キャス読書会第一回『ノーライフキング』覚書

 

ノーライフキング (河出文庫)

ノーライフキング (河出文庫)

 

 

80年代は浅田彰宮沢章夫がのちに回顧するように、あらゆるものが記号化し、ジャンクが堆積している時代であった。サブカルチャーという概念自体もこの時期に日本に取り入れられ、民族的統一性をもつ日本では、ニューアカブームと共鳴して本来の意味と異なった文脈で語られるようになった。消費の時代にかこつけてアニメ、ゲーム、音楽、ファッションなどの雑誌が80年代に数多く創刊していることからも、あらゆるものが分化され、意味付けられていったことがわかる。

宮沢章夫は『「80年代地下文化論」講義』の中で六本木を象徴として次のようなことを語っている。輸入レコードショップ〈六本木WAVE〉のあった箇所には、現在〈六本木ヒルズ〉が存在している。80年代はWAVE=動/ダイナミズムの時代であり、それはバブル崩壊以降ヒル=静/スタティックな時代となった。オタク文化、クラブ文化をはじめとするサブカルチャー文化がうなりをあげ、いろいろなものにタグをつけ、有意味化していったのである。

 

東京大学「80年代地下文化論」講義 決定版
 

 

この記号化の時代が、のちに〈渋谷系〉〈下北系〉〈セカイ系〉といった系、「っぽさ」を生んだことは想像に難くないであろう。試みにいくつか論文を調べたところ「ぽい」という言葉は江戸時代から使用例はあるものの1970年後半から80年代初頭の著作で「若者言葉」として紹介されていた。「ぽい」は「らしい」などに比べて、マイナスの意味を付与する場合に多く使われる。まさにレッテルはり、差異化、階層化、有意味化である。

90年代末期から2000年代には『文藝』の特集で阿部和重を筆頭に〈シブヤ系文学〉〈J文学〉のように、メインカルチャーサブカル化するかのような言葉が生み出されている。80年代の文学といえば1981年の田中康夫『なんとなく、クリスタル』や高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』のように、従来の文学の私小説的、モノフォニー的な形式を破壊するポストモダン文学というものが登場してきた。1987年のよしもとばなな『キッチン』は少女漫画的といわれる。いわゆるサブカルチャーを文学に輸入したものである。

 

 

さようなら、ギャングたち (講談社文芸文庫)

さようなら、ギャングたち (講談社文芸文庫)

 

 

キッチン (角川文庫)

キッチン (角川文庫)

 

 

ノーライフキング』に話をうつせば、この子どもによる世界の創造は、疑うことなく「大人」社会の、より正確を期せば、80年代カルチャーの転写であるといえよう。

フランスの批評家カイヨワが『遊びと人間』の中で「自然の無秩序状態を規則づけられた世界に変える必要があり、遊びはそのような世界の予見的モデルを提供しているのである」と述べるように、子どもの遊びは社会構造のモデルとして発見することができる。

 

遊びと人間 (講談社学術文庫)

遊びと人間 (講談社学術文庫)

 

 

「インベーダー」や「ゼビウス」などの遊びは例えば中沢新一によれば、フロイト的欲動の原体験である。有意味化以前の場所=宇宙に侵略者が現れては消えていくというのは、反復強迫の顕現であり、不安をコントロールできるように象徴的な体系を構成しているのである。

 

 

雪片曲線論 (中公文庫)

雪片曲線論 (中公文庫)

 

 

大人社会というものは例えば法であり、経済システムであるような多くのコードにのっとって進行している。しかし、それが発生する瞬間があるはずで、80年代という時代がサブカルチャーという神話を生み出し続けているという事実をいとうせいこうは、子どもの遊び、ゲームを用いて表現したのだろう。

 

噂のひとつひとつがすでにノーライフキングという大きな物語に書き込まれていた気がする。彼らの噂のネットワークは、突然変異的に発生する物語を収納する、不気味で巨大な物語を作り出してしまっていた。

 

奇しくも映画という「サブカルチャー」を同じく文学に取り入れ、子供社会に大人社会のコードの発生を仮託した作家に谷崎潤一郎がいる。彼の「小さな王国」は、『ノーライフキング』の副読本として一読に値するだろう。

 

小さな王国・海神丸 (少年少女日本文学館4)

小さな王国・海神丸 (少年少女日本文学館4)

 

 

いとうせいこうが特異なのは1983年に一般化した「メタフィクション」を用いて、物語のほころびを批評性として組み込んでいるところであろう。

本作は悪魔のソフトにして噂の正体「ノーライフキング」の話でありながら、『ノーライフキング』という現実の著作として書かれている。さらに「NOW LOADING」のような文を挿入し、主人公の動作を細かく描写することによって、この小説自体をあたかもゲームであるかのように描いている。

 

ひたすら右へ全速力。およそ三十秒後、まことは、大通りに出る手前の小さな書道教室の角を左歩方向に回りこむ。

 

駅まで早足で八分。午後五時〇三分発の電車に乗って六つ目の乗り継ぎ駅まで十五分。到着と同時に向かいのホームに白桃色の電車がすべり込む。その三両目に移動して四つの駅をやりすごし、五つ目の駅まで十三分。そこから塾までが徒歩十五分。

 

さらに作中では、この構造について登場人物の「さとる」や「まこと」による以下の発言やがある。

 

さとるの指の下にはライフキングがいた。

「これがノーライフキングでしょ」

 

最後にさとるはハーフライフ一匹一匹をそっと触った。

「で、これがぼく」

 

ノーライフキングは呪われたソフトの名前だ。そしてそのソフトの主人公の名前だ。しかし、自分たちを実際に襲いつつある呪いの総称でもある。

 

ここでの構造をまとめると、①ノーライフキングの主人公はノーライフキング、②ノーライフキングのプレイヤーはハーフライフ、③ノーライフキングは噂であり、呪いである。

この構造に当てはめるならば、三人称一視点の主体となるまこと=ゲーム『ノーライフキング』のプレイヤー=小説『ノーライフキング』の主人公となり、命を記述するハーフライフであり、噂の正体でもあるノーライフキングでもあるという多重性を獲得する。

そして80年代の「世紀末」の噂が蔓延する社会を社会『ノーライフキング』とみなせば、この小説『ノーライフキング』の受け手≒読者=プレイヤー=ハーフライフ=噂の正体という空間が表出する。

終末思想に基づいて噂=ノーライフキングを構成しているのは誰なのか、それはその噂世界の登場人物である我々だということになる。

そしてこれは無記名化に対する、個の戦いのすすめでもある。転じれば記号化される一方で死への憧憬を高めていく80年代への「鶏口牛後」といった檄文であるともいえよう。そうなると東日本大震災を受けての『想像ラジオ』での復活も、村上春樹阪神・淡路大震災に共鳴して書いた『神の子どもたちはみな踊る』以降書いてきたものとあわせて考えれば納得のいくものであろう。

 

「無名って恐ろしいわね」

「なんだって?」

「ゲリラが一一五名戦死というだけでは何もわからないわ。一人ひとりのことは何もわからないままよ。妻や子供がいたのか?芝居より映画の方が好きだったか?まるでわからない。ただ一一五人戦死というだけ」

ゴダール気狂いピエロ」――村上春樹神の子どもたちはみな踊るエピグラフより

 

想像ラジオ (河出文庫)

想像ラジオ (河出文庫)

 

 

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

 

 

kamisino.hatenablog.com

 

以上のように80年代の文化批評としての一面をもつ『ノーライフキング』においては、子ども社会の形成を描く一方で大人と子どもの対立が描かれる。

子どもにより創成された価値観=物語=コードを理解できない人間が唱えたのはゲームの廃止だった。

 

子どもを野放しにするな。ライフキングを奪え 

 

つまりは道徳や倫理、旧常識に基づいたコードの上書きである。その結果何が訪れたかは、小説で書かれているとおりである。

 

大人たちは誰も、それがかえって子供たちを追い詰めてしまうことに気づかなかった。

 

呪われたノーライフキングはライフキングであり、ハーフライフであり、それを奪うというのは世界を、ひいては命を奪うということに他ならないのである。

この根本的無理解、レッテルに基づいた批判は言うまでもなく、1989年の宮崎勤による幼女殺害事件、1997年の酒鬼薔薇事件、2008年の秋葉原通り魔事件でも繰り返されている。

この『ノーライフキング』の子どもたちの虚構は、例えば葬式ごっこで泣いてしまう「みのちん」のように、実際に感情を動かす。「リアル」の反転した終幕に表現されているように、終末の噂は、現実に作用する。この延長上に宮台真司のいうところの「終わらない日常」の人工的ハルマゲドン、地下鉄サリン事件があることを考えれば、『ノーライフキング』の批評性と普遍性はかえりみられてしかるべきであろう。

 

終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫)

終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫)

 

 

1999年のノストラダムスの予言が無事に終幕して以来2012年のマヤ文明の予言、彗星の激突、アセンションという終末思想、またくねくねや八尺様、バンドの楽曲の怖い解釈などの死の欲動に裏付けされたネットロアはインターネットを媒介として無数に展開されている。その中でも『虚構推理』などは、ネットロアを描いたミステリーとして面白い。

 

虚構推理 (講談社文庫)

虚構推理 (講談社文庫)

 

 

噂が世界を意味付け、人を動かすという本質は、マスメディアがネットに敗退し、相互監視となっている社会、第三次世界大戦という新たな終末思想を獲得した現代においては、再確認されるべきではないだろうか。

噂や雰囲気というのは、ひとりひとりが作り出すものであり、ジャンルや記号化に反抗して、自分の声を上げること、命の記述をすることが常に求められることなのだ。

 

「日本はじめての世紀末はデマしか生まないと思うんですよ」

 

子供はマンガのヒーローを殺して

最終回を勝手につくった

明るいマンガを暗くしたがった

誰もがそれにきづかなかった

噂はすぐにひろがりだした

どんな噂だってもうどうだってよかった

世界破滅のイメージを誰もが欲しがった

「噂だけの世紀末」より

 

Mess / Age

Mess / Age

 

 

twitcasting.tv

 

twitcasting.tv

 

ぼくとK氏とでんぱ組

2011年、今出川通

 

ぼくはアイドル好きの友人から「でんぱ組.inc」の話を聞いていた。

「最上もががうんちゃらかんちゃら」「りさちーが云々」……。正直そのほとんどを覚えていない。というのも、当時のぼくはアイドルにあまり興味がなかった。

それでも何の気なしに「W.W.D」を聞いてみた。

なんの虚飾もなくいうならば「ああ、なるほどね」くらいの反応しかしなかったと思う。

今になってみれば、これがアイドルを必要としない人間の精神状態だったのだとはっきりわかる。

 

2014年、春。

 

就職する。

 

2014年、京都の某カラオケ。

 

好きだった人といったカラオケで、その人が「でんでんぱっしょん」を歌う。

「ん?」と思った。わけのわからない展開の曲だった。けれど、やけに頭に残るメロディだった。

もちろん好きな人が歌っていたからだ、というのもあったと思う。

家に帰ってからぼくは「でんでんぱっしょん」のPVを見た。電波的彩色、おもちエイリアン、作曲玉屋2060%。稲妻が走った。

「すげえ」

この瞬間、ぼくはでんぱ組.incの曲を好きになった。

「サクラあっぱれーしょん」「でんぱれーどJAPAN」「バリ3共和国」……。

 

2014年、冬。

 

職場で先輩に「どんな音楽好きなの?」と聞かれた。

ぼくはいくつかの当たり障りのないロック・バンドとともにこう答えた。

「最近、でんぱ組っていうのにはまってまして」

その数日後、社内のメールで(どんな社なんだという話なのだけれど)でんぱ組の出る番組の情報が流れてきた。あまりのタイミングのよさにびっくりした。

これがぼくとメールの送り主、K先輩とのはじめての出会いだった。

K氏とぼくとは「部署」が違い、なかなか話す機会がなかったのだ。

 

2015年、春。

 

死にたくなる。

ぼくの中で決定的に何かが壊れる音を聞いた。

理由ははっきりしているのだけれど、それについては書かない。というか、まだ書けないというのが正しい。思い返すだけで、頭の中でしゃぼん玉がはじけていくからだ。

 

ぼくは音楽に救いを求めた。

本は全然読めなかった。

ぼくは精神を偶像(idol)崇拝によって正常に保とうと心がけたのだ。

アレゴリーではない。これはぼくにとっては肉体性すら伴った現実だ。

ぼくは「でんぱ組.inc」が好きになった。

狂ったように、これは比喩ではなく狂ったようにでんぱ組の曲を聞いた。もちろんCDは(プレミアのついているものまで)買った。ファンクラブにも入った。Youtubeで関連動画を見まくった。ほとんどの動画は見たのだけれど、なぜかラジオは聞けなかった。

