パスピエ TOUR 2017 "DANDANANDDNA"大阪レポート
ライブレポートをご所望の方は少し飛ばしてご覧ください。
ぼく自身こういうことを言い出す人間をあまり信用することができないのだけれど、それでもあえて言葉にしてみたい。
ぼくは音楽に救われてきた。
なにもかもが無意味に思われて、生と死のあいだをふわふわと漂っていた幾度もの時期、ぼくをこちら側にとどめる最後の砦となっていたのはいつでも音楽だった。ある時はクラシックや吹奏楽曲だったし、ある時はロックだったし、ある時はアイドルソングだったし、ある時はヒップホップだった。
かなしみやせつなさと名付けるのも億劫な感情に包まれ、本を読むことはおろか、お風呂に入ることも、ご飯を食べることもできなかった25年間の大部分の時間。それでもiTunesの楽曲をクリックすることはできた。物心ついてからずっと、ぼくの周りには音楽がなっていた。
星新一の「ひとつの装置」という短編には、人類が滅亡したあとの世界で、鎮魂歌を演奏する機械が登場する。終末にはトランペットが鳴り響く。人間の魂を癒す究極のもの、それは音楽に他ならないと確信している。
もちろん聞くだけではなく、自分で演奏したり歌ったりするのも好きだ。うまくはまれば、宇宙に接触することだってできる。きっとそれはドラッグを使わずにナチュラルハイに達することができる、唯一といってもよい手段なのではないかと思う。
話がずいぶん遠回りになったようだけれど、今回ライブに行ったパスピエもまた、ぼくの人生におけるある時期をともにすごしたバンドである。
大学3・4回生のとき、毎日のようにパスピエの「ONOMIMONO」「演出家出演」を聞きながら大学まで歩いた。
大きな大きな死への欲求に飲み込まれそうになったときも、ぼくはイヤホンを耳にはめて大音量で世界を遮断して、京都御所の隅で泣きながらパスピエを聞いていた。
きっとこれはかなりねじ曲がった受容の仕方なのだけれど、ぼくにとってパスピエはぼくの人生の相当にクリティカルな部分と結びついている。
はじめてパスピエに出会ったのは河原町OPAのタワーレコードだった。相対性理論やYUKIと一緒になってプッシュされていた「演出家出演」をはじめとするパスピエのCDのジャケットがまず気を引いた。
何の気なしに視聴して、そして「わたし開花したわ」「ONOMIMONO」「演出家出演」というリリース済みのアルバム3枚を購入した。端的にいえば一瞬で虜となったのだった。
21世紀流超高性能個人電脳破壊行進曲「パスピエ」を標榜していたそのバンドは、ロックだけでなく80年代のニューウェーブ、ポップス、クラシック、ボカロ、エレクトロ、アイドルといった様々なジャンルのエッセンスを取り入れたとても中毒性の高い音楽を完成させていた。そう、思えば、あの時代からパスピエはずっとパスピエとして完成されていたのだった。
実際パスピエのライブを見に行ったのは2013年のRush Ballがはじめてだった。まだ出始めた時期だったので、それほど観客も多くなく、最前列にすんなりと入り込めた。
当時、メンバーは顔を隠していたので、はじめて目の前に素顔で現れたパスピエが不思議に見えた。
今でも忘れられないのが、「チャイナタウン」を演奏しているときに、はしゃぎすぎたぼくのかばんが開き、携帯電話や財布が全部ぶちまけられてしまったことだ。
最前列でわたわたしながら落ちたものを拾うぼくを、大胡田さんは苦笑してみているのではないか、などと自意識過剰なことを思ったりもした。
二回目のライブのとき、ぼくは大学を卒業して仕事を始めていた。2015年「娑婆ラバ」が出たときのツアーだ。場所はzeppなんば。
コンセプトを和風に転じていた時期だった。2年のうちに、パスピエはzeppで演奏できるほど大きなバンドになっていた。今度はかばんのチャックをしっかりとしめ、ライブハウスならではの演出を楽しんだ。
そして今回。
はじめてのときは大学生、二回目は社会人、そして今度は無職だ。
なんばhatchは何度いっても、なかなかたどり着くのが難しい。せめて改札口のところに看板を立ててほしい、などと思いながら会場へ急いだ。
