『夏の葬列』山川方夫
「夏の葬列」という作品がある。
作者は山川方夫。慶應義塾大学に入学し、『三田文学』に編集長として携わった。芥川賞と直木賞、両方の候補になったことがあるが、結局ちゃんとした賞はとったことがない。
1965年、交通事故にあい、34歳で死去した。
そのくらいの、とりたてて華々しくはない作家だ。
「夏の葬列」は1962年、『ヒッチコック・マガジン』8月号に掲載された、十数ページのショート・ショート作品。山川方夫の他の作品は読んだことがなくても、この「夏の葬列」なら読んだことがある、という人は多いかもしれない。
なぜなら、中学校の教科書に採用されている作品だからだ。
でも、ぼくは大学生になってから、はじめてこの作品を読んだ。そして衝撃を受けた。
今回は、「夏の葬列」とその作者山川方夫の魅力を語ろうと思う。
これまでに三回、違う媒体で「夏の葬列」を読んだ。一回目は教科書のコピーで、二回目は集英社文庫『夏の葬列』で、三回目は創元推理文庫『親しい人たち』で、だ。
ぼくは三回、それぞれ違った印象を受けた。
端的に言えば、一回目は名作として、二回目は純文学として、三回目はミステリー小説として、ぼくは「夏の葬列」を味わった。
どうしてこんなことが起きたかといえば、コンテクストの違いだと思う。
教科書に載る=名作、戦争を描く=戦争の悲惨さを描いている、こんな等式が頭の中にあったので、たとえば「ちいちゃんのかげおくり」だとか、「おとなになれなかった弟たちへ」だとか、「字のない葉書」だとか、ああいうものを読むのと同じような気持ちで読んだ。
そして、物語の構成の妙、つまりはどんでん返しに度肝を抜かれた。
教科書で読んだときは、題材と構成という二つの面から、名作としての「夏の葬列」に衝撃を受けたわけだ。
集英社文庫『夏の葬列』は、ショート・ショートだけでなく、「煙突」「海岸公園」のような純文学を志向して書かれた作品もセットで掲載されている。
収録されている作品と、初出を列挙してみよう。
・「夏の葬列」/『ヒッチコック・マガジン』
・「待っている女」/『ヒッチコック・マガジン』
・「お守り」/『宝石』
・「十三年」/『宝石』
・「朝のヨット」/『美術手帖』
・「他人の夏」/『中学時代』
・「一人ぼっちのプレゼント」/『文藝朝日』
・「煙突」/『文学界』
・「海岸公園」/『新潮』
『ヒッチコック・マガジン』のような大衆小説誌(他にはレイ・ブラッドベリやレイモンド・チャンドラー、江戸川乱歩、星新一等の作品が掲載されていた)掲載作と、『文学界』『新潮』のような純文学雑誌掲載作が、ひとつの作品集に収められ、しかも同じような“匂い”を発しているのは、とても面白い。もっといえば、掲載作のうち、「海岸公園」は1961年の第45回芥川賞の、「一人ぼっちのプレゼント」は1963年第50回直木賞の候補になっている。
一つの短編集の中に、芥川賞と直木賞の候補作が共存しているわけだ。
例えば、絲山秋子であったり島本理生であったり車谷長吉であったり、他にも、芥川賞と直木賞の両方で候補になった作家はいる。けれど、その候補作を二つとも取り入れた短編集はあまり見たことがない。
僕はどちらかといえば芥川賞系が好き(三島賞系の方がもっと好きだけど)だから、「煙突」や「海岸公園」に興味がいき、それに引っ張られて「夏の葬列」も文章や主題といったところに目がいったというわけだ。
山川方夫ミステリ傑作選と銘打たれた創元推理文庫『親しい友人たち』は、つい最近(2015.9)刊行されたばかりの短編集。ぼくはびっくりした。このときはじめて、「夏の葬列」が『ヒッチコック・マガジン』に連載された短編のうちのひとつだということを知ったからだ。
さっきも書いたように『ヒッチコック・マガジン』はエンタメ誌であって、いわゆるショート・ショートを世に知らしめることに貢献した雑誌である。
教科書と集英社の二回から、ぼくは「夏の葬列」を名作・純文学だと認識していたので、星新一や江戸川乱歩と肩を並べて掲載されていた、というのはかなりの衝撃だったわけだ。
「夏の葬列」以外の作品、たとえば「赤い手帖」「蒐集」といった作品は、たしかに怪奇ミステリ色が強く、新本格ミステリじみた味わいすらあった。
そうすると不思議なもので、名作文学としてみていた「夏の葬列」も、巧みな構成と仕掛けにみちたミステリー小説としての面を強く感じるようになった。
名作として、純文学として、エンタメとして、様々な色を見せる「夏の葬列」という作品に、そして山川方夫という人間に、いつの間にかぼくは夢中になっていた。
山川方夫は夏がよく似合う作家だと思う。
それは海、青春、孤独といった山川作品によくでてくるテーマの印象がそうさせているのだろう。
そんな「夏」の名を冠する「夏の葬列」は、文章の中にも様々な夏を感じさせるものが組み込まれている。
あの翌日、戦争は終わったのだ。