それは彼女たちの「卑近」な部分を見てしまうかもしれないという畏れからであり、触れてしまうことで「神聖さ」が失われてしまうことを恐れたからだ(MV以外の動画もはじめは見るのが怖かった)。

 

ぼくは夢眠ねむが好きだ。理由は様々あるけれど(タナトスヒュプノスだとかいろいろ言い始めると収拾がつかなくなるから)、一言でいえば「こういう感じの人が好きだから」だ。

 

2015年から、ぼくとK氏は同じ部署、同じ部屋の勤務になっていた。

噂では「でんぱ人事」と呼ばれる人事のおかげで、ぼくはK氏からいろいろなグッズをもらったりした。

詳しくは語れないのだけれど、この部署は通称「監獄」で、地獄のような労働環境だった。

限界状態の中、ぼくとK氏は頻繁に飲みに行ったり、カラオケに行ったり、職場から駅まで送って行ってもらうような関係になっていた。

K氏の車の中では、常にでんぱ組が大音量で流れていた。

K氏はファンを公言していて、職場でどんどん「布教」をしていた。

ぼくはといえば、アイドルが好きだということに恥を感じていた。ぼく自身、アイドルオタクというのは「気持ち悪い」という気持ちが強かったからだ。

けれど、ぼくはK氏を見ていて、好きなものにすべてをかけられる姿勢をかっこいいと思い始めてもいた。

 

自分の心を殺して、仕事をつづけた。

職種柄、大人の建前が激しく求められた。

ぼくはどんどん分裂していった。

信じられないけれど、ぼくは仕事が好きになっていた。

その仕事が好きだったという気持ちは今でも持ち続けている。

でも、分裂していくぼく、ペルソナが本物になろうとしているぼくに語り掛けるぼくαが常に「嘘だ、お前は嘘だ」と頭の中でつぶやき続けていた。

ぼくはそれに耐えることができなかった。

 

23時に退勤、家に帰ってはでんぱ組を聞き寝落ち、5時に起きる。

本を読む時間はなかった。音楽に救いを求めるのは必然といえば必然だったのだと思う。

 

2015年、5月。

 

ぼくはK氏、それからK氏の友人とその彼女、というよくわからないメンツでナガシマスパーランドにいた。

「かみしの君、でんぱ組のイベントに行こう」

機械のようにパソコンに向かっていたぼくに、K氏はささやいた。

『おつかれサマー!』のリリースイベントということだった。

ぼくは、よくその言葉を飲みこめなかった。

でんぱ組に会う、というのは当時のぼくにしてみれば神との邂逅である。

そもそも、「イベントに行く=会うことになる」という等式すら心の中でしっかりとは結べていなかったと思う。

よくわからないまま、よくわからないメンツと、よくわからないイベントに行くことになった。

朝5時集合、日ごろの早起きが役に立った。

 

正直、アイドルファンをなめていた。

朝6時くらいに会場につくと、すでに長蛇の列。コスプレイヤー、典型的なオタク、常連風の男女……。異空間だった。

なんの列かもよくわからないままK氏に促されて並んだ。

日差しが暑い。長袖を来たぼくを殴りたくなる。

並んだ。

並んだ。

7時間近くたちっぱなしだ。

せいぜいバンドのライブの待機列くらいしか並んだことのないぼくには、ありえない苦行だった。

ようやく何かスタッフの声が聞こえてきた。

一枚の紙を渡され、そこには「夢眠ねむチェキ券」と印刷されていた。

チェキ?

本当になんのイベントかもわからず並んでいたぼくは、聞きなれない単語を調べた。

写真、と検索結果が表示された。

ん?つまり写真を撮る、ということ?ん?どういうこと?

何層もの意識を突破して「2ショットの写真を撮る」という事実にたどり着いたときも、ぼくはいまいち事態を飲み込めていなかった。

 

チェキ会の前にはライブがあった。

ぼくはてっきりライブだけだと思っていた。

 

さらに2時間ほど待機した。

会場では常連らしき人たちが騒いでいた。

ぼくが今までいっていたライブの客層と明らかに違う。

なんて気持ち悪いんだ、と思った。

機材トラブルか何かで開始が遅れた。

しばらくざわついたあと、彼女たちはステージにあがった。

曲を披露する彼女たちを、ぼくはどこか遠くで聞いている気分だった。

本当にあきれるしかないけれど、音源ではなく、歌って踊っている彼女たちを見ても、ぼくは理解できていなかった。

すべてを(誇張ではなく『2001年宇宙の旅』のボーマン船長のように)かみ砕いて飲み込んだのは「でんでんぱっしょん」のイントロが聞こえてきた時だ。

「あ、本当にいるんだ、この人たち」

言葉にするなら、そんな感じだ。

それから、いろいろなことを思い出して泣いた。踊りながら泣いた。暗かったから隣でサイリウムをふるK氏にはばれていなかったと思う。

 

興奮が落ち着かないままチェキ会になった。

今ではすべて理解していたぼくは心臓が高鳴るのを通り越して、変に静かな心境だった。

もが・ピンキー・ねむが前半、りさ・みりん・えいたそが後半。K氏とその友人はみりん押しなので別れ、ぼくはピンキー押しのK氏の友人の彼女という、よりにもよって一番話しづらい人と列にならんだ。「あはは、天気、いいですね」というテンプレの会話を本当にすることになるとは思わなかった。

しばらくして列が三つに分岐した。

ぼくのまえには同じく友人と別れた女の子が並んでいた。

 

どんどんと列が進んでいく。

列の先にはピンキーとねむが小さく見えていた(もがは逆側だった)。

ピンキーはこの公演で足をくじいてしまっていたので、座っていた(余談だけれど、その状態を見るまでそんなことわからないくらい動いていたので、プロってすごいと思った)。

 

列はどんどん進む。

ぼくの前の前、リュックサックのお兄さんが終わり、目の前の女の子が移動する。

スタッフが荷物を置くように指示する。

背中側にあった机にリュックを置く。

振り返る。

夢眠ねむと目が合う。

世界がとまる。

夢眠ねむは小さなため息をつく。

きっと多くの人と写真撮って疲れてるんだろうな、と頭だけはフル回転していたので思った。

思っていたより身長が低かった。

夢眠ねむがぼくの左に立つ。

近い。

フラッシュが光る。

ぼくは離れて明後日の方向を見て「ありがとうございます。応援しています」という類の言葉を発する。

「ありがとう~また来てね!」と夢眠ねむが言う。

 

これがすべてだ。これだけなのだけれど、ぼく生まれて一度も味わったことのない感情を味わった。

胎内巡りのあとの如来無明長夜の光、を体験した気がする。

まぶしくて見れない、というのは本当にありうることだった。

あの瞬間だけは、ぼくは世界に二人だけしかいないと確信していた。

そのときの感情を友人に話すと、「なかなかきもいな」と言われた。ぼくもそう思う。

 

チェキには奇妙な距離感のぼくとねむ、日焼けして顔が黒く、阿呆のようににやけているぼくの顔がくっきりと映し出されていた。

 

2015年、秋。

 

仕事をやめることは、もう決めていた。

けれど、誰にも言えなかった。

それは、逆説的だけど仕事が好きだったからだ。

仕事場でのぼくと、心の中のぼくは、完全に分離していた。

今でもぼくは心から仕事が好きだったといえるし、一方では心から死にたかったともいえる。

あいかわらずK氏はぼくを飲みやラーメンに誘ってくれた。

部署の愚痴を言い、来年も頑張ろうね、と鼓舞しあった。

「はい!」

ぼくはK氏に嘘をついていた。

 

 

2015、冬。

 

夏の出来事、やめると職場でいえないこと、親にいえないこと、笑顔ででんぱ組のグッズをくれるK氏、慕ってくれる職場の子どもたち、用意された昇進ポスト。

ぼくの仕事用ペルソナはぶっ壊れた。

でも、相変わらず顔は笑っていた。

 

2016年、2月。

 

K氏とでんぱ組のツアーに行くことになる。

ぼくの仕事は3月までだ。

ぼくはこの機会にK氏に仕事をやめることを言おうとしていた。

 

三重県の文化会館に、K氏の車で向かう。

グッズを買う。

もうファンたちには慣れていた。

配信されたばかりの「破!to the Future」が流れる待機列は、どんどん進んでいく。

ナガスパでのライブは5、6曲の縮小バージョンだったので、フルタイムのライブを聞くのはこれが初めてだ。

 

ライブの内容については多くのレポートがあるだろうから多くは書かないけれど、夢眠ねむ観光大使就任式が見れてよかった。

隣にいたハードなファンと仲良くなった。

みんな人間だった。

 

興奮状態でぼくはK氏とご飯を食べに行った。

「よかったね!4月からのパワーをもらったね!」

屈託なく笑うK氏の顔を見てぼくは

「はい!」

と元気に嘘をついた。

 

2016年、3月。

 

ぼくは仕事をやめた。

全職員の前であいさつをする日の前々日、帰ろうとするぼくの背中にK氏が話しかけてくれた。

「……やめるんだってね、部長にはしっかり話しておいた方がいいよ」

3月にもなれば、ぼくがやめるという噂はとっくに広がっていて、当然K氏のもとにも届いていた。

最後までぼくのことを気遣ってくれたK氏に、結局ぼくは全く自分のことを言うことができなかった。

家に帰ってでんぱ組を聞いた。

ただ救ってほしかった。

 

 

ぼくが仕事をしていた2年間、常にバックグラウンドにはでんぱ組.incが流れていた。

プライベートもパブリックも、ぼくの記憶は彼女たちの曲とともに思い出されてくる。

5年前は「なるほど」としか思わなかった「WWD」のねむパート、「ふと気づいたらここで笑ってた」という歌詞を聞いて、ぼくはそういう「ここ」になったであろう場所を、自分のどうしようもない弱さから放棄してしまったことを、K氏の笑顔とともに思い出す。

 

人間が生きるためには「物語」が必要だと思う。

少なくとも2年間、ぼくはでんぱ組に自分の物語を仮託していた。

 

最近ねむは「破!to the Future」の歌詞の一部「もしこれがほしいのならば、どうぞあげるもういらないわ」をよく引用している。

新譜『GO GO DEMPA』は明らかに、でんぱ「らしさ」を破ろうとしている。

作曲からも、歌詞からもびしびし伝わってくる。

あの時確かに感じた、「誰も触れない二人だけの国」的世界からの脱却だ。

浅野いにおが歌詞を担当した「あした地球がこなごなになっても」を聞いたときから感じていた。

彼女たちは、いわゆる「非日常」的な存在から「日常」的存在になろうとしている。

モラトリアムを抜け出そうとしている。

 

ぼくの一時期を形成した藤原基央もまた大人になり、でんぱ組.incも大人になろうとしている。

ぼくはまだとどまっている。

 

0000書店紀行:番外編inブックオフ~後編~

前編はこちら↓

kamisino.hatenablog.com

 

 これって知ってる?

 

 長野まゆみ、好きだね結構。この人はすごいよ、文字だけで別の世界を作り上げるというか。『少年アリス』でデビューしてると思うんだけど、宮沢賢治とか山尾悠子とかに近いかも。幻想小説

 

少年アリス (河出文庫)

少年アリス (河出文庫)

 

 

 結構読んでるの?

 

 いや、2,3冊くらいだけど、それもとてもよかったね。『夜啼く鳥は夢を見た』と『聖月夜』かな

 

夜啼く鳥は夢を見た

夜啼く鳥は夢を見た

 

 

聖月夜 (河出文庫)

聖月夜 (河出文庫)

 

 

 これみんなけっこう推してるんですよ

 

 とてもよいよ

 

 最近中村文則が100円コーナーから消えてしまったというね

 

 人気なのかな、やっぱ

 

 そう人気になって全部100円以上のコーナーに置いてあるっていう

 

 中村文則だったら何が一番好き?

 

 うーん……『土の中の子供』か『遮光』だけど、まあ『遮光』かな。デビュー作の『銃』と似てるけど、洗練されて短くなってる。まあ、死んだ恋人の指をホルマリン漬けにして持ち歩く話ですね

 

土の中の子供 (新潮文庫)

土の中の子供 (新潮文庫)

 

 

遮光 (新潮文庫)

遮光 (新潮文庫)

 

 

銃 (河出文庫)

銃 (河出文庫)

 

 

 (笑)いいねえ、そういうのは

 

 いいんですよ、どうしたみたいな。大丈夫じゃない感の出てるやつを読みたいね

 

 樋口一葉、エモいんですよね意外と。5000円札の人という印象があるけど

 

にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)

にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)

 

 

 こういう文章読めるってのはいいよね

 

 まあほとんど古文だからね(笑)

 

 古文10点だったから駄目なんだよ(笑)

 

 (笑)でも古文ゆえの流れる文章というのはあるんだよね

 

 そういえば聞きたかったんですけど、東野圭吾って面白いんですか

 

 んー、ドラマでいいって感じ(笑)

 

 映像的って感じ?