ここにくるのは去年の銀杏BOYZのとき以来だったので、半年ではあまり変わらないな、などと空想しながら開場時刻を少し過ぎて到着した。
ささやかにながれるBGM。ステージに設置された看板。浮足立つ観客。薄暗い部屋。スモーク。
ぼくはホールよりもライブハウスが好きだ。たいていライブに行くときは一人なので、カップルや集団の大学生をかわしながら、どんどんと前の方に進んでいく。
開演が近くなる。どんどん心臓が高まっていく。
照明が落ちる。
カラフルな衣装に身を包んだ大胡田なつきさん、デザインTシャツを身に着けた成田ハネダさん、三澤勝洸さん、露﨑義邦さん、やおたくやさんが次々と登場する。
一曲目は、「&DNA」のアルバム曲である、やまない声。
今回のアルバムは「ANDDNA」ということで、久しぶりに回文のタイトルになっている。それに伴ってか、楽曲の方も「演出家出演」のころのものに近くなっているような気がする。「幕の内ISM」「娑婆ラバ」を通じて一層練り込まれたうえで原点回帰したパスピエサウンドが「&DNA」にはあった。
やまない声は疾走感あふれるチューンで、個人的にアルバム曲の中ではかなり気に入っている曲。
まばゆい光を背に受けたメンバーの演奏で幕を開けた「DANDANANDDNA」ツアー。最初からテンションは最高潮だ。
二曲目は、とおりゃんせ。
前々作「幕の内ISM」に収録の楽曲。「はいからさん」に始まって「つくり囃子」に連なっていく和風パスピエを代表する曲だ。
この曲もよく大学時代に聞いていた。「絶対零度のあたしを連れ出して」というフレーズが大好きで、意味もなくTwitterにつぶやいていた気がする。
サビでは会場全体で「おっおー!」のコール。これもまた間違いなく、テンションのあがる選曲だ。
パスピエです、のあいさつもそこそこに三曲目の万華鏡へ。
これにはおっ、となった。この曲は「MATATABISTEP」のシングルのB面だ。2014年の曲であるうえ、パスピエはあまりシングルのB面の曲をする印象がなかったので、意表をつかれた。
落ち着いたAメロから急激に速度をあげて疾走するサビ。手で円を描きながら踊る大胡田さん。
印象的なイントロから放たれる四曲目のヨアケマエ。
「&DNA」の中でシングルカットされている楽曲の中では一番聞いた曲かもしれない。「革命は食事の後で誰よりスマートにすませたら」と洒落た感じの歌詞が、バンドの肩の抜けた演奏の上にのせられる。
パスピエにはいろいろと武器があるけれど、その一つがキャッチ―なメロディだ。ヨアケマエはその類まれなメロディのセンスが光るキラーチューンだ。
ここで一息。大阪は一年ぶりというMC。
まだ「&DNA」の曲をあまりやってないよね、という話題で笑いを誘いながら、足早に演奏にうつる。
永すぎた春。
このアルバムの冒頭を飾るシングル曲だ。
気がついたらいつの間にか4月になっていた。ずっと冬が続けばいいのに、と思っているうちに冬は死んで、春が生まれる。梅が散り、桜が咲き、土筆が顔を出す。和のテイストを織り込みながら歌われる春の曲は、今の時期にぴったりだ。
「等身大の自分なんてどこにもいなかった」という歌詞にはどこかさみしさを感じる。
そのまま次の曲は、ああ、無情。
アルバム曲のひとつだ。どこかBUMP OF CHICKENの「レム」を感じるような曲で、「過剰な賛美が欲しくて錆びかけてた心が疼いた」なんて部分には思わずうなずいてしまう。
今回のアルバム曲は特にいい曲が多いような気がして、何を演奏してくれても楽しいので、もうひたすらジャンプしながらライブを楽しんだ。
次のDISTANCEもまたアルバム曲。
エレクトロの色味が強い楽曲で、大胡田さんの声もシックだ。深夜の高速でかけたいような、静かな中にも高揚感を感じさせる曲。
ベースのぶりぶり感もたまらない。
そして、名前のない鳥。
「演出家出演」の曲にして、「トロイメライ」と並んでぼくが最も聞いたパスピエの楽曲。まさかやってくれるとは思わなかったので、イントロの時点で泣いてしまった。
大学時代、人間たちに殺されそうになって死ぬことを考えていた時期、京都御所の人の来ないトイレにこもって「名前のない鳥」を聞きながらひたすら泣いていた。