なによりも、とある「事件」の起きた時期が第二時世界大戦中である。8月14日、「彼」の罪悪感の根源となる事件が発生する。戦争自体をプロット作りのガジェットとしてもちいた、という考えがあるかもしれないけれど、やっぱりぼくは、戦争という主題が確実にあると思う。
テーマについてはあとで書くとして、他の夏のイメージをみていこう。
真昼の重い光を浴び、青々とした葉を波うたせたひろい芋畑の向うに、一列になって、喪服を着た人びとの小さな葬列が動いている。
ひとつは色彩だ。青々とした空と畑をバックに、葬列が(たぶん陽炎の向うに揺れながら)行進している情景が、映像のように浮かんでくる。このコントラストの効いた色彩感は、夏的だと感じる。他にも「濃緑の葉」「芋の葉を、白く裏返して」という色の描写が、本作には多い。しかし、そうした小さな部分にも、仕掛けがある。例えば、引用部では「重い光」の一語で、トーンを落としている。「彼」にとって、夏の日光とは、忘れることのできない「重さ」を象徴しているわけだ。
自分には夏以外の季節がなかったような気がしていた。
重くるしくおれをとりまきつづけていた一つの夏の記憶
「彼」にとって夏は、ある罪の記憶そのものなのである。
他の夏を感じさせるものとして、海がある。
そもそも舞台が「海岸の小さな町の駅」である。さらに芋畑が「真青な波を重ねた海みたい」「やわらかい緑の海」と描写されることで、子ども時代の「彼」と2歳年上の「ヒロ子」さんを取り巻く環境に、どこか爽やかな感覚を付け足している。
それら色彩や海の「爽やかさ」は、艦載機の飛来によって一転する。
やや構造的かもしれないけれど、このあたりの感覚操作はみごとだと思う。落差に愕然とさせられるわけだ。
話がそれるかもしれないけれど、吹奏楽に天野正道による「おほなゐ」という曲がある。この曲も阪神淡路大震災の唐突さ、つまり日常と非日常の落差を、音楽によって表現した作品であり、この「夏の葬列」にもコントラストの意識がはたらいているような気がする。
コントラストも含めて、この作品は小説的な仕掛けに満ちている。それについては、西原千博(『夏の葬列』試解 : 国語科教材のテクスト分析の試み.2002)などが指摘しているので、ぼくは純文学的なテーマについて触れたいと思う。
先ほども書いたように、戦争という主題があるだろう。もう一歩進めば、この作品の主題は「サバイバーズ・ギルト」だといってもいい。
つまり、生き残ってしまったことに対する罪の意識だ。教科書にのる作品は、『こころ』をはじめとして、このサバイバーズ・ギルトを取り扱ったものが、いくつかある。ぼくは、この「夏の葬列」もそうなのだと思う。
ある機会、「夏の葬列」の感想を言い合っているなかで、「ヒロ子」という名前に注目した人がいた。
「ヒロ」とは「ヒロシマ」のことではないか、ということだった。
面白いと思った。
この作品の時代設定は、本文中の記述から考えると1962~1963年になる。60年初頭から、戦時中を振り返るという構成になっているわけだ。
そして「夏の葬列」が『ヒッチコック・マガジン』8月号に掲載されたのも1962年。
これはもちろん、偶然の一致ではないだろう。
カタカナで書かれた「ヒロシマ」が想起するもの。その「ヒロ」を含む、ヒロ子さんを殺してしまったかもしれないという罪悪感。
ヒロシマを殺してしまったという罪悪感。
そうして生き残っていることに対する罪悪感。
やはり、娯楽小説としてだけではない面白み、メッセージ性をぼくは「夏の葬列」から感じる。
一つから二つになった「彼」の罪は、生き続ける限り、罪は増えていくということを暗示しているように思われる。しかしながら、それはマイナスだけの解釈だけではないようにも思えてくる。
もはや逃げ場所はないのだという意識が、彼の足どりをひどく確実なものにしていた。
最後の一文である。
「確実」という言葉にぼくはひっかかった。不安な足どりではなく、確実な足どり。つまり、その罪悪感と向き合わなければならない、というような決意を、ぼくは読み取った。
「夏の葬列」はたんに娯楽的な作品だけでなく、かといって純文学としてでもなく、いろいろな面から解釈ができる名作だ。
そして、山川方夫も、もっと話題に上がっていい作家だと思う。
小難しいことをくどくど述べてきたけど、まず、圧倒的に面白い。
それから、透明感のある文章。
青春の一ページを切り取ったような描写。
ショート・ショートとしては、星新一や筒井康隆、あるいは川端康成の『掌の小説』あたりが有名だけど、もう一人いる。
今回は「夏の葬列」だけだったけれど、同時収録の作品はどれも、透明感と絶望感があっていい。
特に「煙突」は庄司薫や村上春樹よりも早く一人称「ぼく」文学として、世の中に出てきた作品だ。(余談だが、山川方夫と庄司薫は1959年に対談していて、この対談が「煙突」の改稿に及ぼした影響についても考えてみる価値があるかもしれない)
透きとおっていく夏と青春に罪の意識を感じたとき、山川方夫は傍にいてくれる。