SPITZ 30th ANNIVERSARY TOUR "THIRTY30FIFTY50"名古屋公演レポート

スピッツのライブに行くのは、「ロックロックこんにちは」のようなフェスも含めればおそらく6回か7回目。

彼らのライブのよいところは、スピッツが好きなはずの人間でも一瞬「何の曲だっけ?」と思ってしまうマイナーな曲を一曲は演奏してくれるところだと思う。今回のツアーは結成30周年ということでどんなセトリになるのだろうとわくわくしながら、炎天の名古屋を訪れたのだった。

大阪城ホールでのチケットは完売していたので、ガイシホールの立見席を購入。

はじめて行く会場だったけれども、交通の便はよかったので開場10分過ぎくらいにホールへ到着。

 

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会場の外ではキーボードのクジさんの出版した書籍や、FCの入会案内、30周年記念のシングルコレクションなどが売られていた。いつもだったらタオルやTシャツを買うのだけれど、今回はお金がなかったので泣く泣くスルーして、立見席へ移動する。

ステージから見て右翼側の天井近くの場所で、椅子ありの席とそんなに変わらなかったのでよかった。

会場入りしてから1時間近くの時間をどうやって過ごすかいつも悩んでいるのですが、とりあえずiPodのイヤホンを耳にさして、半券回収とともに配られたパンフレットを読んで時間をつぶす。隣の人はオペラグラスをもって、今か今かと待ちわびていた。

いろいろなライブに行ったけれど、スピッツのライブはお客さんの年齢層がかなり幅広い。オペラグラスと逆の隣の人は、おそらく60を超えていた。ロックバンドのライブに来る60代といえば内田裕也みたいなのを想起するけれど、完全に好々爺だった。スピッツすごい。

 

しばらく待つと注意事項のアナウンスが入り、会場が暗転。

ライトが消えて、ざわざわとしていた会場が静まり返る一瞬。このはじまりの瞬間は、どんなフェスやライブに行っても、やっぱり気持ちがざわっと高まる。

 

一曲目は「醒めない」。

去年リリースされた15枚目のアルバム『醒めない』のリードナンバーだ。たぶんいろいろなところで言われているだろうけれど、この曲のテーマは「初期衝動」だ。

「最初ガーンとなったあのメモリーに今も温められてる」なんていう歌詞はいかにもスピッツだ。今の時代のロックバンドは、みんな繊細な歌詞や難解な言葉遣いをして、なんとか気持ちを伝えようと苦心しているけれど、その衝撃を「ガーン」というオノマトペでさらっと、だけれどこれ以上ないくらい適格に表現できるのはスピッツの魅力だと思う。

30周年記念のライブを、この初期衝動の曲ではじめるのは、まだまだやっていくぞ、という意志の表明のようで、とてもわくわくする。

 

勢いはそのままに「8823」。

おっ、と思った。「8823」はライブでは必ず演奏する定番曲だけれど、たいてい終わりのほうで、最後の盛り上がりを作るために演奏する。

二曲目にしてあのイントロが耳に聞こえてきたとき、思わず、えっと口に出してしまった。最初から殺しにかかっているような選曲だ。会場も飛び跳ねていた。

スピッツはメロディの直球さももちろんよいのだけれど、やはり草野マサムネの書く歌詞が他と置き換えることのできない味を醸し出していると思う。爽やかな印象やクリアなサウンドに騙されがちだけれど、よくよく歌詞を見るととんでもないことを言っていたりする。早く『草野正宗詩集』が岩波文庫から出てくれないかな、と密かに期待している。

「8823」も「君を不幸にできるのは宇宙でただひとりだけ」という、ありふれたJpop風歌詞の逆をはる言い回しにはっとなる。

個人的には「世界で君を幸せにできるのはぼくだけだよ」と言われるよりも「世界で君を不幸にできるのはぼくだけだよ」と言われたほうが好きになる。つまりそういうことだろう。

 

三曲目は「涙がキラリ☆」。

12枚目のシングル曲。この曲や「ロビンソン」がリリースされた1995年という年を、ぼくはほとんど本でしか知らない。阪神淡路大震災があり、地下鉄サリンがあった時代。社会的に大きな転機となった時代。