 

 まあ、そうかな。わりとドラマがあるから、感動みたいなのは映像で見ればいいかなという。普通に面白いんだけど、2時間ドラマサスペンスの原作っていうような感じ

 

 そうなんだ(笑)絶対買うやつ見つけましたよ、藤沢周

 

 おお、『ブエノスアイレス午前零時』、いいじゃないですか

 

ブエノスアイレス午前零時 (河出文庫)

ブエノスアイレス午前零時 (河出文庫)

 

 

 読みたかったやつ。あの、『死亡遊戯』ってのは読んだことあるんだけど、これは読んだことあるんでしょ?

 

死亡遊戯 (河出文庫文芸コレクション)

死亡遊戯 (河出文庫文芸コレクション)

 

 

 ある

 

 その話を聞いて絶対読みたいと思ってて、これも90年代のいわゆるJ文学と呼ばれたものだよね

 

 湿った空気感がよかったね

 

 これはじゃあ買いますね。意外とたまってきたな

 

 まだ外国文学コーナーとかあるんだけどね

 

 そうだね、これは『日蝕

 

日蝕・一月物語(新潮文庫)

日蝕・一月物語(新潮文庫)

 

 

 おお、平野啓一郎

 

 これ芥川賞なの?

 

 芥川賞だね。錬金術師かなんかの話じゃなかったかな

 

 平野啓一郎すき?

 

 あー、実験小説しか読んでないんだよね。『日蝕』はまだ読んでない

 

高瀬川 (講談社文庫)

高瀬川 (講談社文庫)

 

 

 おお珍しい

 

 普段ラノベとかアニメしか触れない後輩が面白いって言っていて、だから一見難しそうに見えて面白い物語があるんじゃないかって思ってる

 

 youtubeでなんとか文学界っていうアカウントがあって、平野啓一郎とか田中慎弥とか柴崎友香とかが所属していて、こう、インタビューみたいのをやってて面白いんですよ

 

 へえ、それは面白そう

 

 本多孝好って知ってる?

 

 結構好きだよ。『MISSING』の「瑠璃」だっけ、あれが心にきた記憶がある

 

MISSING (双葉文庫)

MISSING (双葉文庫)

 

 

 そうそう、瑠璃っていう名前なんじゃじゃなかったけ

 

 大人な乙一というか、村上春樹っぽい乙一というか、ビターな感じよね

 

 ビターな感じ、そうそう。ハルキチルドレンとか言われてるよね。うまいんだよ

 

 文章が透き通っていて、かつミステリーだから

 

 そうなんだよね、意外と。『FINE DAYS』も読んだんだけど、よかったですよ。意外と刺さるみたいな

 

FINE DAYS (角川文庫)

FINE DAYS (角川文庫)

 

 

 乙一とか好きな人におすすめしたい。村上春樹も意外と置いてあるね

 

 本当だ。村上春樹はどれが好き?

 

 それね、すごい難しい質問なんだよね(笑)基本的には一番最新で読んだ村上春樹が一番好きな村上春樹なんだけど、ま、あえて挙げるなら『羊をめぐる冒険』か『海辺のカフカ』か『1Q84

 

羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)

羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)

 

 

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

 

 

1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫)

1Q84 BOOK1〈4月‐6月〉前編 (新潮文庫)

 

 

 3つのどれか(笑)

 

 うん(笑)どれが好き?

 

 僕はもう『1973年のピンボール』ですね、どれも好きだけど。初期が好きかな

 

1973年のピンボール (講談社文庫)

1973年のピンボール (講談社文庫)

 

 

 初期が好きなら、逆に『騎士団長殺し』を読んでもいいかもしれない

 

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

 

 

 文庫化されたら(笑)完璧なんだよな、泣いちゃうんだよな

 

 村上龍のほうはあんまり置いてないな

 

 『限りなく透明に近いブルー』くらいしか読んだことないな

 

新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)

新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)

 

 

 『愛と幻想のファシズム』とか面白いらしいよ

 

愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)

愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)

 

 

 名前からしていいよね。『ラブ&ポップ』って原作あるんだっけ

 

ラブ&ポップ―トパーズ〈2〉 (幻冬舎文庫)

ラブ&ポップ―トパーズ〈2〉 (幻冬舎文庫)

 

 

 と思うよ。あのエモいMVね

 

 あ、これなんか、家に三冊あるとか言ってなかったっけ(笑)

 

 宮本輝。うん、三冊ある(笑)『蛍川』、とてもいいよ。しみじみといい。「川三部作」っていうのがあって、「蛍川」「泥の河」「道頓堀川」っていう

 

蛍川・泥の河 (新潮文庫)

蛍川・泥の河 (新潮文庫)

 

 

川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)

川三部作 泥の河・螢川・道頓堀川 (ちくま文庫)

 

 

 続編とかではなく?

 

 うん、別の作品

 

 意外と『となり町戦争』とか僕好きですけどね

 

となり町戦争 (集英社文庫)

となり町戦争 (集英社文庫)

 

 

 ああ、三崎亜記

 

 なんか戦争が起こってるんだけど目に見えないんだけど、死者はいるらしいみたいなところが、現代的だなと。あと『向日葵の咲かない夏』とかね、道尾秀介、大好き

 

向日葵の咲かない夏 (新潮文庫)

向日葵の咲かない夏 (新潮文庫)

 

 

 あったね、懐かしいな。いつ読んだっけな、高校の時かな

 

 これは暗いですよ、3日くらい学校休まないといけない

 

 (笑)結構胸にくるよね

 

 森博嗣も少しあるけどね

 

 本当だね

 

 『すべてがFになる』とか読んでないんだっけ?

 

すべてがFになる THE PERFECT INSIDER S&M

すべてがFになる THE PERFECT INSIDER S&M

 

 

 えっとね、漫画で読んだんだよね

 

 あ、漫画で読んだんだ、じゃあ内容はだいたいわかってるんだ

 

 なんとなくだけどね(笑)おお、連城三紀彦

 

 なんなの?

 

 ここにはないんだけど、『戻り川心中』っていうのが最高なんですよ

 

戻り川心中 (光文社文庫)

戻り川心中 (光文社文庫)

 

 

 へえ、何の人なの?

 

 『幻影城』っていう雑誌の人で、泡坂妻夫とかと一緒にやってたりするんだけど、まず文章がすごくうまくて、大正・昭和くらいの退廃的な世界観で。ミステリーって「フー・ダニット」とか「ホワイ・ダニット」とかっていうのがあるんだけど、「ホワイ・ダニット」、どうしてその犯罪をしたのかっていうのの、少なくともぼくが読んだ中では一番の傑作だと思う

 

 へえ、けっこう厚いの?

 

 いや、短編集だね。もうね、胸が掻き毟られる。よねぽもあるな、『クドリャフカの順番

 

クドリャフカの順番 (角川文庫)

クドリャフカの順番 (角川文庫)

 

 

 本当だ、三冊目だね、読んだなあ高校の時に。小市民シリーズもね、秋で終わりなんだよね

 

秋期限定栗きんとん事件〈上〉 (創元推理文庫)

秋期限定栗きんとん事件〈上〉 (創元推理文庫)

 

 

 ね、秋で終わってる。早く冬を出してほしい

 

 いや、秋で終わりらしいよ

 

 え!秋で終わりなの!?

 

 秋で完結らしいよ

 

 誰が言ってたのそれ?

 

 米澤穂信

 

 何やってんのよ、頼むよ

 

 同志社か大谷大かどこかに講演にきたときに行ったんだけど、その時に言ってた。「秋で終わりですって」(笑)

 

 いや、ちょっと待ってくれよ(笑)

 

 秋って上下で出てるんだっけ

 

 そうだね、二巻でてる

 

 それで四冊でいいんじゃないか、みたいな

 

 本当に待ってくれよ(笑)「冬期限定クリスマスケーキ事件」とか出してくれよ

 

 吉田修一とかもあるよ

 

 最近『悪人』とか映像化してたね

 

悪人(上) (朝日文庫)

悪人(上) (朝日文庫)

 

 

 やっぱり『パーク・ライフ』とか読んでみたいな

 

パーク・ライフ (文春文庫)

パーク・ライフ (文春文庫)

 

 

 あれはよかったよ

 

 文芸部の方々が目の敵にしてた山田悠介っていう人がいるんですけど、僕はけっこう評価してますよ(笑)

 

 (笑)設定はすごい面白いしね

 

 文章は拙いかもしれないけど、先取りしてる感があるよね。『アバター』とか『ライヴ』とか今のインターネットとかみんなのやっていることを先駆的に取り入れていて、そこはいいと思う

 

 

ライヴ (角川文庫)

ライヴ (角川文庫)

 

 

 ここらへんはもう……

 

 違う感じだね、綿矢りさとかないね

 

 綿矢りさかと思ったらケータイ小説だった

 

 ここらへんは時代小説か

 

 時代小説も読んでみたいけど、いっぱいシリーズがあるからどこからいっていいものか

 

 そうね、葉室さんって何か

 

 直木賞か何かとっていた気がする

 

 田中慎弥と何かやっていた気がする

 

 やっぱり吉川英治の『三国志』シリーズとかはたいへん面白いけどね

 

 

 へえ、三国志知ってる人か

 

 三国志知ってる人だね(笑)けっこう好きだよ

 

 日本史だったっけ?

 

 両方やった。ここらへんは外国だね

 

 いいね、これいつも買うか迷ってるんだよね、『愛人』

 

愛人 ラマン (河出文庫)

愛人 ラマン (河出文庫)

 

 

 『愛人』は名作だし買ってもいいかもしれないね。『アーサー王物語』はもってたんだっけな、忘れてしまった。ジャン・コクトーが結構置いてあるな、『恐るべき子供たち

 

中世騎士物語 (岩波文庫)

中世騎士物語 (岩波文庫)

 

 

恐るべき子供たち (光文社古典新訳文庫)

恐るべき子供たち (光文社古典新訳文庫)

 

 

 ああ、この前買いました

 

 おお、いいねえ

 

 意外とカフカの『変身』まだ読んでないんですよね

 

変身 (新潮文庫)

変身 (新潮文庫)

 

 

 逆にね、有名すぎて読んでないパターンはあったりするよね

 

 この前ようやくカミュの『異邦人』を読んであれはよかった

 

異邦人 (新潮文庫)

異邦人 (新潮文庫)

 

 

 あれはよいよね

 

 どんどん挑戦していきたいよね。あ、ゾラだ

 

 『ナナ』だ

 

ナナ (新潮文庫)

ナナ (新潮文庫)

 

 

 読んだことある?

 

 『ナナ』はないな。他の短編集は読んだけど、『オリヴィエ・ベカイユの死』っていう、生きたままお墓に埋められた男の話で。あの時代のフランス文学はけっこうおもしろいのが多い

 

オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家 ゾラ傑作短篇集 (光文社古典新訳文庫)

オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家 ゾラ傑作短篇集 (光文社古典新訳文庫)

 

 

 へえ、これも友達に薦められてて

 

 ゾラは『居酒屋』と『ナナ』が二大巨頭だよね。これがブックオフの面白いところだよね。お、アラン・シリトーとかあるね

 

居酒屋 (新潮文庫 (ソ-1-3))

居酒屋 (新潮文庫 (ソ-1-3))

 

 

長距離走者の孤独 (新潮文庫)

長距離走者の孤独 (新潮文庫)

 

 

 お、それこの前買ったわ、読んでないけど

 

 買っちゃおうかな

 

 サリンジャー好きだけどね

 

 いいねえ、「バナナフィッシュ」とか『フラニーとゾーイ』とか

 

ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)

ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)

 

 

フラニーとゾーイー (新潮文庫)

フラニーとゾーイー (新潮文庫)

 

 

 みんな読んでるよね

 

 サガンとか読んだことある?

