四半世紀のベスト②
今回は現代小説が多めです。
その①はこちら
26、藤枝静男『田紳有楽・空気頭』
「七月初めの蒸し暑い午後、昼寝を終えて外に出た。」といういかにも私小説的な一文から始まる「田紳有楽」は、いつの間にか池に沈むぐい呑みや鉢の視点になり、皿は空を飛び、陶器はしゃべり、ついには森見登美彦ばりのどんちゃん騒ぎになる。冒頭の語り手の正体が明らかになったときには、なんじゃ、これはと思わず笑ってしまった。私小説を突き抜けた結果、しっちゃかめっちゃかになった、最高の「文学」である。
ハンセン病の病棟を舞台にした、死と病の命の小説。「人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、いのちそのものなんです。僕の言うこと、解ってくれますか、尾田さん。あの人たちの『人間』はもう死んで亡びてしまったんです。ただ、生命だけがびくびくと生きているのです」と語られる壮絶な描写は、なぜだか丸尾末広の絵で補完された。命そのものが、胎動している。
28、多和田葉子『聖女伝説』
多和田葉子という作家は日本よりもドイツなどで評価されている。「文字派」といわれる独自の路線を行く彼女の小説も、やはり一風変わっている。少女の生/性/聖が練り上げられていく様を、ぼくは外側から眺めていることしかできない。ひたすら白のイメージをもって書かれる文章ではあるけれど、その行間からはどうしようもなく黒い何者かが蠢いていて、恐ろしく、何よりかなしい。
29、ボリス・ヴィアン『うたかたの日々』
肺に睡蓮が咲く病気。ぼくはこの設定だけでご飯がいくらでも食べられる。もともとは『ニュールーマニア』というゲームで知ったこの小説は、実は全編が空想的なイメージで彩られた恋愛小説なのだ。ピアノを弾けば音調によってカクテルができ、音楽をかければ部屋は球体に変形し、スケート場では人間が伸縮し死ぬ。ゴンドリーの映画も、シュワンクマイエル風のアニメが使われていて、たいへん面白かった。
イメージの叛乱といえばこの小説(?)を忘れるわけにはいかない。ヒッピー文化の代表にして、重度の麻薬中毒、妻を射殺したこともあるウィリアム・バロウズ。のちカート・コバーンによってオマージュされるカット・アップや麻薬の自動筆記を用いて、猥語や悪夢が取り留めなく記述されていく。そもそも大麻やLSDとはなんなのか、ということを知るのは決して無駄なことではない。それらをひとえに悪と切って捨てることはできないのだ。
31、町田康『パンク侍、斬られて候』
ヒッピー文化はロックというジャンルを生む。日本でも数多のバンドが生まれた。町田町蔵の『メシ喰うな』はパンクの名盤として、よく名があがる。『告白』もこの小説も、まるで松本人志のコントを見ているようだ。つまり笑ってしまうのだ。時代劇の枠組みは、唐突に入る空間の破れによって、簡単にスクラップ・アンド・ビルドしていく。腹ふり党なる怪しげな宗教をめぐる事件は、ついに世界の終焉へと続いていく。げらげら笑いながらも、ふと考えてみると現代の寓話そのものなのが空恐ろしい。
32、峯田和伸『恋と退屈』
仕事に疲れたぼくは自殺を試みた。けど生きた。偶然、先輩につれられて京都のみなみ会館で銀杏BOYZのライブ映画試写会に行った。そこでは汗と涎にまみれた峯田和伸が「薬やったって手首切ったって人殺したっていいから生きて銀杏BOYZを聞きに来てください」と叫んでいた。だからぼくは生きることにしたのだ。いつでも救ってくれるのは歌であり、音であった。峯田和伸と藤原基央と夢眠ねむがいなかったら、ぼくは死んでいた。
33、高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』
高橋源一郎は時代の空気を吸収する、「文学スポンジ」おじさんだと思っている。たくさん吸い込んだ同時代の水は、堰を切ったように絞り出される。現在の童話的語り口もよいけれど、やっぱり初期の三部作は異常だ。ばらばらに崩された言葉の意味、文章、そして文学。はっきりいってめちゃくちゃだ。けれど、その裏には抒情がある。ここでばらばらにされたのは文学ではない。80年代という時代が裁断され、悲しみの声をあげていたのだ。
34、ブローティガン『西瓜糖の日々』
- 作者: リチャードブローティガン,Richard Brautigan,藤本和子
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2003/07/01
- メディア: 文庫
