男のメンヘラは生きる道がない。

アイドルが刺されたニュースをみた。

犯人のツイートを見た。ぼくの脳内には血にまみれたぼくがいた。

 

ぼくは4月に仕事を辞めた。その理由についてぼくは何度も考えてみた。直接的な原因、つまり引き金となったのは2015年の夏に言われた「君の仕事には意図がない」という先輩の言葉だった。夏休み、そのほとんどを返上して仕事をしていた。帰るのは終電だったし、朝も始発に近い時間に電車に乗り込んでいた。そういう仕事に追われた生活が、「かみしの」を月食のように欠けさせていった、もしくは変容させていったのは間違いない。そうやって積み重なってきたものが、彼の言葉で壊れた、というよりあふれたのだと思う。

 

ぼくは大学生のときに、「文芸同好会」を作った。なぜかと言われれば、それしかなかったからだ。

ぼくは中学の時に野球をして、高校では吹奏楽をして、大学ではテニスサークルに入った。ぼんやりと、そういうものに触れたいという気持ちはあった。けれど、本当はどうなんだと落ち着いて考えたときに、どれもぼくは別に好きではなかった。

決定的なのは、ぼくは努力が苦手、というよりできないということ、そしてスポーツ神経や芸術的センスが皆無ということだ。

努力ができない、というのはすぐ思考が散らばるからだ。発達障害や分裂症なのではないか、と本気で悩んだ時期もあった。

どれひとつとして、ぼくは熱意をもって取り組まなかった。

情熱、というものがぼくの人生には確実に欠如していた。知識を持つ、ということだけが、ぼくの情熱のわかりやすいパラメーターになった。吹奏楽について、ぼくは練習よりも、熱心に吹奏楽の曲を聞くことを選択した。できるだけ多く、網羅するように聞いた。

知っている、知る意欲がある。それが欠けている情熱を補填する「ポオズ」だった。だった、というと語弊がある。今でもそうだ。

 

やっと話が戻るけれど、そんななにもない「ポオズ」だけのぼくにでもできそうだと思ったのが文学だった。

ぼくは文学部に所属していた。でも、大学にも学部にも、情熱はなかった。

 

そのあたりのことも少し書いておけば、高校時代、ぼくは京都に行きたいというぼんやりとした思いだけあった。それは、源氏物語が好きという「ポオズ」が高3のぼくを形作っていたからだ。本当を考えたとき、ぼくは別に源氏物語を好きではなかった。好き、というキャラクターを作りたかっただけだった。こう書くと中二病の一環と思われそうだけど(実際そうなのかもしれないけれど)、自覚としてはそうではない。

外部に、そういうキャラ=物語を求めていたのだと思う。何にも熱中できないから、何か「好き」なものを探すことで、ある種のキャラを作ってそこに憑依する。

 

また、母校には「授業をきる」という言葉があって、定期的に、そして計画的に授業をさぼっていた。コンビニにいったり、部室でポーカーをしたりしていた。先生に見つかったときも、笑って許してくれたので、自由な高校だったのだと思う。

ぼくが積極的に「きった」のは数学の授業だった。理由ははっきりしない。たぶん先生が嫌いだったとか、国語好き(というキャラ)をもって任じていたからだとか、そんなものだと思う。もちろん自習もしないので、数学の成績はがたがただった。

高3になっても周りは自由で、いわゆる受験戦争のようなぎすぎすした空気はどこにもなかった。これは誇張でもなんでもないのだけれど、ぼくが私立大学と国公立大学の違いを知ったのは、高3の冬くらいだった。旧帝大早慶くらいしか大学の存在を知らなかった。それはぼくが大学というものに全く興味がなかったからだった。

親や教師と話した時も、別に進学でも浪人でもなんでもよかった。

ただ、ぼくは「源氏物語好きキャラ」を守るため、そして数学が苦手だったため、そういうつまらない理由のみでなんとな大学進学と志望学部を選んだ。赤本を買ったのもセンター試験のあとだった(しかも買っただけで開いてもいなかった)。買ったのも、「ポオズ」だった。

 

