ込められる。正常と異常の境界をぐらぐらと揺さぶる杳子。「ここから先は危ない」という具合にざわざわとした不穏を身体的に体験できる文章というのは、たいへん稀有だ。橋を渡るために手を取るシーンなんかは、思わず眩暈がしてしまう。

 

46、庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』

赤頭巾ちゃん気をつけて (新潮文庫)

赤頭巾ちゃん気をつけて (新潮文庫)

 

いわゆる「ぼく」文学のはしりと呼ばれるこの小説は、全共闘に馴染めない童貞文学青年の一日の心象を描いている。モラトリアム人間は、赤頭巾ちゃんという無垢なるものによって救われる。これはぼくのことを書いているのか、と錯覚してしまう漫画にするなら浅野いにお押見修造系文学だ。この小説を読むきっかけも、『旅のラゴス』の女の子だった。彼女は二作目の『白鳥の歌なんて聞こえない』が好きだった。彼女は、どこかで今も本を読んでいるのだろうか。

 

47、森見登美彦四畳半神話大系

四畳半神話大系 (角川文庫)

四畳半神話大系 (角川文庫)

 

これもまた罪作りな本だ。はじめにアニメで見、そうして次々と小説を読んでいった。そこで書かれるのは自分の生活する京都の風土だった。あの鴨川も、あの赤玉ワインも、あの、木屋町もここに書かれている。地の文でくすくす笑いながら読めたのは大学時代のこと、あれから数年たち、森見登美彦という名は京都への愛と憎悪とともに脳にしっかりと刻み込まれている。いまだに猫ラーメンは食べられていない。

 

48、武者小路実篤『友情』

友情 (岩波文庫)

友情 (岩波文庫)

 

実篤先生は、白樺派という文壇の中心のグループにいながら、直球の笑いとかなしみを提供してくれる素晴らしい先生だ。『愛と死』では自分の創作した人物の死に涙を落とし、『真理先生』では笑いしか起きない物語を描いた武者小路先生は、『友情』でとんでもないことを書いてくれた。いわゆる童貞的な小説といえば田山花袋の『蒲団』が有名だけれど、こちらはよりひどい。なにがひどいって、これを読むと尋常じゃないくらい傷つくのだ。

 

49、川端康成『みずうみ』

みずうみ (新潮文庫)

みずうみ (新潮文庫)

 

個人的には谷崎潤一郎の気持ち悪さを、より進展させたのが川端康成だと思っている。「片腕」のフェチズムはすでにホラーの域だ。教師と生徒の恋愛に、「意識の流れ」頽の技法と廃的な雰囲気を纏わせたのがこの『みずうみ』。後ろ暗い人間は後ろ暗い人間としか引き合うことができない。くすんでしまった人間は、きらきらしたものにはもう近づくことはできない。なんとも救いのない小説である。

 

50、伴名練『少女禁区』

少女禁区 (角川ホラー文庫)

少女禁区 (角川ホラー文庫)

 

ぼくはホラーが好きで、角川の日本ホラー小説大賞の受賞作はほとんど読んできた。他にもいろいろと面白いものはあるのだけれど、やはりこの『少女禁区』の最後の一文に勝る衝撃はないわけである。根がオタクである、ということであろう。この作品以来しばらく伴名練の噂を聞かなかったのだけれど、しばらくして大森望の『NOVA』の中に名前を発見したときは、思わず小躍りしてしまった。

 

 

その③↓

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四半世紀のベスト①

いつの間にか26歳になり、人間五十年の時代ならば折り返し地点を過ぎてしまいました。

カート・コバーンやジム・モリソンに憧れて27歳になったらアメリカに行ってショットガン自殺しよう、なんて思い始めてから数年。あとタイムリミットまで一年ですが、もう強い希死念慮は失われて、ただ薄く引き伸ばされた生を生きていこう、と消極的な前傾姿勢を取りながら、なんとか息継ぎをしています。