スピッツの楽曲は90年代の暗さをあまり感じさせない。時代を超えて、2010年代の今でも古さを感じない。

オリコンで2位を取るようなキャッチ―なメロディだけれど、歌詞を見れば「浮かんで消えるガイコツが鳴らすよ恋のリズム」である。いったい何が見えているのか、不思議でならない。

 

続けて演奏されるのは「ヒバリのこころ」。

1991年にリリースされたデビュー・シングルだ。少し調べてみたけれど、このCDが世に出たとき、まだぼくは生まれていなかった。そんな昔からスピッツスピッツとしてやっているというのが、奇跡のような気がしてくる。

この記事を書くにあたって、曲を流して歌詞を見ているのだけれど、こんなことを言っていたのかという発見が未だにあって、本当に面白い。「魔力の香りがする緑色の歌声」という視覚と嗅覚と聴覚と第六感を往還する歌詞が、こんなに違和感なく歌われているのはどういうことなのだろう、とつくづく不思議になる。

この辺りまできて、なんとなく今回のツアーの選曲の傾向がわかってきた気がした。

 

ここでMC。

今回のツアーではステージの階段が2段だったけれど、名古屋から3段になったので上り下りが楽になったと微笑む草野さん。ベースの田村さんが激しく動き回るのは、いつものことだけれど、今回のツアーでは草野さんも結構動き回る。

メンバーはみんな1967年生まれなので、今年で50歳。どう見ても50歳には見えない。織田信長松尾芭蕉が死んだのも、だいたい50歳だ。なんだか、まだまだやっていけそうだなという活力がわいてくる。

 

そのまま新曲の「ヘビーメロウ」へ。

スピッツの曲はだいたい二、三回も聞けば口ずさめるようになっている。「ヘビーメロウ」も「めざましテレビ」のテーマソングではあるけれど、テレビをほとんど見ないので、聞くにしてもyoutubeだった。けれど、いつの間にか口ずさめるようになっていた。

カッティングギターとファンクな曲調が心地いい。

あと、この曲はMVがとてもよいのでぜひ見てみてほしい。

 

次は「冷たい頬」。

どうやらここは、別日では違う曲になる枠らしい。「冷たい頬」を初めて聞いたのは『とげまる』のツアーだった。初めていったスピッツのライブだった。たぶん20歳前後だったと思う。

ふりかえってみれば、何もかもが変わってしまったけれど、スピッツは変わっていない。素敵だ。「それがすべてで何もないこと時のシャワーの中で」という何ともいえない無常な歌詞が胸を打つ。なにもかもを諦めながら、それでも空を掴んでいるような、何もない日々を空虚に進んでいるような、マイナスなポジティブ。好きな曲のひとつだったので聞けて良かった。

 

余韻はそのままに「君が思い出になる前に」。

今回のツアーのセトリにはシングル曲が多いけれど、シングル曲は逆にあまり聞かないというところもあるので新鮮だった。たぶん「君が思い出になる前に」は、iPodなどで聞いた回数よりも、河原町BOOKOFFで聞いた回数のほうが多い気がする。

シングル4枚目の、完全に売れ線を狙った楽曲だけれど、思惑通りに見事に売れたようだ。1993年のことなので、ぼくは2歳。だけれど、物心がついたときには知っている曲だったので、どれだけスピッツが世の中に浸透しているか、ということがわかる。

 

ここで2回目のMC。

「あまり男は日傘をささない風潮があるけれど」と草野さん。東京へいけば(川谷)絵音くんのような男の子が案外さしているよ、という報告に続けて「あれ、やってみるとわかるけれど涼しいんですよ」とのこと。日傘を差してもおかしくない50歳は貴重なのでどんどん広めて、男が日傘を差してもおかしくない世界を作って行ってほしい(ぼくもできることなら日傘をさして外を歩きたい)。

ご当地ネタでは、プライベートで食べにきたうなぎがおいしかった、という話。店で並んでいてふと隣を見たらスピッツがいたら、絶対に度肝を抜かれる自信がある。

 

小休止をはさんでから、次の曲は「チェリー」。

まず間違いなく、スピッツの中でも最も有名な曲のひとつだ。ぼくも中学生のときに授業で歌った記憶がある。愛唱歌集にのるくらいポピュラーな曲だし、「愛してるの響きだけで強くなれる気がした」なんていう甘い歌詞だけれど、よくよく考えれば「チェリー」っていうのは「童貞」のことだろう。

