きたみち、ゆくみち――2018年秋

7月

関東編がはじまった。

といっても、ほとんど変わったことはない。鴨川がないことくらいである。

名古屋へ行き、四流色夜空くんと鳥居くんと飲酒をする。次の日の朝、神聖かまってちゃんの新譜をかけながら、真っ青な空の下で喫煙をする。ニッカの壜が散乱するなかで、青空を割るように流れるの子の声は、夏そのものであった。


神聖かまってちゃん「33才の夏休み」MusicVideo

 

関西では出なかったが、関東には虫がいる。ハッカ油をアルコールと混ぜてそこら中に噴射した。それ以降、虫は見ていないのでなかなか効果があるようである。

「うたの日」というサイトで「仮病乙」に関する問題が発生したのも7月であった。詳しくはブログを書いたので、そちらをどうぞ。

 

kamisino.hatenablog.com

読者の責任、ということについてはいつも考えている。

千駄木のギャラリーにも何度かお邪魔した。「幻」と「TENT」である。あまりギャラリーにはいったことがないけれど、行くたびに刺激を得る。いろいろできそうだな、と思う。谷川千佳という人の絵っぽいと言われた。どうでしょうか?

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【谷川千佳】憂いのある女の子

歯科医に行ったり、必要なものを買ったりと、この月は引っ越しの余韻のような月であった。

 

8月

南アフリカの作家、クッツェーの本を連続して読んだ。イギリス文学、フランス文学、といった西洋文学に比べて、ラテンアメリカ文学、アフリカ文学のくくりはあまりに雑である。ナイジェリアとエジプトではまるで違うであろう。いつの日か西洋に反抗して、国のアイデンティティを背負った作品がたくさん出てくるといいな、と思う。

 

マイケル・K (岩波文庫)

マイケル・K (岩波文庫)

 

 

本でいえば、長らく敬遠していた二大日本文学を読む。志賀直哉の『暗夜行路』と島崎藤村の『破戒』である。ぼくは後者をより面白く読んだ。そういえば藤村も長野県の人間である。彼は詩集しかよんだことがなかったけれど、小説もかなりよさそうである。

カフェ・アナムネでの展示のために、一時帰省する。「ハレルヤ、サマーノイズ」という連作を印刷し、短冊に貼り、壁に貼るような展示である。

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カフェ・アナムネは一二三屋の入っているビルにある。この展示「愛せないノイズ」は、もう四人の共同の展示である。そのうち一名の方は、昨年末に亡くなってしまった。ぼくは米津玄師のTシャツを着ていったのだけれど、その方も米津のシャツを着ていた。物静かで、ほとんど会話はしなかったけれど、何か通じあったような気がした。冥福をお祈りいたします。

同行人と実にいろいろな場所を回った、京都、大阪、住んだのは合計で9年ほどである。生来の出不精ゆえに、まだまだ回れる場所はたくさんあった。

久しぶりに長野に帰省もした。相変わらず閉ざされた土地である。気候だけは素晴らしいと思う。

ひたすらにゲームをした夏であった。初音ミクの『project DIVA』である。音ゲーはあまり得意ではないのだけれど、やり始めるととまらない。

映画は『百円の恋』がよかった。『愛のむきだし』でも、ぼくは安藤サクラの演技が好きであった。『万引き家族』も見たいところである。

 

9月

あいも変わらず精神が悪くODばかりしている。薬を飲んで夜に出歩くと、世界が輝く。これはたいへんよくないことである。

大麻堂のオーナーの『マリファナ青春紀行』の中の「イギリス人とあったらジグザグに逃げろ、銃で撃たれる。メキシコ人とあったらまっすぐ逃げろ、ナイフで刺される」という教訓はまったく役に立たなさそうだけれど面白かった。

名倉編の『異セカイ系』も、なんだか懐かしい小説であった。「まじめに正直に生きていれば、きっとさいごにはしあわせになれます

コレットの『青い麦』の中に、貝殻を灰皿に煙草を吸う場面であった。コレットはこういう小物やふとした瞬間の感情を書かせたらピカイチである。

アルバイトをはじめた。多少なりとも文化に近いアルバイトである。こうして文化的なところに漸近できたらさいわいである。

池袋にクリープハイプの展示を見に行く。大学時代にはクリープハイプを毎日のように聞いていた。『世界観』以降あまり聞いていなかったけれど、聞くようになった。

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映画では『FLCL』と『ポンヌフの恋人』がよかった。ポンヌフは、銀杏の楽曲の歌詞にあることからも気になっていたが、大森さんのおすすめとあってやっと観賞することができた。恋するあまり体を切り刻む主人公の男、他人事ではない。