飛翔してしまいそうな抒情的なサウンドに、「名前のない鳥は今日も飛べずにいつしか記号に変わってしまったの」という歌詞に自分を重ね合わせたりしてみた。
この曲を聞くと、いつでも22歳の、京都の、夜の風景が頭に浮かんでくる。そこはなんばhatchではなく、あの頃の京都に変わっていた。
今もこの文章を書きながら、涙が浮かんでくる。
興奮も醒めぬまま、マイ・フィクション。
「&DNA」のアルバム曲だ。「私フィクションになりたくて」。何回もいうようだけれど、パスピエのあまりに明快なメロディにのせられる大胡田さんの歌詞は、深く胸に突き刺さるフレーズが頻繁に登場する。
ぼくたちはフィクションになりたいと模索しながらも、生きている間は決してそうはなれない。
聞き覚えのないイントロに次いで歌われるのは、S.S。
パスピエのライブでおなじみのアレンジ楽曲だ。「演出家出演」のリード曲である「S.S」。カラオケでもよく歌ったな、と懐かしくなる。
「演出家出演」はどうしても京都と密接に結びついている。
ダークなアレンジにのせて、メンバー紹介がされていく。
ライブに行くことの利点とはなんだろうと考えたときに、いくつか思い浮かぶのだけれど、そのうちのひとつにバンドの存在がしっかりとわかるというのがある。
ともすれば、ボーカルしかいないように感じてしまうCD音源だけれど、実際バンドを目の当たりにすればボーカルに加えて、キーボード、ベース、ギター、ドラムがいてこそのバンドだということがわかる。
特にパスピエは2010年代に多かった女性ボーカル、男性バンドのいわゆる東京事変―相対性理論系の編成のバンドの中でも演奏のレベルが高い。彼らのソロパートもライブの見ものの一つだ。
みんなそろってこそのパスピエだ。
どこかコミカルなイントロから歌われる、おいしい関係。
お昼の番組のエンディングのような明るいメロディー。この楽曲の幅広さもまたパスピエの魅力だ。
自然に体が揺れてしまう。「甘さ控えめがいい二人の関係」。キュートだけれど、少しせつなさを感じる一曲だ。
そのままトキノワへとなだれ込む。
前作「娑婆ラバ」のシングル曲。「境界のRINNNE」のエンディングテーマでもある。アニメに提供した楽曲とあって、ひとつ頭の抜けたキャッチ―さだ。
これもまたよく聞いていたなと懐かしくなる。
どうでもいいのだけれど、ぼくの携帯電話のロック画面は「トキノワ」のジャケットの絵だ。大胡田さんの描く絵はとても魅力的。このシングルにはコーネリアスの「NEW MUSIC MACHINE」のカバーも収録されていて、パスピエの系譜が見える一枚だった。
テンションは最高潮のまま、「&DNA」のシングル曲、メーデー。
「ああメンソールふかしてみてもむせかえるだけで虚無」。このフレーズが好きすぎて、よくつぶやいてしまう。
疾走感あふれる一曲。こういう曲を聞くとパスピエの「演出家出演」的一面と「娑婆ラバ」的一面の止揚を感じることができる。パスピエにしか作ることのできないオリジナリティーが全面にあふれている。
はじめから完成されていたパスピエだけれど、まだまだ進化しているのだ。完成の向こう側。遠いところまで彼らは連れて行ってくれる。
ここでMC。
「今日は4月1日でエイプリルフールだけど、パスピエの演奏に嘘はありません」と、日付にかこつけた発言をする成田ハネダさん。
いいことを言っていたけれど、その前に話した『君の名は。』をもじった企業の嘘宣伝のトークでツボにはまっていた大胡田さんはあまり聞いてないようだった。
「このアルバムを作りながらライブで聞いてもらうことをずっと考えていました、この曲も私の声で聴いてもらいたかった曲です」という大胡田さんのMCに続いて演奏されたのが、ラストダンス。
今日はじめてといってもいい、少し落ち着いたアルバム曲。
熱狂していた会場が、心地よいゆったりとした雰囲気に包まれる。
ギターの三澤勝洸さんがダブルネックギターに持ち替え、赤色の照明が煌々と照らす中、歌われる術中ハック。
「娑婆ラバ」のアルバム曲。和のパスピエ、そしてかっこいいパスピエだ。
ギターソロがたまらない。