これまでいろいろと本を読んできましたが、四半世紀のベストということで、影響を受けた本を記録しておこうと思います。基本一作家一作にしましたが、作者単位で影響を受けていることがほとんどです。

一言ずつ思い出語りもしながら、26年の省察をしていきたいです。

 

 

1、夢野久作『瓶詰の地獄』

瓶詰の地獄 (1977年) (角川文庫)

瓶詰の地獄 (1977年) (角川文庫)

 

はじめて彼の名前を知ったのは、高校時代。『ドグラ・マグラ』の読んだら発狂する、という惹句と米倉斎加年の妖しげな表紙にひかれて読み、チャカポコ、に戸惑い下巻で断念した。夢野久作の血と狂気の世界にどっぷり漬かると、向う側へといってしまいそうだった。『瓶詰の地獄』の表題作の冒涜的なせつなさ、何よりも「死後の恋」の森に吊るされた死体の描写が、決定的にぼくに「そういう」志向を植え付けたのだった。

 

2、大槻ケンヂ『ステーシーズ』

ステーシーズ―少女再殺全談 (角川文庫)

ステーシーズ―少女再殺全談 (角川文庫)

 

14、15、16の少女の死体が恋人を探して地上を彷徨う。友人に感化されて聞き出した「筋肉少女帯」のvo.大槻ケンヂによる小説。彼の世界観にもまた多大な影響を受けた。「機械」や「風車男ルリヲ」「香菜、頭をよくしてあげよう」のマッドなエモさがそこにはあった。はじめはなんてへたくそな小説だ、と思ったけれどいつの間にかずっと頭を占めているのは、死して恋する女の子たちとそれを再殺し、損壊させる部隊のことだった。

 

3、金井美恵子「兎」

愛の生活・森のメリュジーヌ (講談社文芸文庫)

愛の生活・森のメリュジーヌ (講談社文芸文庫)

 

はじめは小川洋子高原英理のアンソロジーで読んだのだけれど、これには衝撃を受けた。『不思議の国のアリス』の変奏、残酷で血まみれの童話。庭で飼う兎を殺しては食べる父と娘が、やがて倒錯し、狂っていくさまが書かれている。ファンシーとゴシックが絶妙なバランスでミックスされた一品。この「兎」は単行本でもっておきたくて、大阪の商店街の古本屋で見つけて、すぐに買ったのだった。

 

4、赤江瀑『罪喰い』

罪喰い (P+D BOOKS)

罪喰い (P+D BOOKS)

 

『オイディプスの刃』が東西ミステリーベスト100にも選ばれているように、ミステリーの枠組みももっている赤江だけれど、その真骨頂は芸術の美に対する妄執と「魔」への心酔、匂い立つ官能だ。山尾悠子がベストに選ぶ「花夜叉殺し」は庭師に憑く庭とその主人の色物語という物語の中に、白黒映画のような翳と血と頽廃的な性がむんむんと漂っている。

 

5、泉鏡花草迷宮

草迷宮 (岩波文庫)

草迷宮 (岩波文庫)

 

鏡花はどれを選ぶか迷うけれど、手毬唄の旋律と球体のイメージが全体を貫く、屋敷の怨念の物語にした。彼の文章は聞いたことのない日本語がたくさんでてくる。その絢爛な漢字と翻訳不可能な比喩を目で追っているだけでも楽しい。純粋な言葉の世界。「外科室」「春昼」「夜叉が池」「天守物語」「高野聖」「義血侠血」どれも絶品だ。繊細のある種の極致ともいえる文章。畠芋之助の別名もあるけれど、鏡花でよかった。

 

6、キャリントン『耳ラッパ』

耳ラッパ―幻の聖杯物語

耳ラッパ―幻の聖杯物語

 

エルンストの恋でレメディオス・バロの友人のシュルレアリスト画家レオノーラ・キャリントン。魔術だとか錬金術だとか神話だとか、そういった妖しげなものが好きなぼくは、いつの間にかシュルレアリズム絵画にも惹かれていった。耳ラッパは、92歳の老女が友人のカルメラから耳ラッパという補聴器のようなものをもらうところから物語が始まる。そうして老女の冒険は、世界の終末というところまで進んでいく。