当然、文学部には文学好きがたくさんいた。ぼくにはなんの熱意もなかった。夏目漱石森鴎外芥川龍之介の違いもわからなかった。

テニサーに入った。それはテニサーが大学っぽいと思ったからだった。ただしぼくは夏までにはサークルを抜けることになる。勧誘を断れず二つのサークルをかけもちして、制度上どちらかをやめるように迫られたからだった。ぼくは二つともやめた。

 

大学一回生の誕生日、ぼくは知り合ったばかりの友人から文春文庫の『太宰治作品集』をもらった。

いまでも鮮明に覚えているのは、「斜陽」をよんだときの衝撃と、ぼくの心を代弁しているかのような太宰の語り口だ。

この太宰の文章を読んで、ぼくは「これなら僕にもできるんじゃないか」と思った。

 

「ポオズ」ばかりだった、と述べてきたけど、この太宰治が好きという気持ちだけは本当だと思いたい。新潮文庫で刊行されているものを読み、新潮版ではもれているエッセーを読むためにちくまの全集を買い、書簡や対談などを読むために図書館にこもった。太宰の批評も読んだし、写真や他人の回想録の類も舐めるように見た。

 

この人はぼくだ、と本気で思っていた。太宰治はぼくで、ぼくは太宰治で、太宰治はぼくだけのために書いている、と錯覚した。源氏物語なんかより、よっぽど好きだった。

ぼくは卒論で源実朝金槐和歌集』を取り扱ったけれど、それは太宰治が『右大臣実朝』を書いていたからだ。どうして太宰の作品そのもので書かなかったかと言えば、太宰がぼくにとって「かみさま」だったからだ。触れてはいけない。あるいは近づきすぎることで嫌いになったらどうしよう、といった不安があったからだった。

 

こうしてぼくは文学の面白さに飲まれていった。『太宰治作品集』をくれた友人とともに、文芸同好会を作った。この会についても、またどこかで書こうと思う。

最初は3人だったけれど、卒業するころには旅行で中型バスをチャーターするほどの規模になった。旅行でいった福井からの帰りのバス、最後部座席に座ってバス全体を見ながら、ぼくはしあわせだな、と実感した。

 

大学時代、ぼくはむさぼるように本を読んだ。一日に三冊は読んでいたと思う。

今、胸に手を置いて考えてみると、これも「ポオズ」だったのではないか、と思ってしまう。はたして小説をあんなに読んで手に入ったものは何だったのか。それは「文学好き」というキャラだけではないか。会長としてサークルにいたころは、そんなキャラも役に立った。でも、今、こうして所属するものがなくなってからは、虚無しか感じていない。読む、読む、読み続けるということが自己形成になっていた、のではないだろうか。

一方で、本を読むのが好きだという気持ちも、本心だった。

「ポオズ」と「本心」とそれを二律背反として認識する上位のぼく。

大学時代に、こういう分裂の兆しがあったのだと、いまさらながら思う。

 

キャラの問題でいえば、ぼくの大学で形成されたキャラは「文学好き」と「ロキノンセカイ系」だった。

ロキノンセカイ系」について書いておく。

きっかけはツイッターだった。当時、まだ「かみしの」ではなかったぼくは、高校の友人から「かみしのくんってなんかロキノンセカイ系」っぽいというリプライをもらった。「セカイ系」というスキームはぼくの中に存在していなかった。けれど、存在を知った。そうすると、ぼくは確かに、ロキノン、だったりセカイ系、だったりサブカルなどと呼ばれるグループの人たちと似たような感性をもっているようだと認識した。

すべては卵が先か鶏が先か、という話なのだけれど、このリプライをもらってぼくは「セカイ系」を認識したうえで振る舞うようになった。

 

ぼくには夢があった。

それはある仕事に就く、という夢だった。

結果から言えば、ぼくはその仕事についた。

 

大学四回生のとき、ぼくは進路に迷った。

ひとつは院への進学、ひとつはその職業への道。

正直に言って、ぼくはその仕事への夢が薄れていた。中学生の時、確かにあこがれていた職業だった。けれど、アルバイトでバイト先の店長から「きみにはそういう仕事についてほしくない」と揶揄されるほど、ぼくは適していない人間になってしまっていた。