 

 もってるけど読んでないな

 

 おお、『アドルフ』とかあるじゃん。心理小説の

 

アドルフ (光文社古典新訳文庫)

アドルフ (光文社古典新訳文庫)

 

 

 コンスタン、知らない。「空虚な心を埋めるため……」よさそうだね。海外文学って地の文でビックリマークをつけて心の内を吐露するみたいなところがあって、ドストエフスキーとかもそうだけど、愚直にキレてるみたいなのが好き

 

 (笑)

 

 『グレート・ギャッツビー』とかもよかったな

 

グレート・ギャッツビー (光文社古典新訳文庫)

グレート・ギャッツビー (光文社古典新訳文庫)

 

 

 読んだことないんだよな

 

 春樹も好きなんだよね、確か

 

 春樹の三大好き小説の一つだった気がする。『騎士団長殺し』もね、『グレート・ギャッツビー』のオマージュと言われている

 

 『ノルウェイの森』でも出てきますしね

 

ノルウェイの森 文庫 全2巻 完結セット (講談社文庫)

ノルウェイの森 文庫 全2巻 完結セット (講談社文庫)

 

 

 意外とすいすい決まっていくね

 

 本当だね。トルストイもある、知らないやつだけど

 

 『クロイツェル・ソナタ』、これって曲になってなかったっけな。トルストイ読まなきゃな

 

クロイツェル・ソナタ/悪魔 (新潮文庫)

クロイツェル・ソナタ/悪魔 (新潮文庫)

 

 

 『アンナ・カレーニナ

 

アンナ・カレーニナ〈上〉 (新潮文庫)

アンナ・カレーニナ〈上〉 (新潮文庫)

 

 

 ね、『アンナ・カレーニナ』を読まなきゃ死ねないみたいな。ヘミングウェイの短編集とかもあるね

 

 ヘミングウェイ、渋いよね

 

 渋いよね(笑)ボーヴォワール……

 

 ヘッセとか好きだけどね

 

 『車輪の下』とか辛いもんね

 

車輪の下 (新潮文庫)

車輪の下 (新潮文庫)

 

 

 疎外されてるみたいなね

 

 『ランボー詩集』

 

地獄の季節 (岩波文庫)

地獄の季節 (岩波文庫)

 

 

 別のバージョンで持ってる気がする

 

 ぼくは岩波の、小林秀雄の訳でもってるな

 

 ああ、そうそう、俺もそれでもってる

 

 ちょっと面白いんだけど、リリー・フランキーが海外棚にある(笑)

 

 本当だ(笑)『ジャン・クリストフ』の隣にあるね(笑)まあね、そういうこともある。あのプルーストのさ

 

ジャン・クリストフ 全4冊 (岩波文庫)

ジャン・クリストフ 全4冊 (岩波文庫)

 

 

 『失われた時を求めて』?

 

 

 そうそう、あれとか『風と共に去りぬ』とか読みたいんだけど時間絶対かかるじゃん

 

 

 かかるね(笑)カズオ・イシグロがある、『日の名残り

 

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

 

 

 ミステリーなの?

 

 違うんじゃないかな、『わたしを離さないで』が有名だよね

 

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

 

 

 ああ、中巻しかない『未成年』

 

未成年 上巻 (新潮文庫 ト 1-20)

未成年 上巻 (新潮文庫 ト 1-20)

 

 

 ドストエフスキー

 

 読みたいけどな。これ京都っぽいよね、こんなに『新島襄自伝』があるの

 

 

 たぶん同志社生が売ってるんだろうね(笑)何冊あるの?

 

 4、5……10冊あります(笑)

 

 ほとんど読まれてないであろう『新島襄自伝』(笑)

 

 『未成年』読みたいな、『日はまた昇る』も読みたいけど。ブコウスキーがけっこうヘミングウェイ好きで、よく作中に出てきたりする

 

日はまた昇る (新潮文庫)

日はまた昇る (新潮文庫)

 

 

 『水滸伝』が意外にあるな

 

完訳 水滸伝〈1〉 (岩波文庫)

完訳 水滸伝〈1〉 (岩波文庫)

 

 

 何、『水滸伝』って

 

 中国の奇想小説だね、いろんなヒーローが山に集まってわいわいする。中国の四大奇書の一つだったと思う

 

 単行本、行ってみます?

 

 行ってみようか

 

 【単行本コーナー】

 

 あれだよね、文庫で出ているのは文庫でほしいよね

 

 意外と単行本でいいのが置いてあることあるけどね、みんな大きいから買わない

 

 確かにそれはあるね。藤野可織の『いやしい鳥』とかたいへいよい短編集だった

 

いやしい鳥

いやしい鳥

 

 

 『ハル、ハル、ハル』、古川日出男

 

ハル、ハル、ハル (河出文庫)

ハル、ハル、ハル (河出文庫)

 

 

 ああ、これよかったね。なんだっけ、犬を殺す短編なかったかな、あれが突っ走っててよかった

 

 ドライブ感150%みたいな

 

 そうそうそう

 

 『火花』がある

 

火花 (文春文庫)

火花 (文春文庫)

 

 

 もう文庫で出たもんね

 

 あ、『介護入門』ある

 

介護入門 (文春文庫)

介護入門 (文春文庫)

 

 

 おお、モブ・ノリオ。100円?

 

 ……105円(笑)

 

 時代すらも超越している(笑)中上健次の『鳳仙花』とか置いてある

 

P+D BOOKS 鳳仙花

P+D BOOKS 鳳仙花

 

 

 中上健次いいよね

 

 いいねえ

 

 田中慎弥中上健次からの影響が強そうだったし

 

 石田千も気になるな、芥川賞候補になってて。笙野頼子(笑)

 

 『タイムスリップ・コンビナート』、マグロとか出てくるんじゃなかったけ

 

タイムスリップ・コンビナート

タイムスリップ・コンビナート

 

 

 マグロから電話がかかってくるんじゃなかったっけ

 

 (笑)そうそうそう、なんか知らない短編が入ってるよ

 

 おお、本当だ、気になる。それは鳥居みゆき?よかったよね

 

夜にはずっと深い夜を

夜にはずっと深い夜を

 

 

 「蝉」っていうのがすごく好きで、「月曜日に私は生まれ 火曜日に友達ができ 水曜日に友達が死に 木曜日にあなたに恋し 金曜日にあなたは死んだ 土曜日に思いきり泣き 日曜日に私も死んだ 人間よこれが私の一週間の生涯です あなたたちの長い一生私とどっちが重いでしょう」っていう

 

 そういう世界観だよね

 

 単行本、重いんだよね、それが問題なんだよね。『間宮兄弟』って江國香織なんだっけ

 

間宮兄弟 (小学館文庫)

間宮兄弟 (小学館文庫)

 

 

 おお、本当だ

 

 あ、鹿島田真希

 

 おおお、でも『冥土めぐり』は実はそんなに面白くなかった

 

冥土めぐり (河出文庫)

冥土めぐり (河出文庫)

 

 

 そうなんだ(笑)

 

 『ゼロの王国』とかが読みたいな、と。うーん、やっぱり文庫かな

 

ゼロの王国(上) (講談社文庫)

ゼロの王国(上) (講談社文庫)

 

 

 『いやしい鳥』は買おうかな

 

 もう10冊いった?

 

 9冊かな

 

 おお、じゃあ俺は文庫をあと一冊何か買おう

 

 渋谷知美っていう人でセクシャリティに関係することをやってるんですけど、意外とユーストリムとかに出てたりして結構好き

 

日本の童貞 (河出文庫)

日本の童貞 (河出文庫)

 

 

 へえ、『日本の童貞』ねえ。んん、『忍ぶ川』とか買おうかな、三浦哲郎。これで芥川賞とかとってんじゃないかな。その人は短編をいくつか読んだんだけど、けっこう暗いんだよね

 

忍ぶ川 (新潮文庫)

忍ぶ川 (新潮文庫)

 

 

 明らかに暗いよね

 

 田舎のお爺さんとお婆さんのうち、お爺さんが首つり自殺をしていたっていう「みのむし」っていう小説があったりして

 

 同じようなのを選んだかも、『幸荘物語』花村萬月。暗そうな(笑)

 

幸荘物語 (角川文庫)

幸荘物語 (角川文庫)

 

 

 10冊、買いますか。いい感じのチョイスができた気がする。というわけで縮小バージョン終わりということで何か一言あれば

 

 みんな滝本竜彦を忘れないでください

 

 重要だよね(笑)

 

 ありがとうございました

 

 ありがとうございました、なんかご飯を食べに行きましょう

 

 行こう。四流色でした

 

 かみしのでした

(4月13日 於:京都OPA BOOKOFF

 

 

《今回のお買い上げ本 ver.かみしの》

 

f:id:kamisino:20170414091728j:plain

・コンスタン『アドルフ』

三浦哲郎『忍ぶ川』

窪美澄ふがいない僕は空を見た

金原ひとみ『AMEBIC』

小川一水『老ヴォールの惑星』

笙野頼子『母の発達』

滝本竜彦NHKにようこそ!

南条あや『卒業するまで死にません』

・シリトー長距離走者の孤独』

フィッツジェラルドグレート・ギャツビー

 

 

《今回のお買い上げ本 ver.四流色夜空》

f:id:kamisino:20170508183220j:plain

モブ・ノリオ『介護入門』

藤野可織『いやしい鳥』

島田雅彦『優しいサヨクのための嬉遊曲』

藤沢周ブエノスアイレス午前零時』

花村萬月『幸荘物語』

・ゾラ『ナナ』

中島らもガダラの豚Ⅱ』

大崎善生パイロットフィッシュ』

芥川龍之介地獄変・偸盗』

鯉は空を望む

 鯉の煮付けは甘辛く、長野県民好みの味付けである。

祭事にしか食卓に並ばないという希少性に加え、馬の蹄状の盛り付けや、いかにも味の染みた佃煮色の彩りが食欲をそそるが、口にしてみると存外泥臭く骨ばかりで、興ざめであった。蹄中央の窪みには、大振りの帆立に似た内臓が添えられ、大人はそれを上手そうに食むが、子供の頃の私にはただ苦いだけの代物で、どうしてこんなものを有り難がって食べるのだろうと、不思議に思っていたものである。

 大学生になり、県外に出た私は、祭事に鯉を食すのが長野県に特有の風習であることを知った。溜め池で飼われている鯉が、普通は、食用のためでなく鑑賞用に過ぎない、という事実を知ったのもこの時で、あまつさえ錦鯉と呼ばれる品種に何千万を支払う人間がいるらしい、という話には流石に閉口せざるを得なかった。

 昔の疑問がむらむらと湧き上がってくるのを抑えられなくなった私は、去年の盆、帰省に託けて祖母に会い、こう切り出してみた。

「ねえ、おばあちゃん。どうして長野県ではお祝いの時に鯉を食べるの」

じりじり、と油蝉が軋む声が、ただでさえ湿った夏の暑さを一層不快にする。額から流れ落ちる汗が目に入り、沁みた。

空には輪郭のくっきりとした入道雲が、恥じらいもなく天に向かい、立ち昇っていた。ひょっとしたら、俄かに雨が降り出すかもしれない。

祖母の返事はない。この沈黙は避らぬ痴呆の証明なのか、それとも何かしらの逡巡なのだろうか。しばらく会わない間に、髪が薄くなり背も小さくなった、と思う。これは私の身長が高くなったからではなく、祖母の命が着実に削られているからなのだ、と理解できる年齢になってしまった。

「……この地域では、祭儀を一月遅れでやっているのは知っているね」

 久しぶりに聞いた祖母のしわがれ声は、痴呆を感じさせぬほどしっかりとした発音で、心臓を掴まれるような威圧が伴った音声であった。

 祖母は祭儀と言ったが、正しくは元旦を除く節句の行事を一ヶ月遅れで行っているのである。だから私は、四月に雛人形を並べ、七夕の笹を八月に飾ることに、あまり違和感を持っていなかった。

 これもまた、特殊な伝統であると知ったのは最近だった。

しかし、そのしきたりと鯉を食べることに一体どんな関係があるというのだろうか。

「本当はね、遅れさすのは子供の日だけでいいんだよ。六月に鯉のぼりを揚げるのが、祭儀を一月遅れで行う、ただ一つの理由なのさ」

 今や祖母の目は大きく見開かれ、私を真っ直ぐに見据えていた。両手で私の右手を固く握る力は、死に臨む老人のそれとは思えない。

「鯉のぼりとは、葬儀なのさ」

 じりじり、という蝉の声とは対称の、冷たい声であった。

 それから祖母が訥々と語り始めたこの村の伝承は、当時の私には衝撃的な内容であった。盆の中頃、のんびりとした陽の下の、萱葺屋根の下、小さく丸い老人は、何かに取り憑かれたように、次のようなことを語った。

 まだこの村が、ただの集落であり、Sと呼ばれていた時代。山に囲われた土地は開墾されておらず、数十人ばかりの百姓が、農作や採集で糊口を凌いでいた。

田沼意次の治世、浅間山の大噴火に次ぐ天明飢饉に苛まれた集落は、年の始めに供物として、乳飲み子を一人、穀物の神に捧げることを決定した。

新嘗祭にあわせ、乳飲み子は調理され、その子の親を含む民たちに振舞われた。肉食の獣に特有の臭みを消すため、甘辛い醤(ひしお)に漬け込まれ、集落全員に行き渡るように輪切りに切られた。脂肪がのり、重要な内臓が詰め込まれていた腹は、集落の長が口にしたのだという。予め取り除かれ、別に調理された臓腑はがらんどうの腹に盛られた。