 

7、ブルトンシュルレアリスム宣言」

シュルレアリスム宣言・溶ける魚 (岩波文庫)

シュルレアリスム宣言・溶ける魚 (岩波文庫)

 

高校の時に知ったマグリット以来ダリ、エルンスト、キリコ、ムンク、モロー、ルドン、ベーコンなど、絵は風景画よりもどこか不穏なものが好きだった。ブルトンの「シュルレアリスム宣言」では、理性の箍を取り払い、夢や無意識の想像力を発現させることが述べられている。剥きだしのイメージの奔流は、例えば麻薬や自動筆記や子供の精神への逆行によって得られる。のちのちの志向を生むことになる諸作の生みの親だ。

 

8、山尾悠子『夢の遠近法』

日本の作家では一番か二番に好き。彼女の純粋に言葉のみで作り上げられた世界には、ある種の取っつきづらさはあるけれど、一度その砦に立ち入ったらもう帰っては来られない。下半身が異様に発達した踊り子、夢を語る獏、囚われの侏儒、太陽や月が中央を通る無限の塔。澁澤龍彦の影響下にありつつ、独自のイメージの世界を作り上げる彼女の新作を今も読み続けられるというのは、大きな喜びだ。

 

9、ボルヘス『伝奇集』

伝奇集 (岩波文庫)

伝奇集 (岩波文庫)

 

ぼくの周囲ではよくボルヘスの名前が挙がっていた。ミステリー、SF、ポストモダン、幻想と違った趣味をもつ4人が共通に話題にするのはボルヘスだった。書物の世界の住人、ボルヘス。「トレーン、ウクバール」「バベルの図書館」など奇想天外な短編は、短いながらそこに収められた世界は長編もかくや、だ。円環と無限を主題にすえた諸作はマルケスと一緒になって文学を変えてしまった。がつん、とくる一冊である。

 

10、残雪「暗夜」

暗夜/戦争の悲しみ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-6)

暗夜/戦争の悲しみ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-6)

 

中国版ボルヘスといってもよいような残雪の薄暗く大きな絶望に裏打ちされた作品群。文化大革命の影響をうけた彼女には外部とのわかりあえなさ、という暗澹たる気持ちが常に存在している。「朝」か「夜」なら明らかに「夜」に属する、そんな作品だ。永遠に明けない夜の主題は繰り返し登場する。この『世界文学全集』の読書会を隔月でしているけれど、毎回強い刺激を受ける作品ばかりだ。

 

11、ルネ・ドーマル『類推の山』

類推の山 (河出文庫)

類推の山 (河出文庫)

 

ドーマルはシュルレアリスムの周辺の作家ではあるけれど、彼らの無機質な感じとは違って、この小説は表向き冒険小説である。世界のどこかにある「類推の山」への登頂を夢見る男女の小説だ。けれど、そこにはいくつもの魔術的イメージがちりばめられている。未完ゆえに無限に開かれていて、圧倒的な想像力が喚起され、なぜか元気の出てくる一冊。いわゆるファンタジー小説のようで、読みやすいのもよい。

 

12、結城聖『テイルズオブシンフォニア

ぼくが小説を書き始めたのも、魔術的なものに興味を持ち始めたのも、音楽を聞き始めたのも、オタクになったのも、すべて中学でであったナムコRPGテイルズオブシンフォニア」のせいだった。さかのぼって「ファンタジア」から「ベルセリア」にいたる巨大な世界観によってぼくの90%くらいは構成されていると思う。これのせいで人生が狂ったのは間違いない。

 

13、二階堂奥歯『八本脚の蝶』

八本脚の蝶

八本脚の蝶

 