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西瓜糖で作られた世界。そこでは家具も、言葉も、西瓜糖で作られている。薄い甘さで、死と隣り合わせの日常を生きる共同体。いくつかの詩的な断片で編まれた本作は、例えば高橋源一郎に、小川洋子に、村上春樹に、多大な影響を与えた。このリリカルな言葉たちはページを開くたびにすっと胸に馴染みこんでくる。ぼくは好きになった人にこの小説をプレゼントしてきたのだけど、みんないなくなってしまった。だから、これはここだけの秘密のおすすめだ。
ぼくは村上春樹が嫌いだった。洒落た生活をして、セックスをしているだけの小説だと思っていた。これは、無知蒙昧の極みだった。彼のメタファーとアレゴリーというのはちょっと他の作家には見られない。基本的に村上春樹の小説はすべて好きなのだけれど、ぼくを「深い井戸」から救ってくれたのはこれであった。『レオン』を下敷きにしたと思われる、殺し屋・青豆と小説家・天吾、ふかえりの物語。とうていこの文字数では語りつくせないほどの衝撃を受けた。
- 作者: ジョージ・オーウェル,高橋和久
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2009/07/18
- メディア: ペーパーバック
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はじめて読んだのは高校の英語のサイド・リーダーだった。表紙には大きく目が印刷されていた。社会主義のいきついた先のディストピアが、「二分間憎悪」「ビッグ・ブラザー」「二重思考」などの魅力的な用語をまじえながら描かれる。この小説は徹底的に絶望である。2+2=4と綴れなくなる時代は、確かに歴史の中で存在していた。『動物農場』もまたある時期の社会の寓話だ。新装版はピンチョンの解説があって、よりよくなっている。
37、伊藤計劃『ハーモニー』
おそらくぼくと同年代の人間は、ほとんどこの小説を読んでいる。伊藤計劃以後、なんて言い方は少し大げさだけれど、ぼくたちは伊藤計劃を失った世界で生きている。『1984年』の翻訳にして、優しさや公共性に支配された世界はまさしく今現在、そのものなのではないか。確かに物語自体も百合じみていて面白いし、多くの文学やライトノベルが引用されているのだけれど、何よりこれは自由意志の小説なのだ。
38、円城塔『バナナ剥きには最適の日々』
円城塔というのは奇妙な作家だ。ホラー好きなぼくは物理専攻にして学術博士、システム・エンジニアを経験してきた伊藤計劃の盟友・円城塔を知るよりも、実は奥さんの田辺青蛙の方を早く知っていた。文学とSFを往還する彼の作品はどれも実験的で難解だ。けれど、例えば二重スリット実験を知ったときの興奮がそのまま文字で追体験できるような硬質な文章、その背後に漂う数学的リリシズムは例えば『Self-Reference ENGINE』に、「墓標天球」に、そして本作所収の「equal」に結実している。
39、海猫沢めろん『左巻キ式ラストリゾート』
『動物化するポストモダン』という新書は、東浩紀の社会批評だけれど、この海猫沢の本一冊にゼロ年代がすべてつまっている。ひぎぃ、ひぎぃから始まる大量のエロと冒涜的な文章。村上隆の作品が自ずとオタクに対する批評性をもったように、この小説もゼロ年代への批評性をたたえている。間違いなく問題作であって、『ドグラ・マグラ』を超えるといってもいいポストモダン奇書だ。元ホストという海猫沢の謎の経歴も味がある。
そしてぼくは舞城王太郎へとたどり着く。正直いってぼくはこの小説によって変わってしまった。ほとんどのミステリーやエンタメ作品では心が動かなくなってしまったのだ。このミステリーにして、文学にして、SFにして、ファンタジーにして、ホラーにして、幻想な小説は、『毒入りチョコレート事件』のような多重推理を組み込み、どこか別の世界へぽーんと飛んで行ってしまう。あとには放心したぼくだけが残っていた。『世界は密室でできている。』あたりが入門にはよい気がする。
41、滝本竜彦『ネガティブハッピー・チェーンソーエッジ』
大学時代、これを読んでしばらく大学にいくことができなくなってしまった。現実には、特別なことなんて起こらない。だから見えない敵を作って戦う。けれど、すべて幻なのだ。終わらない日常は続いていく。ただ、薄い灰色が世界を覆っているのだ。今ではスピリチュアルの人になった滝本だけれど、この作品で人生が狂った人も多いのではないかと思う。『lain』や『灰羽連盟』でもデザインを担当している安部吉俊の絵も、くすんでいて素敵だ。
42、金原ひとみ『アッシュベイビー』