「その秘事は、田沼が失脚し、飢饉以前の生活が戻るまで続けられた」

 そこで祖母は、一つ大きな溜息をついた。

 空は薄暗くなり、蝉も声を潜め、名前の分からない雑草を風が薙いでいく音だけが、さわさわ、と響いている。

 溜め池には、盆暮れにはぶつ切りにされてしまうであろう緋鯉が、ゆらゆらと水を切って泳いでいる。鑑賞用とは、どうにも思われない。

「それで、その、赤ちゃんを食べるというのは、やめたわけね」

 いくら死に際した苦肉の策であるとは言い条、人間が人間を食べるというのは紛れもない禁忌である。地に足がつき、正気に戻った集落民は、自らが犯した罪に苦しめられることになる。

 子を食った親は、胸を掻き毟り、苦悶に耐えかねて狂った。

 臓腑を食んだ長は、毎夜、蛇のように身を引きずり迫る腸に、体をきりきりと締め付けられる夢を見るようになった。

 次第に集落は狂気で満ちていった。

 それ故、生贄となった乳飲み子の供養をしないか、という提案が挙がるのにはそれほどの時間を要さなかった。

「子供の日に鯉のぼりを揚げる風習が日本に広まったのは、江戸時代のことらしい」

 何かを空に揚げるという異国の風習が、閉鎖的な集落で供養という発想に代わっていったのも、不思議ではない、と祖母は付け加えた。

「じゃあ、どうして六月に鯉のぼりを揚げよう、という話になったの」

「今は晴れの日でも、平気で鯉のぼりを揚げるようになったけどねえ」

 そもそも鯉のぼりとは、中国の登竜門の故事に倣って始まった行事なんだよ、と祖母は語った。

 鯉が滝を登って龍になる、という話は私も聞いたことがあった。祖母の話では、本当は雨の日にしか鯉のぼりは揚げてはならないのだという。鯉が滝を登り龍となるように、供物となった乳飲み子が雨の道を通って、穀物の神の許へと確かに行けるように、梅雨の時期に鯉のぼりを揚げるようになった。

「そして民は、罪を忘れないために、自らへの戒めとして祭事には、調理された子どもを模した鯉を食べるようになったのさ」

 いつの間にか、庭には驟雨が降り始めている。雨に打たれた木々が、そわそわと内緒話のような音を立て、巻き上がる土の匂いが、つんと鼻を刺激した。

 溜め池の鯉は、餌を求めるように口を水面に出し、ぱくぱくと動かしていた。

「餌はさっきあげたばかりなんだけどねえ。雨が降ると、あの鯉たちは口をぱくぱくさせるのさ。案外、空に向かって登って行こうと、必死なのかもねえ」

 そういって目を細めた祖母の顔は、険しさを失い、元の優しそうなものに戻っていた。そうして、どこにもいない子供をあやすように、どこへともなく呟いた。

「あたしたちは昔から、こう言い聞かされてきたんだよ。六月五日は端午の節句ではなく、なるべく、子供の日と呼べってね」

 私はようやく、この村の一員になれたような気がした。

 

2012年 テーマ批評会「5月5日」より

0000書店紀行:番外編inブックオフ~前編~

0000(ゼロヨン)書店紀行とは?

月に一回10000円をもって他者と本屋に行こうという企画です。そこで紹介された本を買ったり、好きな作家の話を聞いたりしながら本屋をぶらぶらします。その月の新刊を見てみたり、ぼくが10000円以上本にお金を使わなくなったり、いいことがたくさんです。

今回は諸事情により縮小版の番外編。

ブックオフの100円コーナーにて10冊の本を買うという企画でお送りします。

今回のゲストはともに「定刻通りの漸近線」やツイキャスなどで活動している四流色夜空くん

今回ぶらぶらしたのはわれらの愛憎渦巻く都市、京都OPAのブックオフです。

※あいかわらず本棚を見ながらしゃべっていますので、話がとびとびになります

 

 

かみしの(以下:か) というわけで10000円で他者と本を買いに行く企画、番外編ということでin BOOKOFF、100円コーナーで10冊です

 

四流色夜空(以下:よ) 10冊いきますか

 

 いきましょうと。今回は四流色夜空くんとね、やっていこうと思います

 

 この一列ね(笑)

 

 一列(笑)

 

 一列みたら単行本の方もいきましょう

 

 じゃあまあア行からどんどん見ていく感じで

 

 100円とかで普段買うんですか

 

 いいのがあれば買うけどねえ

 

 一応見る?

 

 見る見る、五周くらい見る

 

 それは見過ぎだと思うけど(笑)アのところで最初何探すとかある?

 

 んー、ざーっと見てるけど安部公房とか芥川龍之介とかあっこらへんかな

 

 芥川龍之介ね、置いてあるね。僕はいつも阿部和重をね、『シンセミア』の2巻が置いてあるんだけど。名古屋もなかなかないんですよ

 

シンセミア 上下セット

シンセミア 上下セット

 

 

 阿部和重

 

 これ知ってます?

 

 『ひとり日和』ね、面白かった。芥川賞とってやつでね。わりとほんわか系

 

ひとり日和 (河出文庫)

ひとり日和 (河出文庫)

 

 

 芥川賞でほんわか系とかあるんだ

 

 なんていうかな、「家」みたいな

 

 生活感みたいな

 

 そうそう、生活感。全体が三途の川のメタファーになっているんだなって感じはあるけど、まあ読み心地がいい小説かな

 

 芥川ってここに『河童』『地獄変』『蜘蛛の糸』三冊あるけど、おすすめとかある?

 

河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)

河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)

 

 

地獄変・偸盗 (新潮文庫)

地獄変・偸盗 (新潮文庫)

 

 

蜘蛛の糸・杜子春 (新潮文庫)

蜘蛛の糸・杜子春 (新潮文庫)

 

 

 この中だったら、そうだなあ芥川って王朝ものみたいな○○ものっていうのがたくさんあって……

 

 初心者だったら

 

 芥川初心者、だったら『蜘蛛の糸』かなあ。よくいろんなとこで引用されるのは「河童」とか「歯車」とか後期の作品なんだけどね、有名な一節があって「誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?」っていう

 

 それはなんていう小説?

 

 これは「歯車」っていう死ぬ前の作品なんだけど、後期はけっこうこういうばしばししてるのが多いね

 

 そうなんだ

 

 うん、「蜘蛛の糸」とか「杜子春」とかは童話っぽいけど

 

 後期だとリアリティというか

 

 そうね、どんな作家でも後期になるとびしびししてくるというか(笑)

 

 研ぎ澄まされてくる(笑)

 

 まあ、「地獄変」も面白いけどね

 

 「地獄変」ね、笙野頼子の『極楽』でもオマージュされてたり

 

 

 そうなんだ、笙野頼子

 

 ちょっと挑戦してみようかな

 

 そんなに、こう、やっぱり100円コーナーという感じのラインナップよね

 

 だいたいね、伊藤たかみの『八月の路上に捨てる』が置いてあって、もう一つ買いたくなる。もうもってるんですけどね

 

八月の路上に捨てる (文春文庫)

八月の路上に捨てる (文春文庫)

 

 

 あれも面白かったね

 

 芥川賞だよね。あれはいいですよ、攻めてくる感じの。そのあとはほんわかした感じになってっちゃうんだけど

 

 おっ、越前魔太郎があんじゃん。舞城王太郎とか乙一とかあっこらへんの作家が共通のペンネームで違う小説を書いているシリーズで

 

 

 そんなのあるんだ、そんなことやってるんだ

 

 誰がどれだったかは忘れたけど、メディアワークスだけじゃなくて、いろんなレーベルから出してるんだよね

 

 やっぱりそういう遊び心が大事だね

 

 いかにもゼロ年代的というかね、『ファウスト』とかでやってそうみたいなね

 

 あの時代の勢いみたいのが復権してくれるといいけどね

 

 最近、筒井康隆の『ビアンカ・オーバースタディ』の続編の『ビアンカ・オーバーステップ』っていうのが出たんだけど、書いた人が舞城王太郎なのではという説があるっぽくて。坂上秋成が『ファウスト』時代のスピリットを感じるので好きな人は読んだらいいと思う、みたいなことを言ってた

 

 

ビアンカ・オーバーステップ(上) (星海社FICTIONS)

ビアンカ・オーバーステップ(上) (星海社FICTIONS)

 

 

 筒井康隆は通じているところはもともとありそうだね

 

 小川一水とかちょっと気になるな

 

老ヴォールの惑星

老ヴォールの惑星

 

 

 SF?

 

 うん、日本のSF作家でよく名前の挙がる人だね。せっかくだから

 

 何冊か読んだことあるの?

 

 いや、ゼロだね。あんまSFを読まないから

 

 2005年ベストSF国内編で第1位

 

 読んでみたいとは思ってて

 

 「幸せになる箱庭」だって、最高ですね

 

 最高になる箱庭、入りたいな

 

 この人、有名なんでしょ

 

 大崎善生、『パイロットフィッシュ』だけ読んだな

 

パイロットフィッシュ (角川文庫)

パイロットフィッシュ (角川文庫)

 

 

 どうだった?

 

 よかったよ、苦味がある感じの、ビターな感じで。よく覚えてないんだけど、水槽を活発にさせるためだけに魚を入れておいて、その後飼いたい魚を入れるときにそのパイロットフィッシュは外に出されちゃうみたいな、それを人間関係にあてはめた小説だった気がする

 

 怖いな。この人、新潮の選考委員やってたんじゃなかったかな。全部間違ってたらどうしようという気持ちになってきた

 

 まあまあまあまあ(笑)記憶で語ってるからね。一応コーナーの恒例だから聞いておくけど、好きな作家とかどうですか

 

 誰の心にもいるといわれている滝本竜彦ですね。ファウストの時代の中でもいくつか傾向があって、どれを選ぶかでその人の性質がわかるみたいなのがあると思うけど、滝本竜彦ですね

 

 『ネガティブハッピー・チェーンソーエッジ』とかね

 

 

 『NHKにようこそ』とかね。小説は4冊くらいしかでてないんだけど、落ち込む人は是非ね、買ってほしいという

 

NHKにようこそ! (角川文庫)

NHKにようこそ! (角川文庫)

 

 

 あとは中村文則とか

 

 そうね、外に向けての意志表示が苦手な感じの小説が好きですね。エンタメとかはちょっと苦手なんで……これ読みました?

 

 読んだよ、川上弘美『溺レる』。短篇集だよね、確か

 

溺レる (文春文庫)

溺レる (文春文庫)

 

 

 伊藤整文学賞……女性作家、好き?

 

 わりと好きだよ、もちろん作家によるけどね

 

 あんまり読まないんだよなあ。綿矢りさくらいかな

 

 笙野頼子も女流文学では

 

 あっ、そうでした(笑)

 

 まあ、あの人は女流とかそういうのではないかもしれないけど(笑)

 

 女性とか男性とかそういうのを越えてるからね(笑)

 

 笙野頼子っていう人格だからね(笑)

 

 乙一とかって読んでるの?

 

 乙一はたぶん全部読んだと思う

 

 へえ、けっこうでてるよね

 

 出てるね、たぶん別名義のやつも全部読んだと思う、わりと好きだったからね。鹿島田真希の『ゼロの王国』とかあるけど、上巻だけだ

 

ゼロの王国(上) (講談社文庫)

ゼロの王国(上) (講談社文庫)

 

 

 名前は聞いたことあるけど

 

 三島由紀夫賞芥川賞野間文芸新人賞っていう純文学三冠文学賞を最初にとったのが笙野頼子で、二人目が鹿島田真希だったと思う

 

 へえー、二代目笙野頼子川上未映子もあるね、阿部和重と結婚した

 

 いかにもっていうカップルだよね、サブカルの人たちみたいな(笑)

 

 阿部和重が幸せを感じている瞬間とか想像がつかないけどね。いつも内に秘めてるので。うーん、よさそうではあるけどね

 

 わかる。結局『乳と卵』しか読んでないんだよね。『ヘブン』とかも面白そうだけど読んでない

 

乳と卵

乳と卵

 

 

ヘヴン (講談社文庫)

ヘヴン (講談社文庫)

 

 

 動画で見るとちゃきちゃきの大阪の女の人って感じがして、すごいですよね、怖いですよね

 

 対面とかしたらおされそう。女流作家の流れじゃないけど、金原ひとみがある、『マザーズ』

 

マザーズ (新潮文庫)

マザーズ (新潮文庫)

 

 

 何か読んだ?

 

 『蛇にピアス』と『アッシュベイビー』ってのを読んだんだけど、『アッシュベイビー』すごいの、めちゃめちゃすごい

 

蛇にピアス (集英社文庫)

蛇にピアス (集英社文庫)

 

 

アッシュベイビー (集英社文庫)

アッシュベイビー (集英社文庫)

 

 

 アングラ感的な?