おどろおどろしい本でおなじみの国書刊行会の編集者にして、25歳で自殺した、「生きてきた日数よりも読んだ本の方が多い」博覧強記の女性。もう二階堂奥歯よりも長く生きているということが信じられない。彼女の日記である『八本脚の蝶』には、日々のよしなしごとから、ブランド、読んだ本などが雑多に書かれているけれど、その趣味の広さと造詣の深さに恋してしまう。もうこの世にはいないのだけれど。

 

14、長野まゆみ少年アリス

少年アリス (河出文庫)

少年アリス (河出文庫)

 

宮沢賢治のように色をもった言葉でつづられる童話。人間がいなくなった夜の学校には、星や月を天に縫い付ける天使たちが集まる。そこに迷い込んだアリスの一日だけの幻。これが文藝新人賞をとっているのは、とてもすごいこと。この小説を読むと、いつでもひとりの女の子がぼくの頭に浮かぶ。長野まゆみ寺山修司が好きで、ぼくに『旅のラゴス』をくれた女の子。結局ぼくは何も伝えられず、彼女はまさに幻のように消失してしまった。

 

15、小川洋子『寡黙な死骸 みだらな弔い』

寡黙な死骸 みだらな弔い (中公文庫)

寡黙な死骸 みだらな弔い (中公文庫)

 

はじめて読んだのは『博士の愛した数式』だった。それからしばらくして、この本に出会い、そして彼女の描く硬質な世界の虜になった。形あるものの中に蠢くぐじゅぐじゅしたもの、人間の湛えるグロテスクな内面が、11編の連作短編で描かれる。「果汁」は昔、国語のテストか何かで読んで、以来ずっと心に残っていた短編。再会したのは偶然で、こうした奇跡的な体験が積み重なるにつれて、いっそう読書にのめり込むのだった。

 

16、川上弘美『蛇を踏む』

蛇を踏む (文春文庫)

蛇を踏む (文春文庫)

 

小川洋子の紹介で手に取った、おそらく初めて読んだ芥川賞受賞作。蛇を踏んだら女になった、という童話のような話で、なるほどこれが文学というやつかという先入観が刷り込まれることになった。それ以来ぼくにとって文学とは、この世のことでないような不思議な作品をさすような言葉になった。2000年以降の芥川賞受賞作をずっと読んできたけれど、忘れられない一冊だ。

 

17、夏目漱石夢十夜

文鳥・夢十夜 (新潮文庫)

文鳥・夢十夜 (新潮文庫)

 

夏目漱石もまた一冊選ぶのが不可能な作家だ。『三四郎』『それから』『門』の重層的なエモ、『草枕』の言語芸術、『坊ちゃん』『彼岸過迄』のエンタメ、『こころ』の内省や衝撃、どれも一級なのだけれど、やはり初めに読んだ「第一夜」の圧倒的な美しさが心に残る。たった4ページなのに、もう心がわけのわからないくらい動く。「百年はもう来ていたんだな」という言葉がしみる。

 

18、島尾敏雄「夢屑」

夢屑 (講談社文芸文庫)

夢屑 (講談社文芸文庫)

 

こちらも夢を描いた島尾敏雄の短編。夏目漱石や、内田百閒の『冥途』、タブッキの『夢のなかの夢』など夢を題材にした作品は多いけれど、島尾の夢は暴力的で、時には死の香りも漂う。『死の棘』で書かれる現実の不安が、夢の中に投影されているのだろうか。夢はうつつ、うつつは夢。胡蝶の夢だ。第三の新人に分類される作家だけれど、こじんまりしたよさというのを超えた何かを感じる。

 

19、マルケス百年の孤独

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

 

かなり多くの人が文庫化したら、と思っているであろうラテンアメリカ文学の旗手マルケスの傑作。『エレンディラ』などで書かれたマジックリアリズムが各所に散りばめられた、アウレリャノの血と、マコンドという土地の物語。人が死ねば黄色い花が降り、恋した人間を死に至らしめる少女は突如昇天し、死んだはずのジプシーは繰り返し蘇る。読み終わった後には深いため息が自然と漏れた。