綿矢りさとの芥川賞同時受賞で一躍話題となった金原ひとみ。 殺して殺しては、埋めて埋めてに代替できる。ドライブ感のみで構成された拙く幼い文章も、ベイビーなんだから当然だろう。希死念慮そのものを描いた小説だ。男は棒をもつ、女は穴をもつ、男は暴力をもつ。どう叫ぼうとも、この事実は変わることはない。それをまざまざと突き付け、倫理を置き去りにする本作は、人を選ぶだろう。けれど、ぼくは大好きなのだ。
43、本谷有希子『生きてるだけで、愛。』
本谷有希子の名をはじめて知ったのは、『幸せ最高ありがとうマジで!』の演劇だった。そこでは生が強い光を放っていた。寧子は手首を切る代わりに、全身の毛を剃る。働きもせずに男の元に寄生するし、働いたら働いたでちょっとしたことで店を破壊してしまうし、なんでもないことで泣く。変なのはわかっているけれど、変なまま愛されたい。必要なのは矯正じゃなくて同調。そうして、生きてるだけで愛、というのをぼくたちは求めているのだ。
44、鷺沢萠『海の鳥・空の魚』
「切り取ってよ一瞬の光を」と歌ったのは椎名林檎だけれど、人生の一瞬の光を切り取ったいくつもの小品でできているのがこの小説だ。35歳で自殺した彼女もまた、世界の観察に長けていたのではないだろうか。中の短編のひとつは、中学生のとき教材で読んだのを覚えていた。それから教師になり、 高校の教科書に載っていたのをたまたま発見して、ぼくはじーんとしてしまった。人間の光は、何年たっても変わらずに胸をうつ。
45、古井由吉「杳子」
古井由吉は毒だ。過剰に摂取すると、ふらふらして、自分と世界の境界が曖昧になって溶けだしていく。「杳子は深い谷底に一人で坐っていた。」という冒頭から、その世界に閉じ込められる。正常と異常の境界をぐらぐらと揺さぶる杳子。「ここから先は危ない」という具合にざわざわとした不穏を身体的に体験できる文章というのは、たいへん稀有だ。橋を渡るために手を取るシーンなんかは、思わず眩暈がしてしまう。
46、庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』
いわゆる「ぼく」文学のはしりと呼ばれるこの小説は、全共闘に馴染めない童貞文学青年の一日の心象を描いている。モラトリアム人間は、赤頭巾ちゃんという無垢なるものによって救われる。これはぼくのことを書いているのか、と錯覚してしまう漫画にするなら浅野いにおか押見修造系文学だ。この小説を読むきっかけも、『旅のラゴス』の女の子だった。彼女は二作目の『白鳥の歌なんて聞こえない』が好きだった。彼女は、どこかで今も本を読んでいるのだろうか。
これもまた罪作りな本だ。はじめにアニメで見、そうして次々と小説を読んでいった。そこで書かれるのは自分の生活する京都の風土だった。あの鴨川も、あの赤玉ワインも、あの、木屋町もここに書かれている。地の文でくすくす笑いながら読めたのは大学時代のこと、あれから数年たち、森見登美彦という名は京都への愛と憎悪とともに脳にしっかりと刻み込まれている。いまだに猫ラーメンは食べられていない。
48、武者小路実篤『友情』
実篤先生は、白樺派という文壇の中心のグループにいながら、直球の笑いとかなしみを提供してくれる素晴らしい先生だ。『愛と死』では自分の創作した人物の死に涙を落とし、『真理先生』では笑いしか起きない物語を描いた武者小路先生は、『友情』でとんでもないことを書いてくれた。いわゆる童貞的な小説といえば田山花袋の『蒲団』が有名だけれど、こちらはよりひどい。なにがひどいって、これを読むと尋常じゃないくらい傷つくのだ。
49、川端康成『みずうみ』
個人的には谷崎潤一郎の気持ち悪さを、より進展させたのが川端康成だと思っている。「片腕」のフェチズムはすでにホラーの域だ。教師と生徒の恋愛に、「意識の流れ」頽の技法と廃的な雰囲気を纏わせたのがこの『みずうみ』。後ろ暗い人間は後ろ暗い人間としか引き合うことができない。くすんでしまった人間は、きらきらしたものにはもう近づくことはできない。なんとも救いのない小説である。
50、伴名練『少女禁区』
- 作者: 伴名練,シライシユウコ
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2010/10/23
- メディア: 文庫
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ぼくはホラーが好きで、角川の日本ホラー小説大賞の受賞作はほとんど読んできた。他にもいろいろと面白いものはあるのだけれど、やはりこの『少女禁区』の最後の一文に勝る衝撃はないわけである。根がオタクである、ということであろう。この作品以来しばらく伴名練の噂を聞かなかったのだけれど、しばらくして大森望の『NOVA』の中に名前を発見したときは、思わず小躍りしてしまった。
その③↓