 

 アングラ感というか、文章のドライブ感がすごい。舞城王太郎に近いところがある

 

 これいいですよ、「摂食障害気味の女性のパソコンに残されている意味不明な文章=作文」

  

AMEBIC (集英社文庫 か 44-3)

AMEBIC (集英社文庫 か 44-3)

 

 

 ああ、いいねえ。買おう。何か気になる作家とか

 

 北村薫ってさ、読んだことある?

 

 もってるけど読んでないな

 

 よいっていう評判はね、大学在学中から聞いてたんだけど

 

 日常ミステリーの人だよね

 

 そうそう、米澤以前というかね

 

 米澤穂信の系列、『氷菓』の系列というかね。『空飛ぶ馬』とかの円紫さんシリーズが有名かな、だからたぶん『氷菓』とかが好きな人は好きだと思う、まあ読んでないからなんともいえないけど(笑)

 

氷菓 (角川文庫)

氷菓 (角川文庫)

 

 

空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)

空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)

 

 

 最近ほんわかしたのがあんまり読めないから……

 

 びしびししたやつしか

 

 そう、俺を甦らしてくれみたいな、刺激がね。『姑獲鳥の夏』とかは読んだけどね。長いけどね

 

文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)

文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)

 

 

 長いけど読みやすいもんね、京極夏彦。やっとカ行のクまで来たけど

 

 窪美澄、『ふがいない僕は空を見た』、読んだ?

 

ふがいない僕は空を見た (新潮文庫)

ふがいない僕は空を見た (新潮文庫)

 

 

 読んでない

 

 めっちゃいいですよ

 

 お、そんなこと言われたら買うしかない

 

 R18文学賞じゃなかったかな。映画にもなってるんですけど

 

 うーん、こころが傷つきそうだ

 

 群像劇の連作形式なんだよね。基本ね、僕は自分をふがいないと思ってるんでこれはいいですよ

 

 (笑)ふがいない僕らには突き刺さる(笑)関係ないけどこの『邂逅の森』ってやつ面白かったよ飄々舎の書評に書いたんだけど、マタギの話で。熊や鹿を狩って生計を立てている人たちの。エンタメ直球っていう感じだった

 

邂逅の森 (文春文庫)

邂逅の森 (文春文庫)

 

 

hyohyosya.hatenablog.com

 

 ここらへんからアツくなってくる

 

 ブックオフの100円コーナー、たまにいい本があるパターンあるからね

 

 あるんですよ、買っちゃうもん。けっこう海外文学も多いと思う

 

 桜庭一樹さんもあるね

 

 『砂糖菓子の弾丸』はね、もうみなさん大好き

 

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない (富士見ミステリー文庫)

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない (富士見ミステリー文庫)

 

 

 そうね、あ、これは表紙で騙してくる方の装丁のやつだ

 

 全然違うよね、中身と(笑)

 

 こっちのバージョンの表紙で表紙買いすると、傷ついて大変なことになりそう

 

 桜井亜美とかどうですか

 

 何の人?詩人?

 

 いや、90年代後半とかの、携帯小説的な感じの

 

 へえー。たしかに横文字が多い。『イノセントワールド』とかMr.childrenかという

 

イノセントワールド (幻冬舎文庫)

イノセントワールド (幻冬舎文庫)

 

 

 それがたぶん出世作なのかな。まあ、援助交際とか女性の書く闇みたいなのを軽い文体で書く

 

 初めて知ったなあ、気にならないでもない。島田雅彦が置いてある、『優しいサヨクのための嬉遊曲』

 

優しいサヨクのための嬉遊曲 (新潮文庫)

優しいサヨクのための嬉遊曲 (新潮文庫)

 

 

 えっ、いいじゃん。これめちゃくちゃ好きなんだけど。図書館で借りて読んだけど。阿部和重と喧嘩してたね

 

 してたね、そういえば(笑)

 

 中原昌也の一件でね。これは買っとこう。島本理生とか

 

 佐藤友哉の奥さんね。サークルの後輩に『アンダスタンド・メイビー』面白いですよって言われたけど下巻しか置いてないな。俺、その横の澁澤龍彦が気になっちゃう、『世界悪女物語』

 

 

世界悪女物語 (河出文庫 121B)

世界悪女物語 (河出文庫 121B)

 

 

 澁澤龍彦ね、やっぱり教養として知っておきたいというところはある

 

 一時代を築いているからね

 

 『母の発達』がある、最高じゃないですか

 

母の発達 (河出文庫―文芸コレクション)

母の発達 (河出文庫―文芸コレクション)

 

 

 本当だ、うわ、買おうかな

 

 お母さんホラーですよ

 

 どういう煽りなんだ(笑)われら大好き笙野頼子先生

 

 柴崎友香

 

 『春の庭』で芥川賞とってるんじゃなかったけ

 

春の庭 (文春文庫)

春の庭 (文春文庫)

 

 

 読んだ?

 

 読んだ。日常系4コマみたいな小説だったな。鷺沢萌、結構好きなんだよね。『海の鳥』、これは短編集なんだけど、ある一瞬を切り取ってみた、みたいな。東京事変の「閃光少女」じゃないけど

 

海の鳥・空の魚 (角川文庫)

海の鳥・空の魚 (角川文庫)

 

 

 女の人で『日傘のお兄さん』の豊島ミホもそういう感じなんだよね、僕好きなんだけど

 

日傘のお兄さん (新潮文庫)

日傘のお兄さん (新潮文庫)

 

 

 ああー、わかるかもしれない。なんだっけ、浅野いにおが表紙書いてる小説を読んだな

 

 

 妹尾まい子とかね、『天国はまだ遠く』とか。映画にもなってて

 

天国はまだ遠く (新潮文庫)

天国はまだ遠く (新潮文庫)

 

 

 タ行ですか

 

 おお、『共喰い』がある

 

共喰い (集英社文庫)

共喰い (集英社文庫)

 

 

 田中慎弥

 

 田中慎弥大好きなので、何か読んだ?

 

 『共喰い』と、「蛹」「切れた鎖」あたり読んだかな。強度があるよね

 

切れた鎖 (新潮文庫)

切れた鎖 (新潮文庫)

 

 

 田中慎弥は外に出てなかったわけじゃないですか、だからか想像力がすごいよね。これはけっこう読んでほしい作家だな

 

 そうだね、『共喰い』なんかは読みやすいほうだと思うから、そこらへんから入ってね

 

 言い回しが好きなんだよね。谷川俊太郎『二十億光年の孤独』、聞いたことはあるけど

 

二十億光年の孤独 (集英社文庫)

二十億光年の孤独 (集英社文庫)

 

 

 「あるいはネリリしキルルしハララしているか」ってやつじゃない?なんだっけ、「万有引力は引き合う孤独の力である」みたいな言葉があって、好きだった気がする

 

 教科書に載ってるんだっけ

 

 そうだね、谷川俊太郎いいですよ。詩人っていったら一番か二番くらいに名前が出てくると思うけど、やっぱりよい。高橋源一郎とかは置いてないね

 

 これは大変なことですよ

 

 おっ、滝本竜彦大量にあるじゃん

 

 『超人計画』二冊持ってるからね

 

超人計画 (角川文庫)

超人計画 (角川文庫)

 

 

 『NHKにようこそ』って続編とかってあるの?

 

 ないよ(笑)

 

 読んだことなくてさ

 

 ないの!?大丈夫か?(笑)

 

 ないの(笑)『ネガティブハッピー・チェーンソーエッジ』と『僕のエア』だけなんだよね

 

僕のエア (文春文庫)

僕のエア (文春文庫)

 

 

 どうして読んでないの

 

 いや……触れてこなかった(笑)

 

 みんな読んでるよ

 

 あ、これはぜひ買います(笑)

 

 これは滝本竜彦は引きこもりのイメージが強いけど、ちゃんとニーチェの引用とかでエッセイみたいなのを書いてる。この辺もみんなわかってほしい。理解して生きてほしい。『NHKにようこそ』はメディアミックスもされていてね

 

 そうそう、そのイメージがあったから続編があるような気がしてた

 

 似たようで全部違うからね、三回は楽しめる

 

 『ネガティブハッピー・チェーンソーエッジ』を大学時代に読んで学校にいけなくなったぼくが読んでも大丈夫ですか

 

 まあ働いてないしね

 

 (笑)いい言葉だ(笑)

 

 働いてたらやばいかもしれないけど。おっ、かみしのさんの本があるよ

 

 『フェイク』(笑)ぼくの本ではないけどね、まあ、ぼくの座右の銘と言われる(笑)

 

フェイク (角川文庫)

フェイク (角川文庫)

 

 

 羽田圭介とかある、『盗まれた顔』

 

盗まれた顔

盗まれた顔

 

 

 読んでないな

 

 俺も読んでない、『メタモルフォシス』読んだの?

 

メタモルフォシス (新潮文庫)

メタモルフォシス (新潮文庫)

 

 

 読んだ読んだ

 

 好き?

 

 うん、好き。羽田圭介はね、笑わせようとしてる気がするんだよね

 

 わかるわかる。僕も『黒冷水』読んだんだけど、なんかやりすぎでは、みたいな。あれ読んでみたいんだよね、『スクラップ・アンド・ビルド』

 

黒冷水 (河出文庫)

黒冷水 (河出文庫)

 

 

スクラップ・アンド・ビルド

スクラップ・アンド・ビルド

 

 

 芥川賞のね、あれも笑える感じだったな。『火花』と一緒にとってて、『火花』はわりと笑わせようとしてるんだけど、『スクラップ・アンド・ビルド』はなんか笑っちゃうみたいな。けっこう笑いで統制のとれたいい芥川賞だったのかも

 

火花 (文春文庫)

火花 (文春文庫)

 

 

 寺山修司とかある

 

 いいね、『少女詩集』なんてのは最高ですよ

 

寺山修司少女詩集 (角川文庫)

寺山修司少女詩集 (角川文庫)

 

 

 そうなんだ、知らないなあ

 

 「涙は人間の作ることのできる一番小さい海です」みたいな、そんなんがあった気がする

 

 寺山修司もみんな読んでるよね。この時代の詩人って他に有名な人っているのかな、一人勝ちだったのかな

 

 誰だろうな、詩人自体はたくさんいただろうけど。寺山修司は何でもできたってのが強いよね

 

 映画とかね

 

 映画から演劇、俳句、短歌、詩、テレビにも出る、みたいなね

 

 『書を捨てよ、町に出よう』とか『青女論』とかあそこらへん読んだんだけど、よかった

 

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

 

 

青女論―さかさま恋愛講座 (角川文庫)

青女論―さかさま恋愛講座 (角川文庫)

 

 

 さっき言ってた豊島ミホがある、『青空チェリー』

 

青空チェリー (新潮文庫)

青空チェリー (新潮文庫)

 

 

 売れないっていって書くのやめちゃったけど、繊細な感じがいい

 

 南条あや買うか

 

卒業式まで死にません―女子高生南条あやの日記 (新潮文庫)

卒業式まで死にません―女子高生南条あやの日記 (新潮文庫)

 

 

 やっぱりね、バイブルとして(笑)

 

 バイブルとして(笑)『八本脚の蝶』とか『メンヘラリティ・スカイ』とかと一緒に並べておいてね。読みたいとは思ってたし。そんで中島らもね、『ガダラの豚』、いついっても一巻がないんだ

 

八本脚の蝶

八本脚の蝶

 

 

中島らも『ガダラの豚』全3巻セット (集英社文庫)

中島らも『ガダラの豚』全3巻セット (集英社文庫)

 

 

 『ガダラの豚』読みたいんだよね

 

 ね、めっちゃ面白いらしいからね。この前10000円企画をした男がいるんだけど、この男が「集英社で一番面白いミステリーはガダラの豚だ」って言ってた

 

 お墨付きですね。52歳くらいで死んじゃったんだよね。辛い人は中島らもとか読むといいと思う

 

 そうね、『バンド・オブ・ザ・ナイト』とかよかったし

 

バンド・オブ・ザ・ナイト (講談社文庫)
 

 

 『今夜、すべてのバーで』とかが有名だけどね

 

今夜、すベてのバーで (講談社文庫)

今夜、すベてのバーで (講談社文庫)

 

 

→次回、ナ行から外国文学コーナーまで

 

kamisino.hatenablog.com

 

★第三回はこちら☆

kamisino.hatenablog.com

 

★四流色夜空・西田えな・かみしのの運営する投瓶通信「定刻通りの漸近線」はこちら☆

 

yorusino.blog.fc2.com

『群像70周年記念号』全作レビュー8~いのちの家~

第三の新人」の波もおさまって、『群像10月号』初の女性作家が顔を出します。

 

群像 2016年 10 月号 [雑誌]

群像 2016年 10 月号 [雑誌]

 

 