 

20、中上健次枯木灘

新装新版 枯木灘 (河出文庫)

新装新版 枯木灘 (河出文庫)

 

日本における土地と血の物語。ぼくは一時期熊野に入れ込んでいて、三山はもちろん伊勢にいたるまでの生と死の蠢く妖しげな土地へ旅に出てみた。鬱蒼とした森、海の静寂、自然のダイナミズムを感じた。そこに育った中上は、路地を舞台に「秋幸」の関係自体を物語にする。異父、近親相姦、暴力、濃密な熱量が文章から漂ってくる。ここまでの汗を描いた小説を、ぼくは知らない。

 

21、谷崎潤一郎青塚氏の話」

美食倶楽部―谷崎潤一郎大正作品集 (ちくま文庫)

美食倶楽部―谷崎潤一郎大正作品集 (ちくま文庫)

 

谷崎潤一郎の短編集を作ってください。もしこんな仕事がきたらぼくは断る。それは不可能だからだ。はっきりいって谷崎の短編はどれも珠玉だ。だからぼくは谷崎の中でも特に気持ち悪いこの作品をあげておきたい。女優の妻をもつ映画監督のもとに奇妙な男が現れる。「あなたは奥さんの撮り方がわかっていない、うちにきなさい」。訪れた男の家で、監督が見たものとは。谷崎は気持ち悪い、そこがいいのだ。

 

22、アンナ・カヴァンアサイラム・ピース』

アサイラム・ピース

アサイラム・ピース

 

何度も自殺を試み、常にヘロインを傍らに生活したカヴァンの短編集。彼女の短編はとにかく不穏だ。よく天井を見て一日を過ごすことがあるのだけれど、ずっとあの白色を見ていると、なんだか禍々しいうねりが見えてくることがある。そういう精神の一瞬の動きを、彼女は文章に落としている。『氷』もながらく絶版だったけれど、文庫になってずいぶん手に入りやすくなった。

 

23、ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』

ドリアン・グレイの肖像 (光文社古典新訳文庫)

ドリアン・グレイの肖像 (光文社古典新訳文庫)

 

ぼくの高校では、毎回英語の定期考査後に英書が配られ、次の考査までの課題となっていた。そこではディックやクラークなどのSF、コリンズやキングなどのミステリー、シェークスピアディケンズなどの古典、そしてこの『ドリアン・グレイの肖像』が取り扱われた。当時1年生だったぼくは、同性愛、自己陶酔、ピュグマリオンコンプレックスという奇怪な物語に打ちのめされたのだった。これを高1で読ませるのはどうかしている。そのあと『サロメ』で第二の衝撃を受けるのだった。

 

24、尾崎翠第七官界彷徨

第七官界彷徨 (河出文庫)

第七官界彷徨 (河出文庫)

 

向精神薬を飲みすぎて夜しか動けなくなる、図書館のほうが居心地がよい、気分が落ち込んだときは歌をうたう。尾崎翠の描く精神衰弱者には、ただひたすらわかる、わかると頷くばかりだ。少女漫画風の筆致の中に、思わず笑ってしまうような会話があり、恋愛があり、けれど全体的にどこかずれている。このずれ具合がやわらかい文章にのって他にない味を出している。

 

25、カフカ『変身』

変身 (新潮文庫)

変身 (新潮文庫)

 

これも高1の時、憧れていた国語の先生が教えてくれたのがカフカだった。親が働く本屋へ行って買った。薄いその小説を朝、学校へ行く前に読んだ。「なんだこれ」と思った。朝起きたら虫になっていた、妹や親にはわかってもらえない。読み終わって、笑いやらかなしいやら、いろいろな感情が虫の足のように蠢いた。そう思って振り返れば、ミステリーや人間ドラマよりも早く、ぼくはワイルドやカフカの妖しい世界に巻き込まれていたのだった。 

 

その②はこち

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