一方で、院へ進めるほど自分は文学に詳しくない、と自問してもいた。もっと言えば、ぼくは卒論を書くにあたって文学研究のしょうもなさに辟易してもいた。専門が和歌だったからかもしれない。

 

この瞬間、ぼくは高3に戻っていた。

文学が多少人よりも好き、というアイデンティティしかぼくにはない。起業するスキルも海外進出のコネも文学研究をする力もぼくにはない。ESだって一枚も書いたことはない。情熱がない。ただ、周りがスーツで講義を受けることへの反抗心から髪の毛を赤く染めた「セカイ系」のぼくには、社会に出たくない、という強い拒絶の感情だけがあった。

結局ぼくは、明確な意図なしに、形骸化された夢にすすむことになった。

 

ぼくがその職場で過ごした二年はどうだったのか、とぼくは問う。

客観的にいえばまず仕事はよくできたと思う。さらに、同僚との関係も悪くなかったと思う。

けれど、仕事という時間と人格の浸食に「かみしの」は悲鳴を上げていた。

本が好き、しかないぼくはその時間が奪われたとき、何もなくなってしまう。

 

仕事には常に負い目があった。それはぼくが本当になりたいという意図をもってなったのか、という自問だった。

仕事を本当に楽しいと思うぼくと、楽しいと思い込むぼくと、逃げたいと思うぼくと、「ポオズ」なのかどうかもわからないくらいアツく同僚と語るぼくと、それらすべてが別の人格で、すべてがキャラ=ポオズなんだと判断し、カテゴライズする上位の「かみしのα」が分裂していた。

 

「意図がない」という先輩の言葉は、いわゆるパンチラインだった。『人間失格』で竹一がいう「わざ、わざ。」と同じ威力をもって、ぼくを粉砕した。

 

同時期にいろいろなことがあった。

ほんとうにいろいろあった。

それらのことに、ぼくは未だに折り合いをつけることができないでいる。だから、ここでは触れない。それはとても根源的で、かなしくてせつない事柄だからだ。

 

秋ごろから、電車をみれば飛び込もうとしていた。

すべてが灰色になっていた。

けれど、「かみしのα」がそれを許してくれなかった。死ぬのも、生きるのもポオズだ。そう彼は言っていた。ぼくの言葉、行動、思考、なにもかもを彼はカテゴライズした。キャラとして扱った。

いままで読んだ本、見た映画、触れた物語のデータベースが彼を生んだのだと思う。お前の行動はすべて予測されており、或いは書かれており、すべての結末はありがちだ、と彼はぼくにささやき続けている。

 

外のものを視るときもそうなっていた。

リスカの画像、自殺、ドラッグ、セックス、社会思想、短歌、文学、音楽。

まったく特別には見えなかった。すべては既知、そしてくだらないものだとかみしのαはささやき続けている。

 

ぼくは統合失調症ではないしボーダーでもない。心療内科医によれば、これは「性格」だそうだ。

つまり、いくら処方された薬を飲んでも治らない。

 

25年生きてきたけれど、未だにぼくがどこにいるのかわからない。

はたして、どれがほんとうのぼくなのかがわからない。どれかを本物だと思おうとすると、あるいはすべてはぼくの「部分」であって、どれか一つに決めることなんてできないんだと悟ろうとすると、「かみしのα」は、でもそんなのポオズだよね、とつぶやく。

 

どうやったら彼を殺せるのか。

 

決められた物語というのは、救いだ。

 

刺されたアイドルはぼくであって、刺した人間もぼくだ。

 

ぼくは30代になる前に「かみしのα」を殺せなかったら死のうかな、とぼんやりと思っている(もちろんこれもカート・コバーンや太宰の真似、ポオズ、キャラだとかみしのαは言っている)。

 

ぼくは社会に参入できない。建前と本音をうまく使い分けられない。大人になれない。すべての行動が監視されて、常に嘘だ嘘だと言われている。

なにかをしようとするとき、「本当にお前はそんなことを言える/できるほどの人間か、嘘ではないのか」と言い続ける。

 

こんな長文もすべて、だれかの言葉や思想の受け売りだ。

助けてほしい。