きたみち、ゆくみち――2018年冬

10月

フェリーニの『8 1/2』を見る。「芸術家の名に値する人間なら“沈黙への忠誠”を誓え」。どうやらイタリア映画がぼくは好きらしい。思い返せば、小説もまたイタリアのものに多く触れた一年であった。

 

8 1/2 [Blu-ray]

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インターネットでひろゆきや橋下元知事、東浩紀などの対談の動画を見る。高校生のときに政治経済を履修しなかったのが、現在の状況に少なからず影を落としているのではないか、という思うことがたまにある。

ライナスの毛布』『オワーズから始まった。』の合同読書会へ行く。『ライナス』について思うところがあったのだけれど、結局発言する時間はなかった。簡単に言うと、この歌集のはじめの連作は、漫画的な記号を消費したものとなっている。「ぽさ」の短歌である。漫画的なデータベースから、記号を借りてきている。これは芸術的な活動とは真逆ではないだろうか、ということである。芸術とは、創造、あるいは破壊をもって記号を新たに結びつける行為ではないかと思うのである。そういう連作を冒頭にもってくることで、以降すべての歌の〈私性〉がシュミラクル化するのではないか。それも処世のひとつだとは思うし、別に悪いこととも思わない。ただ、そのあたりを歌集を出しているような歌人はどう考えているかを知りたかった。

ドラマもよく見た。『木更津キャッツアイ』と『池袋ウエストゲートパーク』である。窪塚洋介もまた好きな俳優だ。『ピンポン』『リバースエッジ』『沈黙』……どれも異様な存在感を放っている。『池袋』のキング役も、やはりかなりよい。こういう飄々としたキャラクターに憧れる。

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神奈川の文学館で行われた寺山修司に関する幾原邦彦J.A.シーザー三浦雅士の対談に、木野誠太郎くんと行く。幾原氏の「寺山は学生運動という自己承認の装置を意識的にアートにした」という指摘はかなり鋭い。「寺山は宗教に近い」とも。『ウテナ』は『ベル薔薇』の二番煎じと思われないために、「本物になりたくて」シーザーの曲を使ったのだという。「本物」とはいったい何なのだろうか。

その他はひたすらアルバイトをしていた。

 

11月

コーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』はかなりよい小説である。「人間は覚えていたいものを忘れて忘れたいものを覚えているものなんだ」「人間たちが生きられないところでは神さまたちも生きられない」。何もかもが終わった世界で旅をする、というテーマが好きなのかもしれない。

 

ザ・ロード (ハヤカワepi文庫)

ザ・ロード (ハヤカワepi文庫)

 

 

『ブッシュ・オブ・ゴースツ』もよかった。かの『やし酒のみ』の姉妹編である。「わたしには、自分を殺そうとして背後から追っかけてくる『死』よりも、自分にとって興味のあるものを見ることのほうが、だいじなのだ

この月は精神ではなく、体調を崩していた。ふらふらになりながら投薬でなんとか体を動かしていた。

阿佐ヶ谷ロフトで行われた借金玉、小林銅蟲、にゃるらの鼎談に行った。ゲストは岩倉文也と実話ナックルズの編集である。詳しい内容を書くことは禁止されているけれど、かなり濃いオールナイトイベントであった。アングラである。岩倉氏の「人と関わると弱くなる、というのは逃げです」という一言はとてもよかった。

音楽では『ポップしなないで』をずっと聞いていた。


【MV】ポップしなないで「魔法使いのマキちゃん」

 

石井僚一短歌賞が発表された。「エモーショナルきりん大全」をどうぞよろしく。

稀風社にあこがれて短歌をはじめたので、そんな稀風社の新刊にのるのは、ほんとうにうれしい。

 

手をつなぐときに一瞬遅くなる歩みのように死んでゆきたい/三上春海『海岸幼稚園』

 

12月

葉ね文庫でサイファーをするらしいので参加した。

サイファーについて書いたことがなかったので、この場で書いておく。ぼくは鬱病になって、しばらく天井を見るだけの生活をおくっていた。何のはずみだったかは忘れてしまったが、同居人とサイファーをはじめた。はじめはうまく言葉がでてこなかったけれど、だんだん素直な言葉が出るようになってきた。サイファーは即興だ。考える時間が許されていないがゆえに、思っていたことがそのまま出てくる。これは、ぼくにとってはよい療法であった。9時間くらいぶっ通しでサイファーをしていたこともある。これは大げさではなく、ぼくが復帰できた理由のひとつはラップなのである。

そういうわけで、ときにはデパスや酒でふらふらになりながらもサイファーをしていたのが大阪であった。ひつじさんやあかごひねひねくんとも、よく鴨川の河川敷でサイファーをした。下北沢でも一度した。言葉を発することは、最善の療法だ。文字を書くのもまた、これに似ている。

なんといっても舞城王太郎の新刊がでたのが大きかった。

浅野いにおの展示にもいった。ぼくは『うみべの女の子』がいっとう好きだ。はじめて読んだときの硬直をいまでも思い出す。

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 神聖かまってちゃんのライブにも行った。投票でセトリを決める、というイベントであった。整理番号が早く、最前列で見ることができた。何度もダイブしてきたので、都合10回くらいはの子をステージへ返す役割をおった。恋人はスタッフに頭を強くおされたらしい。そういうわけのわからない状態になるのが、ライブの楽しさではないかと思う。

マイスリー全部ゆめ」「友達なんていらない死ね」「るるちゃんの自殺配信」を聴けたので、もう年末は思い残すところがない。


マイスリー全部ゆめ  PV  神聖かまってちゃん

あかひねくん、鳥居くんと「どん底」で忘年会をし、年越しはの子のキャスを見ながら迎えた。米津玄師の「lemon」を聞いて泣くの子を見て、感情的になってしまった。

 

 

これがぼくの一年間である。よく頑張ったんじゃないかと思う。2019年、平成が死ぬ年はどうなるだろうか。一日一冊は本が読めたらいいな、と思う。

生き延ばしたい。