きたみち、ゆくみち――2018年夏

4月

谷とも子さんの『やはらかい水』の読書会へ行く。酔っぱらった二次会で、吉川宏志さんに「塚本邦雄が~」と厄介な絡みかたをしてしまう。土岐友浩さんや大森静佳さんと映画の話をした。『夜空は最高密度の青色だ』についての感想が土岐さんと一致してうれしかった。この三次会では短歌人の辻さんとはじめて会った。「invitation」についての示唆はかなり心に響いた。「きみには破壊しかない」という言葉もしかりである。ふらついて自転車を倒してしまった。これはさいわいな一日であった。

7日の日記には「完璧な鬱!エウレカ!」と書いてある。ひと月に一回は、感情が悪くなるようである。

『アデン・アラビア』を読んでいると、長生きしても苦悩しかない人間というのはいるものだということがよくわかる。ニザンには怒りしかない。「すべてを運命のせいにすれば、いつまでもピラトゥスのように手を洗っていればいいってものじゃない

そういえばスペース猫アナへはじめていったのもこの月であった。勝手に冷蔵庫からビール瓶をとり、焦げ、あるいは煙草の灰が散乱したこたつで自由に飲食する。留置所上がりの窪塚洋介似の男と京都でおいしいカレーの話をしていたら、店主を含め、全員が寝てしまったので、たぶんこれくらいだろうという額を置いてその場を去った。無秩序である。

葉ね文庫というセレクトショップがある。ここでも様々な出会いがあった。当時のぼくとしては、短歌をやっている人間というのは全員嫌いだったので、家から徒歩5分くらいにあるこのサロンのような場所を、少し敬遠していた。それは嫉妬の裏返しに他ならなかったのかもしれない。今となっては帰省のたびにふらっと立ち寄る、灯のような場所である。店主の池上さんもあたたかく迎えてくれる。

ここでであった一人が井筒樹さんだ。この人がどういう人なのかは、未だにぼくもよくわからない。そんな井筒さんからカフェ・アナムネでの展示に誘われたのも、この4月だった。

田上くんとはよく飲みに行った。焼酎の魅力に気付いたのは彼のおかげである。

高橋睦郎氏と会ったのも4月だった。部屋に通されたときの空気をぼくは忘れない。変に引き延ばされた時間、高橋氏はゆっくりとぼくの目を見て「お座りなさい」と言った。氏の本をぼくはよく読んでいて、そういう話をしたかったのだけれど、緊張ですべて吹っ飛んでしまった。サインでは「かみしの」と書いてもらいたかったのだけど、「名前は?」ときかれたので「かけるです」と答え、結果としてぜんぶひらがなになった。でも高橋氏もひらがなで書いてくれた。かわいい。

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音楽でいえば、春ねむりのインストアライブへ行った。スピンズの中という変な場所であったけれど、とてもよかった。「ロックンロールは死なない」のである。CDにサインをもらう時に「春ねむりさんの楽曲から短歌を作ってもいいですか?」と聞いたら「ぜひ!」と言ってもらえた。彼女の熱量を再構築するのは骨だ。なんとか成したい。

映画は『リズと青い鳥』だ。これは現代版小津映画なのである。

 

5月

銀杏ばらばらばかな速さで日々は過ぎ本日であうすてきな鳩よ/阿波野巧也『sit in the sun』

 

君は鍵穴 僕も鍵穴 目の前に並ぶ開かない無数の扉/石井僚一『死ぬほど好きだから死なねーよ』

 

イルカがとぶイルカがおちる何も言ってないのにきみが「ん?」と振り向く/初谷むい『花は泡、そこにいたって会いたいよ』

 

文学フリマ東京へ行く。さまざまな人たちと出会った。このあたりからまた精神が悪くなり、日記によるとルネスタソラナックスでらりっていたらしい。「ソラナックス大量嚥下」と書かれているページもあった。やめましょう。

月と600円に参加した。岡部桂一郎『緑の墓』である。「迫る」「近づく」といった動詞の多さ、フランスの象徴詩らしさが目についた。当日は秋馬さんと田上くんとともに塔の事務所へ行く。

誕生日であった。27歳で死ぬつもりだったけれど、結局生きた。世の中に何万人といる人間と同じ思考と同じ結果だ。誕生日の日にはバタイユを読んだ。「しかし私は、大聖堂前の広場で子供のように幸福に笑ったのだ」。この一文にぼくはというと泣いてしまった。

イタリアで川端康成を研究している人と会うので、「意識の流れ」について少し勉強した。これについては、またどこかで形にして残せたらいいな、とおもう。結局アルトーへたどり着いてしまうのだった。彼からはカトリックの教会がいかに腐敗しているか、という話を聞いた。その数か月後に、神父と少年愛の話がニュースになっていたので、少し情報を先取りした形となった。

死ぬのにも形容詞がいるの?鏡のように滑らかな海とかいう?川端康成『青い海黒い海』

ツイートがバズった。17万favは異常だ。

件のツイートをリツイートした漫画家が死んだことについて、そのファンが「好きに死のうな、をリツイートしていたことは問題だと思う」といった発言をしていた。ぼくが言いたかったのは、もちろん死ね、ということではない。「好きに」の部分が一番言いたかったのだ。その選択について第三者が何かを述べる隙間はまったくない。

6月

青葉闇 暗喩のためにふりかえりもう泣きながら咲かなくていい/井上法子

 

玲瓏の神變歌会で歌集批評のパネリストをした。

二次会では佐々木幸綱氏と話し、志賀直哉へ原稿を取りに行ったとき扇風機を向けられ、それに感動し「先生」と呼び始めた、というエピソードをきく。水のような日本酒を飲みながらへべれけになったけれど、楽しい一日であった。

イラストレーターのケント・マエダヴィッチさんを通じて、映像作家の松居大悟氏へ質問をすることができた。ぼくは松居氏の撮る映像がとても好きなのである。あの徹底的な「終わっている感」の源泉について少し触れることができた。

 


MOROHA『tomorrow』Official Music Video

 

6月は雨が降り続き、それに伴って精神もあまりよくなかった。そう思いながら日記を見直すと、半分以上は精神が悪かったようである。中学生のように「死ね」「死にたくない」と殴り書きしてあった。

6月18日は震度6弱地震に見舞われた。ぼくはいつも、地震の起こる(アラートが鳴る)数秒前に目を覚ますという癖があり、今回はそれで助かった部分がある。ちょうどぼくの頭のあった部分に姿見が落ちてきた。アパート全体が砕石機になったような激しい揺れであった。

音楽では梅田のhard rainにながとろさんのライブに行った。りんご音楽祭にも出演しているシンガーである。彼女の歌声は不思議な落ち着きをもたらしてくれる。

『Call me by your name』は大森さんと林和清さんの「映画と短歌」という対談の後、出町座で観賞した。エンドロールの長回しがたいそうよかった。

これをもってかみしの関西編終了である。

最後の日には葉ね文庫へ行った。三角みづ紀さんが来るということを聞いたからである。本谷有希子の夫であり、詩人である御徒町凧氏や岡野大嗣氏もやってきていた。ぼくはバスがあったので途中退散したけれど、どうやらその後飲み会をしていたらしい。悔しさにまみれながら、つまり、若干の後悔を関西に残しながら、関東へと足を踏み入れた。