円地文子

あまり有名な作家ではありませんが、与謝野晶子谷崎潤一郎に続いて『源氏物語』を訳していたり、『夜半の寝覚』や『蜻蛉日記』といった古典文学を訳していたりと、いわゆる古典に造詣の深い作家として名を知られています。

ぼくは本屋に行って講談社文芸文庫の棚に行くたびに『朱を奪うもの』『傷ある翼』『虹と修羅』という中二っぽいタイトルの作品に思わず目を奪われていたので、ぼんやりとは知っていました。

 

朱を奪うもの (講談社文芸文庫)

朱を奪うもの (講談社文芸文庫)

 

 

傷ある翼 (講談社文芸文庫)

傷ある翼 (講談社文芸文庫)

 

 

虹と修羅 (講談社文芸文庫)

虹と修羅 (講談社文芸文庫)

 

 

これは円地さんの逸話ですが、谷崎潤一郎賞の選考委員をやっていた際、自らの作品を受賞作として推して他の選考委員に諫められていたようです。

我が強いというか、おそらく自分の書いたものに強い自身があったのだと思います。

ちなみに結局上記の三部作で円地さんは賞を受賞しています。

 

今回はそんな円地さんの短編「家のいのち」について少し書いていこうと思います。

 

妖(新潮文庫)

妖(新潮文庫)

 

 

家というのは不思議なもので、さらな土地に壁や天井といったもので区切りを作成して、そこに住むことで家と主張しているだけの空間です。

その空間を家たらしめているものは何なのか。

それはおそらく住む人間の情念みたいなものなのではないかと思います。

 

まずは、「戦争」というものについて少し考えてみたいと思います。

レイモンド・カーヴァーは「良き小説というものは、ある世界のニュースを別の世界に伝えるものなんだ」と語っていますが、戦争について書くというのは、時間や空間を隔てた現在のぼくたちに、当時の記憶を伝えるという意味において重要な役割があると思います。

 

Carver's dozen―レイモンド・カーヴァー傑作選 (中公文庫)

Carver's dozen―レイモンド・カーヴァー傑作選 (中公文庫)

 

 

教科書を読むだけではわからない、戦時中、あるいは戦後の生活のにおいが、この小説にはあります。

例えば「軍人恩給」や「方面委員」という単語。

この小説では、菊と謙三という夫婦が軍人恩給が廃止されたことによる貧困でなんとか糊口をしのぎつつ、自分たちの借家を手放さなくてはならないのではないか、と思案するところから物語が始まっています。

軍人恩給とは軍隊に服役した人間に対する金銭や土地の保証制度であって、日本では1946年に廃止されましたが、旧軍人たちの運動によって1953年には復活したということです。

つまり、この小説の時代設定が1946~1953年の戦後間もない時期であるということがわかります。

 

方面委員の世話になっている人達が一戸建ての家を借りているというのは理に合わない。

 

方面委員の世話になっているものが葬式だけ表てを飾ることは許されない。

 

方面委員とは現在の民生委員の前身で、低所得者救済のための組織です。

今風に言うなら生活保護を受けているのに、贅沢をするのはおかしいというのに近い感覚なのだろうなと思います。

ちなみに方面委員という名前は1946年に廃止されているので、軍人恩給とあわせて考えるに時代は1946年、戦後すぐの時期だということがわかります。

空襲で土地が焼かれ、貧困にあえぐ暗黒の一時期の描写がこの小説には書かれているということになります。

このあたりの制度を知れるというだけで、読む意味はあるのですが、この小説を小説たらしめているのは「怪談」と「逆説のおかしみ」なのだと個人的には思います。

 

「怪談」。

よく日本のホラーは精神的で、海外のホラーは肉体的だといわれることがあります。

大きな音でびっくりさせる海外とは対照的に、日本のホラーでは真綿でじりじりと締め付けられるような、脂汗がにじみでるようなホラーが描かれることがあります。

その正体のひとつは恨みです。

例えば日本文学史における幽霊として有名な「六条御息所」。彼女は愛する光源氏への思いが募るばかり、彼と関係をもつ女性を次々と呪い殺します。

あるいは謡曲「定家」における定家や式子内親王。『雨月物語』における宮木や蛇女。

古典に登場する幽霊たちは、その想いの強さによって、成仏することなく形をもった「恨み」として登場します。

この「家のいのち」は一見、戦後の一瞬の時期を切り取ったスケッチのようなものに見えますが、まごうことなき怪談なのだと思います。

 

家の主人である菊は、方面委員の世話になっているにもかかわらず借家に住み、

 

自慢はもっとも夫だけではなく、着る物でも手道具でも何でも自分のものとなれば他人の持ちものとはまるで質の違う愛着が生じる癖

 

をもっていて、盲目の夫・松木謙三だけでなく、特に家に並々ならぬ執心を抱いていることが書かれています。

 

菊が家を綺麗に住むことでは趣味を越えて病的

 

老人疎開などが喧しく言われたころでも、菊は頑としてこの家を動こうとはしなかった。

 

死に場所に決めていた家

 

これは「欲しがりません勝つまでは」の精神のアンチとして生まれた人間像なのだと思いますが、それゆえに思いの強さは戦時中の国民像と対比されて、強く印象付けられます。

やがて彼女は死に、夫もまたあとを追うように死にます。

軍人恩給のない中家賃も払っていなかった夫婦の死によって、貸主である押小路家は一種の安堵を感じ、この家には松木の親族、官庁の岡野、その姪夫婦、進駐軍相手のダンサーをしている珠子といった人間たちがかわるがわる住むようになります。

 

ぼろぼろになった家を改築する際に押小路夫人が家を訪れたときの感想は以下の通りです。

 

父親の遺産として譲り受けて以来、長い間自分の持ち家とは思っていても一日も住んだことのない不在家主の自分よりも、この家から棺を出すことを念願して朝晩に拭き磨きをしていた菊の方が、この家のほんとうの女主人であったことをそのとき未亡人は今更に気づいた。

 

木造の家には、木に水が染み込むように、人間の魂のようなものが染み込むような気がします。現代のコンクリート製の建物では、こうはいかないのではないかと思います。

最初に書いたように、円地さんは『源氏物語』『雨月物語』を現代語訳しています。はるかな古典時代と戦後のある時期を繫ぐ架け橋の一つに、木造建築と霊魂というのがあったのでしょう。

菊の強い思いは、ダンサーの珠子の前に霊となって現れます。

恋人のケニーと抱き合うとき、彼女はまったく知らない筈の松木夫婦の姿を幻視します。

 

知らないままに皮膚の色の異う恋人たちは古い家の霊に憑かれて、不思議に甘美な抱擁を続けていた……

 

まさに古典的な「恨み」の幽霊です。

その古典的な造形に、国家総動員によって所有を許されなかった日本国民の「恨み」が重ね合わされ、戦争に対する怨念のようなものが浮かび上がってきます。

 

この反戦的な思いは「逆説のおかしみ」をもって描かれ、奇妙な後味を残して小説は終わりを迎えます。

ひょんなことから、この家の付近から火が出ます。

近所の人間はあわてて、アメリカ進駐軍のポンプを要請します。

進駐軍のケニーは「日本の家、木と紙、皆焼ける」と慌てます。結局進駐軍によって家は焼けることなく消化され、「お宅のアメリカさんのお蔭で」と礼を言われて大団円を迎えます。

このあたりにわりあい強烈な意識を感じます。

どうしてケニーは、つまり米軍は日本の家がよく燃えることを知っているのか。

空襲で家を焼かれた人間たちが、家を守ってくれたことを感謝する。

時代は戦後まもなくの時期。

ついこの間まで敵であったはずのアメリカ軍に、日本人が焼かないでくれてありがとうと感謝する。

たぶん当時の人たちには、今ではわからないある種の感情を抱かせたのではないかと思います。

このあたりに「逆説のおかしみ」にかこつけた、戦争に関する円地さんの思いが噴出しているのではないかなと思います。

 

寿命の長い家だ、強い家だと世にも頼もしく眺めてしばらくそこに立ちつづけていた

 

と菊の家を見ながら立ちすくむ場面でこの小説は終わります。

古典時代から続く想い、恨み、霊となって現れるほどの強い魂の力。その意志の強さはアメリカ人をも動かし火にも打ち勝つという、ひとつのテーマが浮かび上がってくるような気がします。

砕かれ、燃やされつつも失われなかったある種の力について想起してみるのも、きっと必要なことなのだろうと思います。

パスピエ TOUR 2017 "DANDANANDDNA"大阪レポート

ライブレポートをご所望の方は少し飛ばしてご覧ください。

 

 

ぼく自身こういうことを言い出す人間をあまり信用することができないのだけれど、それでもあえて言葉にしてみたい。

ぼくは音楽に救われてきた。

なにもかもが無意味に思われて、生と死のあいだをふわふわと漂っていた幾度もの時期、ぼくをこちら側にとどめる最後の砦となっていたのはいつでも音楽だった。ある時はクラシックや吹奏楽曲だったし、ある時はロックだったし、ある時はアイドルソングだったし、ある時はヒップホップだった。

かなしみやせつなさと名付けるのも億劫な感情に包まれ、本を読むことはおろか、お風呂に入ることも、ご飯を食べることもできなかった25年間の大部分の時間。それでもiTunesの楽曲をクリックすることはできた。物心ついてからずっと、ぼくの周りには音楽がなっていた。

星新一の「ひとつの装置」という短編には、人類が滅亡したあとの世界で、鎮魂歌を演奏する機械が登場する。終末にはトランペットが鳴り響く。人間の魂を癒す究極のもの、それは音楽に他ならないと確信している。

もちろん聞くだけではなく、自分で演奏したり歌ったりするのも好きだ。うまくはまれば、宇宙に接触することだってできる。きっとそれはドラッグを使わずにナチュラルハイに達することができる、唯一といってもよい手段なのではないかと思う。

 

話がずいぶん遠回りになったようだけれど、今回ライブに行ったパスピエもまた、ぼくの人生におけるある時期をともにすごしたバンドである。

大学3・4回生のとき、毎日のようにパスピエの「ONOMIMONO」「演出家出演」を聞きながら大学まで歩いた。

大きな大きな死への欲求に飲み込まれそうになったときも、ぼくはイヤホンを耳にはめて大音量で世界を遮断して、京都御所の隅で泣きながらパスピエを聞いていた。

きっとこれはかなりねじ曲がった受容の仕方なのだけれど、ぼくにとってパスピエはぼくの人生の相当にクリティカルな部分と結びついている。

 

はじめてパスピエに出会ったのは河原町OPAのタワーレコードだった。相対性理論YUKIと一緒になってプッシュされていた「演出家出演」をはじめとするパスピエのCDのジャケットがまず気を引いた。

何の気なしに視聴して、そして「わたし開花したわ」「ONOMIMONO」「演出家出演」というリリース済みのアルバム3枚を購入した。端的にいえば一瞬で虜となったのだった。

21世紀流超高性能個人電脳破壊行進曲「パスピエを標榜していたそのバンドは、ロックだけでなく80年代のニューウェーブ、ポップス、クラシック、ボカロ、エレクトロ、アイドルといった様々なジャンルのエッセンスを取り入れたとても中毒性の高い音楽を完成させていた。そう、思えば、あの時代からパスピエはずっとパスピエとして完成されていたのだった。

 

実際パスピエのライブを見に行ったのは2013年のRush Ballがはじめてだった。まだ出始めた時期だったので、それほど観客も多くなく、最前列にすんなりと入り込めた。

当時、メンバーは顔を隠していたので、はじめて目の前に素顔で現れたパスピエが不思議に見えた。

今でも忘れられないのが、「チャイナタウン」を演奏しているときに、はしゃぎすぎたぼくのかばんが開き、携帯電話や財布が全部ぶちまけられてしまったことだ。

最前列でわたわたしながら落ちたものを拾うぼくを、大胡田さんは苦笑してみているのではないか、などと自意識過剰なことを思ったりもした。

二回目のライブのとき、ぼくは大学を卒業して仕事を始めていた。2015年「娑婆ラバ」が出たときのツアーだ。場所はzeppなんば。

コンセプトを和風に転じていた時期だった。2年のうちに、パスピエzeppで演奏できるほど大きなバンドになっていた。今度はかばんのチャックをしっかりとしめ、ライブハウスならではの演出を楽しんだ。

 

そして今回。

はじめてのときは大学生、二回目は社会人、そして今度は無職だ。

なんばhatchは何度いっても、なかなかたどり着くのが難しい。せめて改札口のところに看板を立ててほしい、などと思いながら会場へ急いだ。

ここにくるのは去年の銀杏BOYZのとき以来だったので、半年ではあまり変わらないな、などと空想しながら開場時刻を少し過ぎて到着した。

 

&DNA(初回限定盤)

&DNA(初回限定盤)

 

 