どうどうと教育現場で「童貞」を連呼してもおかしくない空気を作り上げているのは、すごいことだと思う。「死とセックスのことしか歌わない」と過去のインタビューで話していた草野さんだけれど、「海とピンク」や「プール」や「ラズベリー」なんかは、ちょっとどきっとしてしまうような性の曲だ。それでも何のいやらしさもなく「おっぱい」なんて歌えるのは、おそらくスピッツくらいのものだろう。

 

そして「さらさら」。

春の曲で繋がっていくけれど、ここもオルタナ枠だ。『小さな生き物』が出たときによく聞いていたのを思い出すけれど、あれからもう4年たっているという事実に愕然としてしまう。

横浜の赤レンガ倉庫で十数年ぶりの野外ライブをしたときに歌っていた印象が強い。あの日のライブは音響はそんなによくなかったのだけれど、当時リリースされていたアルバムから少なくとも一曲は演奏してくれたり、「ハチミツ」の歌詞を間違えたり、川を挟んだホールでアジカンがライブをしていたり、何かと特別だったので深く印象に残っている。

そのままポートタワーや中華街をぶらぶらしながら帰ったけれど、日本各地にスピッツの思い出があるのもなんだかいい感じである。

 

そして「惑星のかけら」。

一度はライブで聞いてみたかった曲だったので、思わずはしゃいでしまった。

私事だけれど、大学時代にスピッツの「恋する凡人」をテーマにスピッツの小説を書いたことがある。その時にいろいろな楽曲を元ネタにしたのだけれど、当時のぼくには(今もだけれど)、「君から盗んだスカート鏡の前で苦笑い」という歌詞がエモくてエモくて仕方がなかった。

惡の華』や銀杏BOYZの「SKOOL KILL」でもそうだけれど、好きな子の私物を盗むということの背徳感は青春そのものだと思う。

その青春像ともったりとしたメロディライン、「骨の髄まで愛してよ僕に傷ついてよ」という直球の歌詞が、心臓のど真ん中を撃ち抜き、一日に50回はリピートして聞いていた。

かなり好きな曲のひとつ。

この辺りからぼくは麻痺し始めて、ぼんやりとステージを眺めていた。

 

モリーズ・カスタム」も定番曲だ。

この曲のときは、たいてい照明がちかちかするので、テンションもそれに連れて高くなる。スピッツの中でもディストーションの利いた激しい曲だ。まだ中盤のはずなのだけれど、自然に体が動き、少し疲れすらも見えてくる。

掲げた右手を左右に振りながら、うきうきの気分になっていた。隣の人もオペラグラスを下ろして手を振っていた。

なんだかんだ言いながら、こういう一体感は嫌いじゃない。

 

そして、聞いたことがあるはずなのに、なんだったか思い出せないリフ。

歌いだしの「僕のペニスケースは人のとはちょっと違うけど」というところでやっと「波のり」であることがわかった。

『惑星のかけら』に入っているアルバム曲で、マイナー中のマイナーだ。30周年という割り合い大衆向けであろうツアーで、さらに年齢層が広い会場で、わざわざ「波のり」を演奏するところ。ここがスピッツのよさなのだ。普通はやらない。

セトリを見てみたら、他の日は「エスカルゴ」をやっていたので、かなりラッキーだった。直後のMCでも「25年ぶりくらいに演奏した」と言っていた。

ロックバンドがあふれている現代でも「ペニスケース」を歌詞に入れるバンドはいないんじゃないかと思う。どれだけ挑戦的なのだ、という話である。

 

まだ半分もいっていないけれど、MCでやっと休憩といった感じで一息つく。

ギターの三輪さんもいうとおり、年々MCが長くなっていく。短い漫談を見ているような掛け合いも楽しい。

草野さんが初めて芸能人にあったのは赤ん坊のとき、母親と一緒にいった布施明のイベントだったという。その後(たぶん)布施明の曲をワンフレーズだけ歌っていたけれど、何の曲かはわからなかった。けれど、会場はけっこうざわついていたので、年齢層の高さがうかがえる。

それから、解散の危機は草野と田村の「てっちりとふぐちりの違い」の論争のときぐらいだよね、という小ネタを挟んでいく。

案外バンドの解散理由というのは、そういうくだらないものなのかもしれないな、と思うと30年続けてくれているスピッツがありがたく見えてくる。

 

