わすれもの装置

 昼下がりの公園。アール氏はベンチに腰掛け昼食をとっていた。空は青々として雲は白く、絶好のランチ日和というわけだ。
 元気いっぱいはしゃぎまわる子供たちを目で追っていたアール氏は、視界の端にちらりと何かが見えたのに気がついた。
「おや、あれはなんだろう」
 弁当を置き、近寄って見てみると、それは黒色のカバンであった。革製の、ちょっと値の張りそうなカバンである。
「さては誰かが忘れていったのだな」
何しろ今日は絶好のランチ日和だ。浮かれたサラリーマンが一人や二人いたところで、何もおかしくはない。
「うっかりしたやつもいたものだ。そうだ、近くに交番があったな。ここはひとつ、届けてやろう」
「どうも、ありがとうございます」
 アール氏のすぐ近くで機械のような、しかし温かみのある声が聞こえた。
「いったい、なにものだ」
「わたくし、忘れ物でございます」
 どうやら声の主は、アール氏の手の中にあるカバンのようだった。
「忘れ物だと自己紹介する忘れ物も、なかなか珍しいな。おい、君はどこから声を出しているんだい。ははあ、おおかた、テープでも入っているんだろう。動作に合わせて録音を再生するなんて、なかなか面白いいたずらじゃないか」
「いいえ、いたずらではございません。わたくし、忘れ物でございます」
これにはアール氏も慌てた。こちらの会話を予想して、返事を吹き込んでおくのは不可能だ。だからといって、こんなカバンの中に、人が入れるわけもない。
「すると、君は本当に忘れ物なのか」
「本当に、忘れ物でございます」
「そんなこともあるまい。どれ、中身を見てみよう……」
 しかし、カバンは固く閉じられており、どうしても開けることはできなかった。
「なんだか、頭が痛くなってきた。落した人には気の毒だが、気味が悪くていかん。さっさと会社に帰ることにしよう」
アール氏は食べかけの弁当をベンチの上に忘れたまま、会社へと逃げて行った。


数年の月日が流れた。
かつての公園も様変わりし、木々は切り倒され、空の空気もくすんでいた。公園で遊ぶ子供の数も減り、代わりに舗装された道路を走る車ばかりが大きな音を立てていた。
ガールフレンドとデート中のケイは、公園のベンチの下に、ぼろぼろの黒いカバンが置いてあるのに気付いた。
「おい、見てみろよ、忘れ物だ」
「あら、本当。お金なんか入ってないかしら」
「ふふん、見つけたのは俺たちだ。ちょっとばかし、いただいても構わないだろう」
 そう言うとケイは、カバンの口に手をかけた。
「わたくし、忘れ物でございます」
 どこからともなく聞こえてきた声に、ケイとガールフレンドは、腰を抜かしてしまった。
「うわ、いったい誰だ」
「わたくし、忘れ物でございます」
「気色悪いわ。こんなもの放っておいて、早くいきましょう」
「そうだな、それがいい」
カバンは乱暴に地面へ叩きつけられ、ケイはそれを蹴りつけた。カバンは茂みへと飛び込み、清掃員によってゴミとして収集された。
「わたくし、忘れ物でございます」
 その声は誰の耳にも届かず、誰もいないゴミの山で、ただこだまするだけであった。そうしてしばらくすると、かちりと音を立てて、カバンの口が開いた。


「あの、地球という惑星はどうでしょうかね」
 時間はさかのぼり、地球のはるか上空。宇宙連合の使節団員は、団長に尋ねた。
「視察した限りでは、地球人は、なかなか善良そうだった。きっと数日もたたないうちに、警察に扮した、われわれの仲間のもとへ届けられるだろう」
「それにしても、宇宙連合に加えるかどうかを、あんなもので判断してよいのでしょうか。しかも、長い間届けられなければ、内蔵された毒ガスでその星の人々を滅ぼしてしまうというのも、少し過激な気がするのですが……」
「今や、宇宙も人口爆発が進んでいるからな。悪意に満ちた星は滅ぼしていかなければならない。それに地球人は大丈夫だろう。彼らにはおもいやりの心がある。そのおもいやりさえ忘れなければ……」

 

2012年