ささやかにながれるBGM。ステージに設置された看板。浮足立つ観客。薄暗い部屋。スモーク。

ぼくはホールよりもライブハウスが好きだ。たいていライブに行くときは一人なので、カップルや集団の大学生をかわしながら、どんどんと前の方に進んでいく。

開演が近くなる。どんどん心臓が高まっていく。

 

照明が落ちる。

カラフルな衣装に身を包んだ大胡田なつきさん、デザインTシャツを身に着けた成田ハネダさん、三澤勝洸さん、露﨑義邦さん、やおたくやさんが次々と登場する。

 

一曲目は、「&DNA」のアルバム曲である、やまない声

今回のアルバムは「ANDDNA」ということで、久しぶりに回文のタイトルになっている。それに伴ってか、楽曲の方も「演出家出演」のころのものに近くなっているような気がする。「幕の内ISM」「娑婆ラバ」を通じて一層練り込まれたうえで原点回帰したパスピエサウンドが「&DNA」にはあった。

やまない声は疾走感あふれるチューンで、個人的にアルバム曲の中ではかなり気に入っている曲。

まばゆい光を背に受けたメンバーの演奏で幕を開けた「DANDANANDDNA」ツアー。最初からテンションは最高潮だ。

 

二曲目は、とおりゃんせ

前々作「幕の内ISM」に収録の楽曲。「はいからさん」に始まって「つくり囃子」に連なっていく和風パスピエを代表する曲だ。

この曲もよく大学時代に聞いていた。「絶対零度のあたしを連れ出して」というフレーズが大好きで、意味もなくTwitterにつぶやいていた気がする。

サビでは会場全体で「おっおー!」のコール。これもまた間違いなく、テンションのあがる選曲だ。

 

パスピエです、のあいさつもそこそこに三曲目の万華鏡へ。

これにはおっ、となった。この曲は「MATATABISTEP」のシングルのB面だ。2014年の曲であるうえ、パスピエはあまりシングルのB面の曲をする印象がなかったので、意表をつかれた。

落ち着いたAメロから急激に速度をあげて疾走するサビ。手で円を描きながら踊る大胡田さん。

 

印象的なイントロから放たれる四曲目のヨアケマエ

「&DNA」の中でシングルカットされている楽曲の中では一番聞いた曲かもしれない。「革命は食事の後で誰よりスマートにすませたら」と洒落た感じの歌詞が、バンドの肩の抜けた演奏の上にのせられる。

パスピエにはいろいろと武器があるけれど、その一つがキャッチ―なメロディだ。ヨアケマエはその類まれなメロディのセンスが光るキラーチューンだ。

 

ここで一息。大阪は一年ぶりというMC。

まだ「&DNA」の曲をあまりやってないよね、という話題で笑いを誘いながら、足早に演奏にうつる。

 

永すぎた春

このアルバムの冒頭を飾るシングル曲だ。

気がついたらいつの間にか4月になっていた。ずっと冬が続けばいいのに、と思っているうちに冬は死んで、春が生まれる。梅が散り、桜が咲き、土筆が顔を出す。和のテイストを織り込みながら歌われる春の曲は、今の時期にぴったりだ。

「等身大の自分なんてどこにもいなかった」という歌詞にはどこかさみしさを感じる。

 

そのまま次の曲は、ああ、無情

アルバム曲のひとつだ。どこかBUMP OF CHICKENの「レム」を感じるような曲で、「過剰な賛美が欲しくて錆びかけてた心が疼いた」なんて部分には思わずうなずいてしまう。

今回のアルバム曲は特にいい曲が多いような気がして、何を演奏してくれても楽しいので、もうひたすらジャンプしながらライブを楽しんだ。

 

次のDISTANCEもまたアルバム曲。

エレクトロの色味が強い楽曲で、大胡田さんの声もシックだ。深夜の高速でかけたいような、静かな中にも高揚感を感じさせる曲。

ベースのぶりぶり感もたまらない。

 

そして、名前のない鳥

「演出家出演」の曲にして、「トロイメライ」と並んでぼくが最も聞いたパスピエの楽曲。まさかやってくれるとは思わなかったので、イントロの時点で泣いてしまった。

大学時代、人間たちに殺されそうになって死ぬことを考えていた時期、京都御所の人の来ないトイレにこもって「名前のない鳥」を聞きながらひたすら泣いていた。

飛翔してしまいそうな抒情的なサウンドに、「名前のない鳥は今日も飛べずにいつしか記号に変わってしまったの」という歌詞に自分を重ね合わせたりしてみた。

この曲を聞くと、いつでも22歳の、京都の、夜の風景が頭に浮かんでくる。そこはなんばhatchではなく、あの頃の京都に変わっていた。

今もこの文章を書きながら、涙が浮かんでくる。

 

興奮も醒めぬまま、マイ・フィクション

「&DNA」のアルバム曲だ。「私フィクションになりたくて」。何回もいうようだけれど、パスピエのあまりに明快なメロディにのせられる大胡田さんの歌詞は、深く胸に突き刺さるフレーズが頻繁に登場する。

ぼくたちはフィクションになりたいと模索しながらも、生きている間は決してそうはなれない。

 

聞き覚えのないイントロに次いで歌われるのは、S.S

パスピエのライブでおなじみのアレンジ楽曲だ。「演出家出演」のリード曲である「S.S」。カラオケでもよく歌ったな、と懐かしくなる。

「演出家出演」はどうしても京都と密接に結びついている。

ダークなアレンジにのせて、メンバー紹介がされていく。

ライブに行くことの利点とはなんだろうと考えたときに、いくつか思い浮かぶのだけれど、そのうちのひとつにバンドの存在がしっかりとわかるというのがある。

ともすれば、ボーカルしかいないように感じてしまうCD音源だけれど、実際バンドを目の当たりにすればボーカルに加えて、キーボード、ベース、ギター、ドラムがいてこそのバンドだということがわかる。

特にパスピエは2010年代に多かった女性ボーカル、男性バンドのいわゆる東京事変相対性理論系の編成のバンドの中でも演奏のレベルが高い。彼らのソロパートもライブの見ものの一つだ。

みんなそろってこそのパスピエだ。

 

どこかコミカルなイントロから歌われる、おいしい関係

お昼の番組のエンディングのような明るいメロディー。この楽曲の幅広さもまたパスピエの魅力だ。

自然に体が揺れてしまう。「甘さ控えめがいい二人の関係」。キュートだけれど、少しせつなさを感じる一曲だ。

 

そのままトキノワへとなだれ込む。

前作「娑婆ラバ」のシングル曲。「境界のRINNNE」のエンディングテーマでもある。アニメに提供した楽曲とあって、ひとつ頭の抜けたキャッチ―さだ。

これもまたよく聞いていたなと懐かしくなる。

どうでもいいのだけれど、ぼくの携帯電話のロック画面は「トキノワ」のジャケットの絵だ。大胡田さんの描く絵はとても魅力的。このシングルにはコーネリアスの「NEW MUSIC MACHINE」のカバーも収録されていて、パスピエの系譜が見える一枚だった。

 

テンションは最高潮のまま、「&DNA」のシングル曲、メーデー

「ああメンソールふかしてみてもむせかえるだけで虚無」。このフレーズが好きすぎて、よくつぶやいてしまう。

疾走感あふれる一曲。こういう曲を聞くとパスピエの「演出家出演」的一面と「娑婆ラバ」的一面の止揚を感じることができる。パスピエにしか作ることのできないオリジナリティーが全面にあふれている。

はじめから完成されていたパスピエだけれど、まだまだ進化しているのだ。完成の向こう側。遠いところまで彼らは連れて行ってくれる。

 

ここでMC。

「今日は4月1日でエイプリルフールだけど、パスピエの演奏に嘘はありません」と、日付にかこつけた発言をする成田ハネダさん。

いいことを言っていたけれど、その前に話した『君の名は。』をもじった企業の嘘宣伝のトークでツボにはまっていた大胡田さんはあまり聞いてないようだった。

 

「このアルバムを作りながらライブで聞いてもらうことをずっと考えていました、この曲も私の声で聴いてもらいたかった曲です」という大胡田さんのMCに続いて演奏されたのが、ラストダンス

今日はじめてといってもいい、少し落ち着いたアルバム曲。

熱狂していた会場が、心地よいゆったりとした雰囲気に包まれる。

 

ギターの三澤勝洸さんがダブルネックギターに持ち替え、赤色の照明が煌々と照らす中、歌われる術中ハック

「娑婆ラバ」のアルバム曲。和のパスピエ、そしてかっこいいパスピエだ。

ギターソロがたまらない。

会場はまた再燃の空気を孕んで、フィナーレに向けて熱狂していく。

 

ハイパーリアリスト

「&DNA」最後のシングル曲だ。

シングルカットされている曲はどれもこれも、色があって一言で言えばたまらない。

どれも明るいのだけれど、なぜだかせつない。ライブも終盤、終わってしまうのがかなしくなってくる。

 

MATATABISTEP

「幕の内ISM」のリード曲だ。キーボードのパッセージに、会場中が踊りだす。

サビではみんなが「ぱっぱっぱりら~」と手を天井に向けて突き出す。クラブのようになった会場。

誰もかれもがぴょんぴょんと飛び跳ねる。もちろんぼくもぴょんぴょんと跳ね回った。

正統派で盛り上がる曲だ。

 

ついに最後の曲。スーパーカー

シングルカットこそされていないものの、MVが出された「&DNA」のアルバム曲だ。

大人なメロディーに、透き通った大胡田さんの歌唱。これまた、深夜の高速道路でかけたい一曲だ。

どこか抒情的で不思議な空気に包まれて、パスピエは袖へとひいていった。

 

たいていアンコールの手拍子は徐々に早くなってばらばらになっていくのだけど、なぜかパスピエのライブでは一定のリズムで手拍子が続く。

メンバーの名前をコールする大阪お馴染み(らしい)のアンコール。

着替えたメンバーが再登場し、Tシャツの話へ。

今回のアルバムの絵のテーマは「女の子の中からパスピエの遺伝子が出てきている」というものらしい。

「みんなもパスピエをまとって」と笑いながら語る大胡田さん。和気あいあいとした雰囲気だ。

「今回のアルバムの曲はほとんどやっちゃったから少し古い曲を」というMCに今日最後の盛り上がりを見せる会場。

ぼくは言わずもがなだ。

 

アンコール一曲目は、チャイナタウン

「わたし開花したわ」のキラーチューン。ライブでは必ずと言っていいほど盛り上がる曲だ。パスピエはこの曲から始まったといってもいい。

ぼくは当然ながらあの日の、泉大津フェニックスを、かばんの中身をぶちまけてしまった日のことを思い出した。

思えば遠くまで来てしまった。

あの頃から身の回りのすべては変わってしまった。永遠に失われてしまったものだってある。手に入れたものの方が少ない。

それでもなんとか生きてこれた。

それは音楽のおかげだし、パスピエのおかげだ。

またかばんの中身をぶちまけたってかまわない。どうせ財布には500円くらいしか入っていない。

ぼくはあの頃の日々の記憶といっしょに踊った。進化しても、どんなに大きな箱でライブをするようになってもパスピエパスピエだ。おそらくそれは、これからもずっと。

 

最後はシネマ

「演出家出演」でライブはフィナーレだ。ぼくはもうなんばにはいなかった。ぼくは、京都を歩いていた。高校生のころから使っていた緑色のiPod。カバーはすれてぼろぼろだ。かばんの中にはいつも3、4冊の文庫本。靴底のないスニーカー。気取った化粧の女の子やかっこつけて道を占領する男の子。時間もろくに守れない京都のバス。松屋の誘惑。なぜだか漂うお茶の香り。御所の森はいつでも深くて暗い。

ぼくはクールの5mgに火をつける。

あるいは泣いていて、あるいは笑っている。

京都が明滅する。

「エンドレスリピートでシャラララ シネマそこはまるでユートピア」。

あの時代、そこはユートピアだった。今でもそうだ。

 

胸がいっぱいになってきたので、ここで筆をおきます。

おそらくこれからもパスピエを好きだろうな、と確信できる一日でした。

 

セトリ

1、やまない声

2、とおりゃんせ

3、万華鏡

4、ヨアケマエ

5、永すぎた春

6、ああ、無情

7、DISTANCE

8、名前のない鳥

9、マイ・フィクション

10、S.S

11、おいしい関係

12、トキノワ

13、メーデー

14、ラストダンス

15、術中ハック

16、ハイパーリアリスト

17、MATATABISTEP

18、スーパーカー

 

~アンコール~

en1、チャイナタウン

en2、シネマ

 

わたし開花したわ

わたし開花したわ

 

 

ONOMIMONO

ONOMIMONO

 

 

 

幕の内ISM (通常盤)

幕の内ISM (通常盤)

 

 

娑婆ラバ(通常盤)

娑婆ラバ(通常盤)