ここからはある意味でラッシュだ。

まずは「ロビンソン」。

これもまたスピッツのもっとも有名な曲のひとつだろう。1995年という時代。「大きな力で空に浮かべたらルララ宇宙の風にのる」という神秘的な歌詞が、オカルトな時代背景と照らし合わされたりもした。

確かにスピッツの魅力のひとつにはどこかオカルトな「魔」の存在というのがある。

けれど、ぼくは少なくともこの曲においては「誰もさわれない二人だけの国」というセカイ系な世界観が死ぬほど好きなのだ。これはゼロ年代の、あのざわざわ感にも十分通じると思う。

あとどうでもよいけれど、これをカラオケで歌うと地声でもかなり高い音程になるので、オクターブ上で歌っている草野さんの化け物具合がよくわかる。

 

そのまま「猫になりたい」。

さっきから好きな曲好きな曲言っているけれど、これもやっぱり好きな曲だ。

まるで日向でごろごろしている猫のような曲調で、「猫になりたい」と歌う。ぼくも猫になりたい。「消えないように傷つけてあげるよ」という歌詞が特にたまらない。

猫になって好きな人の腕の中でさみしさを紛らわせたい、という受動的な態度だけでなく、ちゃんと傷をつけるのだ。

「消えないように」というのは「誰が/何が」なのだろう。「ぼくの存在」なのか、それとも「きみの存在」なのか、「痛みという感覚」なのか。傷つけあうことでしかつながることのできない関係、というのがここに集約している気がする。

スピッツの歌詞には「傷」という言葉がたくさんでてくる。

 

クジさんのピアノ伴奏から「」へ。

まあ、次から次へと心臓が切り裂かれていくような選曲である。

はじめてこの曲を知ったのは高校時代。合唱コンクールに歌う曲を決めるにあたって、いくつか候補を挙げた中に「楓」も挙げられていた。

ぼくは指揮をしていたので、すべての曲を聞いてみたのだけれど、この曲だけが色濃く脳にこびりついた。結局、別の曲をうたうことにはなったのだけれど、密かに「楓」は聞き続けていた。

圧倒的な別れと空虚の曲。今では思い出すだけでうううううううう、っとなるのだけれど、17歳の夏に告白してふられたぼくは「胸が傷つく曲集」を作ってきいていた。今この文字を打ちながら、心臓が裏返って口から出そうな衝撃に襲われている。

まあ、詳しくは延べないけれど、「楓」もその中の一曲だった。

だから「楓」を聞くと高校時代がぶわっと頭に浮かぶ。この前、高校時代の友人から結婚式の案内状が届いた。時代は進む。つまり、そういうことだろう。

「チェリー」にしても「惑星のかけら」にしても、意識していないところでぼくの人生を貫いているのは、何気にスピッツだった。

 

次の曲は「夜を駆ける」。

『三日月ロック』に収録の曲だけれど、スピッツの中でも人気の高い曲だと思う。基本的にスピッツの曲は春や夏の昼、という印象の曲が多いのだけれど、この曲は夜だ。

「君と遊ぶ誰もいない市街地」「滅びの定め破って駆けていく」という歌詞も、なんだかディストピアを感じる。なぜだか知らないけれど、女の子二人が、廃墟の中を手を繫ぎながら走っていく絵が頭に浮かぶ。

 

ここでメンバー紹介。

いつもはアンコールのときにメンバー紹介をするので、珍しかった。

リーダーの田村。「デビューしたら、目標がいくつかあった。キャプテンレコードからCDを出すことと、新宿ロフトでワンマンをすること。もう達成しているから今は惰性なのかもしれない」と笑いを誘う。

キーボード、クジ。「30周年なので30年前に買ったTシャツを着てきた。今日の会場は足元が市松模様になっているけれど、新宿ロフトを意識したの?」と新宿ロフトの思い出を続けて話していく。

ドラム、崎山。「新宿ロフトでイベントに出れると決まったとき、俺は授業を受けていたのだけれど、リーダーが学校までやってきて『イベント決まったよ!』と報告してくれたのが未だに記憶に残っている。本番では張り切ってツーペダルのドラムにしたけど、演奏できなかった」と、スピッツの歴史を語っていく。