会場はまた再燃の空気を孕んで、フィナーレに向けて熱狂していく。
ハイパーリアリスト。
「&DNA」最後のシングル曲だ。
シングルカットされている曲はどれもこれも、色があって一言で言えばたまらない。
どれも明るいのだけれど、なぜだかせつない。ライブも終盤、終わってしまうのがかなしくなってくる。
MATATABISTEP。
「幕の内ISM」のリード曲だ。キーボードのパッセージに、会場中が踊りだす。
サビではみんなが「ぱっぱっぱりら~」と手を天井に向けて突き出す。クラブのようになった会場。
誰もかれもがぴょんぴょんと飛び跳ねる。もちろんぼくもぴょんぴょんと跳ね回った。
正統派で盛り上がる曲だ。
ついに最後の曲。スーパーカー。
シングルカットこそされていないものの、MVが出された「&DNA」のアルバム曲だ。
大人なメロディーに、透き通った大胡田さんの歌唱。これまた、深夜の高速道路でかけたい一曲だ。
どこか抒情的で不思議な空気に包まれて、パスピエは袖へとひいていった。
たいていアンコールの手拍子は徐々に早くなってばらばらになっていくのだけど、なぜかパスピエのライブでは一定のリズムで手拍子が続く。
メンバーの名前をコールする大阪お馴染み(らしい)のアンコール。
着替えたメンバーが再登場し、Tシャツの話へ。
今回のアルバムの絵のテーマは「女の子の中からパスピエの遺伝子が出てきている」というものらしい。
「みんなもパスピエをまとって」と笑いながら語る大胡田さん。和気あいあいとした雰囲気だ。
「今回のアルバムの曲はほとんどやっちゃったから少し古い曲を」というMCに今日最後の盛り上がりを見せる会場。
ぼくは言わずもがなだ。
アンコール一曲目は、チャイナタウン。
「わたし開花したわ」のキラーチューン。ライブでは必ずと言っていいほど盛り上がる曲だ。パスピエはこの曲から始まったといってもいい。
ぼくは当然ながらあの日の、泉大津フェニックスを、かばんの中身をぶちまけてしまった日のことを思い出した。
思えば遠くまで来てしまった。
あの頃から身の回りのすべては変わってしまった。永遠に失われてしまったものだってある。手に入れたものの方が少ない。
それでもなんとか生きてこれた。
それは音楽のおかげだし、パスピエのおかげだ。
またかばんの中身をぶちまけたってかまわない。どうせ財布には500円くらいしか入っていない。
ぼくはあの頃の日々の記憶といっしょに踊った。進化しても、どんなに大きな箱でライブをするようになってもパスピエはパスピエだ。おそらくそれは、これからもずっと。
最後はシネマ。
「演出家出演」でライブはフィナーレだ。ぼくはもうなんばにはいなかった。ぼくは、京都を歩いていた。高校生のころから使っていた緑色のiPod。カバーはすれてぼろぼろだ。かばんの中にはいつも3、4冊の文庫本。靴底のないスニーカー。気取った化粧の女の子やかっこつけて道を占領する男の子。時間もろくに守れない京都のバス。松屋の誘惑。なぜだか漂うお茶の香り。御所の森はいつでも深くて暗い。
ぼくはクールの5mgに火をつける。
あるいは泣いていて、あるいは笑っている。
京都が明滅する。
「エンドレスリピートでシャラララ シネマそこはまるでユートピア」。
あの時代、そこはユートピアだった。今でもそうだ。
胸がいっぱいになってきたので、ここで筆をおきます。
おそらくこれからもパスピエを好きだろうな、と確信できる一日でした。
セトリ
1、やまない声
2、とおりゃんせ
3、万華鏡
4、ヨアケマエ
5、永すぎた春
6、ああ、無情
7、DISTANCE
8、名前のない鳥
9、マイ・フィクション
10、S.S
11、おいしい関係
12、トキノワ
13、メーデー
14、ラストダンス
15、術中ハック
16、ハイパーリアリスト
17、MATATABISTEP
18、スーパーカー
~アンコール~
en1、チャイナタウン
en2、シネマ
- アーティスト: パスピエ
- 出版社/メーカー: COCONOE RECORDS
- 発売日: 2011/11/23
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