『群像70周年記念号』全作レビュー4~ユー・アー・ヘヴィ~

 

群像 2016年 10月号 [雑誌]

群像 2016年 10月号 [雑誌]

 

 

前の記事で「戦争文学は好きじゃない」といったけれど、少しニュアンスが違った、というか主語が大きかったなと反省しました。

ぼくがあまり好きではない戦争文学は、もっと詳しくいえば原爆の文学です。つまり、原爆であったり空爆であったり、ひたすら蹂躙される一般人に関する小説です。

今回扱う大岡昇平の「ユー・アー・ヘヴィ」のような、戦地に赴いた人の戦地での経験を書いた小説は、不思議と読むことができます。

ある補充兵の戦い (岩波現代文庫)

ある補充兵の戦い (岩波現代文庫)

 

 

どこか遠い小説に思えるからなのか、一種のスリル小説のように思えるからなのか、とにかく軍人たち(彼らも一般人に他ならないのですが)の小説というのは、一歩引いた目線から読むことができます。

 

大岡昇平といえば『俘虜記』や『レイテ戦記』、『野火』などが有名な第二次戦後派の小説家として知られています。

じゃあいわゆる古臭い人なのかといえばそうでもなく、晩年にはYMOだったり萩尾望都だったりジミヘンだったり新しいものにもどんどん興味を示し、演劇やフランス文学の翻訳にも手を出した好奇心旺盛な人だったようです。

 

俘虜記 (新潮文庫)

俘虜記 (新潮文庫)

 

 

レイテ戦記 (上巻) (中公文庫)

レイテ戦記 (上巻) (中公文庫)

 

 

野火 (新潮文庫)

野火 (新潮文庫)

 

 

本作は、

 

「この頃の俘虜の話は、型がきまってるな。つかまるまでは、いやに詳しい。ところがつかまってからは、すぽっと、あとがねえんだ」

 

という友人の言葉に触発されて「比島敗戦の経験」の、おそらくは『俘虜記』の補遺として書かれた小品です。友人の発言からわかるように、捕虜として捕まってからの連合国軍とのやりとりが綴られています。

そもそもどうして俘虜になったあとの文章が少ないかといえば、文中で、

 

当時はまだ「敵」という字を文中に使えなかった。

 

「敵中」を「相手の中」では、文章にならない。

 

と説明されています。敗戦後、日本の出版物はGHQの検閲を受けていました。この検閲機関は1949年まで活動し(山本武利『GHQの検閲・諜報・宣伝工作』2013.07より)、規制の制度自体は1952年のサンフランシスコ講和条約まで続いていました。

この「ユー・アー・ヘヴィ」は1953年5月の『群像』に掲載なので、ようやく検閲の波が収まったゆえに書くことができた、ということもできるかと思います。

 

この作品は主人公(としておきます)がフィリピンで歩哨につかまってから、ブララカオという10町(約1キロ)先の街に移動するまでのやりとりが、英語のカタカナ表記を交えながら書かれています。

途中で山道があるとはいえ、現代のぼくたちだったら数十分も歩けばたどり着ける距離です。しかしながら主人公は何度も弱音をあげます。

 

「キル・ミー、キル・ミー、アイ・ウォント・ツー・ビー・キルド・ザン・ウォーク(殺してくれ。歩くより殺された方がましだ)」

 

主人公と歩哨のやりとりは、全くといって殺伐としたものではありません。煙草はいらないかと差し出してみたり、命のやり取りをしている相手同士とは思えない距離感です。

しかしながら、たかだか1キロを歩くよりも死を選ぼうとする主人公の心境に、限界状況を読み取ることができます。死が当然化しているゆえの空気感、死が大きなイベントにならないからこその独特な雰囲気が満ち満ちています。

 

ついに限界を迎えた主人公は、押し問答の末、担架に背負われることになります。

 

「ソーリイ・アイム・ソー・ヘヴィ。アイ・ウェイ・アバウト・フィフティエイト・キログラム(重くてすまない。五八キロぐらいある)」

「シャッタップ(うるさい)」

 

このあたりのやりとりで、米兵も当然ながら疲れているということがわかります。

戦争というのは、人間との人間の命の取り合いということです。枢軸国も連合国も機械ではなく、人間が「消費」される戦いをしていたわけです。

死が日常化しているから、ひとりひとりの命が軽い。

 

その後、主人公をのせた担架は現地人へと引き渡されます。もちろんフィリピン人だって疲れている。主人公の顔にかぶされた帽子をわざとずらして、自分と同じように太陽の下にさらすといった「いじわる」をします。その「いじわる」に対して、主人公もげんこつをもって仕返しをする。

最後の最後に主人公は、この現地人にげんこつの一撃と、

 

「ユー・アー・ヘヴィ」

 

の言葉をちょうだいします。

他人の手に委ねられてはじめて、主人公は自らの体の、存在の重さを再確認できたわけです。

敵、と呼ばれる人々によって自分の存在を承認するという皮肉的な逆説がおきたというわけです。

 

短くユーモアのある作品ながら、戦争という現象の特異性が際立つ作品でした。