ギター、三輪。「おじさんは話が長い」と、彼らしい端的さに笑いが起こる。

最後に草野マサムネは、「モグラのクリスマス」というインディーズ時代に作ったという、音源化されてもいない曲を弾き語る。謎の曲だった。

 

ここからラストスパート。

正夢」。

この曲にも苦い思い出があって、小学生のころ、放送委員会だったぼくは、クラスメイトからリクエスト曲を募っていた。その中で挙げられたのが「正夢」で、いよいよ当日になってぼくは放送室の機材を壊してしまった。

「放送機材の故障でリクエスト曲は流れません」というアナウンスをしたとき、ぼくは世界が終わった感覚がした。そんな極めて私的なことなんかも、思い出してしまう。Jpopの効用なのではないかと思う。

 

記憶のもやもやが続く中、「夢追い虫」へ。

これもとても好きな曲だ。「削れて減りながら進むあくまでも」という歌詞が好きで、大学の行き帰りにずっと流していた。

スピッツは健康で健全に見えて、実はぼろぼろだ。擦り切れている。自分のことを「虫」と認識しているのだ。だから、彼らはいつまでもパンクなのだ。

終電のなくなった地下鉄四条駅でスピッツを聞きながら泣いていたときがあった。そういう力のあるバンドなのである。

 

運命の人」。

バスの揺れ方で人生の意味がわかった、だとか、愛はコンビニで買える、だとか、決して仰々しくない、日常のふとした瞬間にスピッツは大発見をする。

この曲を聞くと毎回、長い映画のエンドロールを見ている気分になる。

 

恋する凡人」。

先ほども書いたけれど、ぼくはこの曲で小説を書いた。iPodの再生回数は、ぶっちぎりで一位だ。この曲にはすべてがつまっていると思っている。恋だとか、ロックだとか、そういう衝動は決して理性で何とかなるようなものではないのだ。

土砂降りの中を走るようながむしゃらさだけを信じて生きていく人生を、ぼくは素敵だと思う。

「これ以上は歌詞にできない」という結末には、もうなんの言葉もでない。

 

ベースのごりごり音。定番の「けもの道」。

田村さんは相変わらず動き回る。冒頭の「東京の日の出」を「名古屋の日の出」にかえて、突き進んでいく。

立見席ですら酸欠なのだから、アリーナだともっとすごかっただろうなと思う。

 

そしてまさかの「俺のすべて」。

これもまた『とげまる』ツアーのときに聞いた曲だ。7年前の再現のようで、胸がいっぱいになる。友人が一番好きな曲だといっていたけれど、本当にたまらない。

「俺の前世はたぶん詐欺師か呪い師」と飄々と歌っていく。

 

最後は新曲の「1987→」。

インディーズ時代の「泥だらけ」のセルフカバーともいえる曲だ。

初期衝動の曲で始まり、シングル曲を中心にアルバム曲も演奏し、インディーズ時代の再現で終わる。なんだかスピッツの30年をまるまる詰め込んだようなセトリだった。

最高。

 

アンコール一曲目は「SJ」。

『醒めない』の中でも、あまり目立たないアルバム曲だ。なぜに「SJ」と思ってしまう選曲の妙だ。何気に『醒めない』のツアーのときに聞けなかったので、うれしかった。

 

「ありがとうございました!」の掛け声とともに、最後は「春の歌」。

ヒバリは春を告げる鳥だ。「ヒバリのこころ」でデビューしたスピッツが、「春の歌」で30周年ツアーを終える、というところに、偶然かもしれないけれど、強い意図を感じた。

「冬来たりなば春遠からじ」だ。

春は永遠と、再生の象徴だ。きっとスピッツは永遠に続いていくのだと思う。

雷雨が鳴り響く中、ぼくは余韻に浸りながらずぶ濡れでガイシホールをあとにした。

 

 

セトリ

1、醒めない

2、8823

3、涙がキラリ☆

4、ヒバリのこころ

5、ヘビーメロウ

6、冷たい頬

7、君が思い出になる前に

8、チェリー

9、さらさら

10、惑星のかけら

11、メモリーズ・カスタム

12、波のり

13、ロビンソン

14、猫になりたい

15、楓

16、夜を駆ける

17、正夢

18、夢追い虫

19、運命の人

20、恋する凡人

21、けもの道

22、俺のすべて

23、1987→

 

アンコール

En.1、SJ

En2、春の歌

 

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